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「もしも、私が死んだらどうする?」
あれは秋――。穏やかな休日の午後だった。妻の茜は微笑みながら静矢に訊ねた。
「何言ってるんだ? 悲しいに決まってるだろ」
静矢がそう答えると、茜はくす、と笑みを零す。
「模範解答ね。失格」
「結婚したばかりで、死ぬ話はやめてくれよ」
「あら。人は生まれたその時から死ぬことが決まってるのよ」
にこやかに、明るくそう言われた。あの頃は茜によくその質問をされた覚えがある。そういう時、静矢は決まって嫌な顔をして見せた。苦手な話題だったのだ。しかし、そういう静矢をまるで揶揄うように、茜は笑った。
「大丈夫よ。私が死んでも、ちゃんと愛してくれる人が静矢くんにはいるから」
何が大丈夫なんだか……。
静矢は一人、心の中で呟いてから、左手の腕時計に目を落とした。休憩時間はあと二十分足らず。
ここ、那須日本画美術館でスタッフ兼ウエディングプランナーとして働く蒔田静矢は、館の敷地内にある、このカフェでいつも休憩を取っていた。洒落たログハウスの店内には、ウッド調の十数個のテーブル席があり、その奥にはカウンター席が八つ並んでいる。静矢は、その左端から数えて三番目の席で、ブラックのブレンドコーヒーをほんの少しずつ減らしていた。いつも通りの穏やかな昼休憩だ。
「お疲れ様ー」
不意に背後から明るい声がする。にこやかな笑顔でやって来た、細身で小柄な男は、静矢の右隣の席に座った。
「あっ、その顔。まぁた姉貴のこと考えてたんでしょー」
そう言って笑いながら、男は手に持っていたマグカップにほんの少しだけミルクを入れている。ふわりとした癖毛の茶髪と白い肌。少し吊り上がった二重の目。その目が細くなってふっと笑みをくれる。その顔を見た途端、ドキッと静矢の心臓が跳ね上がった。だが、それはあっという間に大人しくなってしまう。
「いつもブラックなのに。珍しいな」
「たまにはねー」
「いいのか、さぼってて」
「おれも休憩なの」
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