第二話 賑やかな夕食~蒔田静矢~

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「いらっしゃい! お疲れ様!」  カラン、と音の鳴る扉を()けて中へ入ると、いつものようにはつらつとした明るい声が静矢を迎える。 「忍、お疲れ」  こうして毎日、仕事が終わった(あと)、静矢は必ずここへ来る。そもそもはじめはただ忍を迎えに来ていただけだったが、最近はついでにここで夕飯を食べて帰ることが多くなった。嶋もまた、静矢と退勤時間が重なると、一緒にここへ来て夕飯を食べ、ついでに酒を飲んで帰る。静矢はマスターである篠崎や忍には申し訳ないとは思いながらも、今ではその好意にすっかり甘えてしまっていた。 「義兄(にい)さん、今日は早かったんだね!」 「よう、忍!」  静矢の(うし)ろから嶋が顔を出すと、たちまち忍の笑みが消えた。明らかに嫌そうな顔を見せて、彼は口を(とが)らせる。 「なぁんだ、嶋さんも一緒だったの」 「なんだとはなんだ。(かり)にも常連客だぞ」  嶋は不服そうだ。それには構わずに、静矢はいつものカウンター席へ座る。すると、嶋も釣られるようにいつも通り、その左側の席に座った。ここが二人のお決まりの席である。 「はいはい。でも、ちょっといっぱい作りすぎちゃったからちょうど良かった。嶋さんも食べてくでしょ? ちょっと待っててね」  忍はそう言うと、すぐに厨房に入っていった。 「こんばんは、お二人とも。いらっしゃい」  穏やかな声で挨拶(あいさつ)をして、一人の紳士が厨房から出て来た。彼はこのカフェのマスター、篠崎だ。静矢は頭を下げる。 「どうも、お邪魔してます」 「どうですか、美術館の(ほう)は。もうすっかり秋ですから、忙しくなってきたでしょう」  そう言いながら、(まゆ)()げて笑うその顔には人のよさが(にじ)み出ている。篠崎はグラスを二つ取り出し、氷を三つか四つほど入れて水を(そそ)いだ(あと)輪切(わぎ)りにされたレモンを入れ、それをコースターに乗せて二人に差し出した。 「そうですね。まぁでも、おかげさまでなんとかやってますよ」  静矢は嶋と顔を見合わせて(うなず)き、そう答えた。那須の秋は本当に忙しい。夏場は避暑地(ひしょち)として観光客で(にぎ)わうこの町だが、秋が深まり、山の紅葉(こうよう)が色づき始めると、(むし)ろ夏場よりもその(にぎ)わいは増して、猫の手も借りたいほど忙しくなる。しかし、そんな那須の秋ももう二度目だ。 「それは良かった。忍くん、蒔田さんのこと随分(ずいぶん)心配してましたよ。最近忙しくなってきたから、疲れが()まってるんじゃないかって」 「あ……、そうですか……」  正直なことを言えば確かに、その自覚がないわけではなかった。それでなくても、秋が近づくと、静矢は余計なことをあれこれ思い出すせいで、気分が落ち込んでしまう。 「参ったな……。すっかり見透(みす)かされちゃってますね」 「いやぁ、お二人は仲が良くて(うらや)ましいです。私も上に歳の離れた兄がいますが、これが本当に気難(きむずか)しい人で、昔から気が合わなくてね。大人になってからはほとんど会うこともなくなりましたよ。お(たが)いもう四十(しじゅう)()ぎですから、喧嘩こそありませんが」  篠崎はそう言って苦笑した。すると、嶋が(とく)意気(いげ)に口を(はさ)む。 「マスター、兄弟なんてもんはそうなんですよ。(むし)ろそうでなきゃいけない。男同士というだけで、自然界ではライバルですからね。仲良しこよしでいるって(ほう)が間違ってるんです」 「おい、それはライオンかなんかの話か?」 「いや。自然界で暮らす、人間という動物の話だよ。この世界で一番恐ろしい、地球にとって有害な動物だ」 「ちょっと聞いたことがないな」  静矢がわざととぼけて見せると、嶋は(まゆ)を上げる。そこへ忍が戻って来た。 「まーた嶋さんが変な話してる」  忍は二人分の食事を持って厨房から出て来るなり、(あき)れたような目で嶋を見て言った。 「変なもんか。おっ、やっぱりカレーだったな。イタリアンの店でカレーが食えるとは光栄だ」 「うるっさいなぁ、嶋さんは……。言っとくけど、これはただのカレーじゃないよ。忍の特製、トマトカレー!」 「トマト……?」  静矢は思わず聞き返した。目の前に置かれた皿に()られているそのカレーは、(わず)かに赤い色をしている。一見(いっけん)、レッドカレーのようにも見えるそれには、トマトがたっぷり使われているようだ。 「なんでカレーにトマトを入れることになったんだ?」  静矢は眉間(みけん)(しわ)を寄せた。ただし、香りは――そう悪くはない。 「あー、義兄(にい)さん疑ってるでしょ? これ本当に美味(おい)しいんだからね!」 「忍、仕方ないって。蒔田の味覚は小学生レベルってことを忘れたか?」  嶋の言葉には(まゆ)をしかめた。悪いが彼にそんなことを言われたくはない。どうせ彼は、ちょっと酒が入ればあっという()()(ぱら)って、そのうちに味だろうが何だろうが、わけがわからなくなるに決まっている。 「ねぇ、義兄(にい)さん。(だま)されたと思って食べてみてよ」  嶋は(すで)に一口食べて「美味(うま)い、これはいけるな」と(うなず)いている。 「いただきます……」  少し赤みがかった、ひき肉入りのルウとご飯をスプーンに半分ずつほど(すく)い、(おそ)(おそ)る口に運ぶ。その途端、静矢は思わず目を見開(みひら)いた。 「うま……」 「ほら! おいしいでしょ? さっきマスターも食べてくれて、お(すみ)()きもらったんだ!」 「お前な……。そんな安心保障があるなら先に言ってくれよ」 「ごめん、ごめん! お代わりあるからね!」 「あっ、忍、ビール! ビールくれ!」  不意に嶋が思い出したように言うと、忍はすぐに顔をしかめる。 「え……。嶋さん、また飲むの……?」 「一杯だけだよ、一杯だけ」 「一杯だけでも、運転して帰れないじゃん」 「だからさ、また代行(だいこう)よろしく」 「えぇ……。またぁ?」  忍はまた口を(とが)らせて、グラスに(そそ)いだ生ビールを仕方なく嶋に差し出した。急に不機嫌(ふきげん)になった忍を満足(まんぞく)()(なが)めながら、嶋はそのグラスに口をつける。  嶋はいつもこうして一杯だけ酒を飲んでは、帰りは忍に車を運転させて、自宅まで送らせていた。嶋を送った(あと)、忍は当然帰りの足がなくなるので、静矢がその(あと)から追いかけるように車でついて行き、忍を乗せて帰るのだ。 「あんまり常用するなら、そのうちお金取るからね」  忍が言う。全くだ。静矢と忍は運転代行を無償でやっているようなものなのだから。静矢は忍の言ったことに、心の中で深く同意した。
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