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裏路地1
「や、やべぇよ、門を抜けちまった!」
「おい…おいおいおい、どーすんだよっ!」
冬の街水路で大の男達が喚き立てる。
入り江から吹きつける潮風は身が裂ける程だったが、興奮か錯乱のせいかその場の誰も気に留めなかった。
「ふっざけんな‼ どう落とし前つける気だよ」
『痛ダダ痛ダアダアダッ! ばっ、馬鹿おま、お前馬っ、皮膚ごと剥げるわっ‼』
ひとりが目を血走らせ、胸ぐらを掴んでまくし立てた。タツは必死に腕を振り払い、乱れた毛を逆立てて
男を威嚇した。
「だ、だめだ……こいつ錆びてやがる」
「もう、見えなくなっちまった…………」
他の男達は舵を取り門の開閉を試みたが、古い水門は頑として動かず、ただただ手に血が滲んだ。
寒流をいく旅行鞄は、トンネルの陰に消えて行く。
それはこのナヴァランにおいて、文字通り
水に流れることを意味していた。
ようやく寒さを思い出したのか、男達の顔は見る間に青ざめて行った。タツに凄んだひとりもまた、両足をふらつかせ、いっそう強く狼狽した。
「どーしてくれんだ……あれが、あれが無ェと」
『あっしが知る訳ねーだろーが‼』
傍らの壁に倒れ掛かる元凶を指差し、タツは叫んだ。
――『小さな獣』といった表現が似合う、
そんな少年だった。
鼻先まである栗色の猫毛、そこから垣間みえる顔は薄汚れていた。裾を結んでむりやりに着た型違いのぼろ服は、冬越しには心許ない。
先程確認させられたその重みも、見かけよりもさらに幾分か軽かった。
『この坊主が勝手にぶつかって来て、勝手に転んで、勝手に川に落としたんだっての‼』
ホンモノの小さな獣の方は憤慨して潔白を訴えたが、放心した男達は聴く耳を持たなかった。
それどころか、その様子は徐々に妙なものになっていった。
「畜生ォ……畜生畜生畜生ォォ‼」
「はは、ははははは。 無くなっちまった」
「お前が……お前等が…………」
何かに怯えたように、明らかに寒気とは別の震えを起こし始めた。
『お、おい。 大丈夫か? 兄ちゃん――』
その声を引き金に、突然、錯乱は狂気に変った。
「お前が悪いんだ……全部お前のせいだ」
うわ言を吐きながら、顔をこわばらせてにじり寄る。男はズボンのポケットから何かを取り出し、それをタツへ向け振りかざした。
『なっ⁈』
紙一重でかすめた鼻先から、血がしたたり出た。
仰天したタツの目に映ったのは、男の手に握られた
光り物だった。
『分かった、あっしが悪かった! そりゃ災難だったろうけどよ、生きてりゃそんな日もあるって! だからまず落ち着k――――』
「お前のせいだっ!」
『ヒトの話全然聞かねーな‼』
再三の弁明はまたしても切り捨てられた。
逃げ場のない足場、圧倒的な体格差、悴む四つ足、次の狂撃を避けられる根拠を、タツは完全に失っていた。
『おい、嘘だろ⁈ 待て待て待て待てっ‼』
――そしてまた、凶刃は振り上げられた。
「お前がああああああああっ‼‼」
『のああああああああああっ‼‼』
「……ゔっさい」
男の顔面は、宙に高く蹴り上げられた。
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