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「俺は後ろからついて行くから。安全運転でな」
「うん……」
夜九時を回った頃、三人は篠崎に見送られて店を出た。隣を歩く忍の顔が曇っている。毎度こうして嶋を送ることに、最近はもう嫌気が差しているのだろう。
「嶋、忍をこき使うのもいい加減にしてやれよ」
「わかってないな、お前は。愛だよ、愛」
それが聞こえたのか、忍は一層嫌な顔を見せた。静矢には嶋がどういう愛でもって、忍に車を運転させているのか全く理解できない。大方、それに大した意味などないのだろう。
「じゃあ義兄さん、おれ、先に行くね」
ぶすくった顔で、忍は嶋の愛車である、真っ赤なSUV車の運転席に乗り込む。それを確認してから、静矢も自分の車に乗り込み、エンジンをかけた。
静矢は茜と死別して間もなく、車を買い替えた。以前はドライブが好きで、スポーツ系のセダンタイプに乗っていたが、今は嶋と同様、四駆のSUV車だ。冬場、雪の多い那須ではその方が都合が良かったし、何よりも茜との思い出が詰まった車に一人で乗るのは静矢にはとても堪えられなかった。
今となっては車を単純に足として利用するだけのことだ。走らせていて楽しいと思うことはほとんどなくなってしまっている。それでも忍を乗せて走る、職場と家との行き帰りのドライブだけは変わらず楽しさを感じられるから、不思議なものだった。
茜と結婚し、義理の兄弟となってから明らかに遠のいていた忍との距離――。それは同居するようになった今、日毎に、そして確実に変化している。昔、友人だった頃のように戻りつつあるのだ。忍と話していると、静矢はつい楽しくなって、学生時代に戻ったような気分になる。そして、時間を忘れて話し込んだ後はなぜかホッとして穏やかな気持ちになる。いくら話しても話題が尽きないのも相変わらずだった。
それでも、どうして忍が突然、那須にやって来て、どうして静矢と一緒に住んでいるのかは未だに聞けずにいる。本人は「ちょっと東京に疲れたから」と話していたことはあったが、それは本当なのだろうか。もしかしたら自分を心配して、彼は傍にいてくれているのかもしれない――と、思う時もあるが、それを確かめることはできなかった。
忍がなぜ静矢の所へ来たのか。なぜ居候を続けているのか。それを問えば、忍がいつまでここにいるのか――という話に繋がってしまいそうで、静矢はどうしても話せないのだ。実際、忍が那須に来てくれて、助かっていると感じることは多い。気ままな那須高原での一人暮らしは自由があって楽だが、そこに不安や寂しさがあったこともまた事実だった。けれど忍がいることで、不思議とそれらは消え、生活そのものが楽しいと思えるようになった。静矢はできればこのまま何も聞かずに、忍との生活を続けていきたいのだ。
もし、それを知った誰かに、忍を利用している、と後ろ指をさされたとしても、静矢は反論できないだろう。
それでも……。今の俺には、忍が必要なんだ……。
自分はなんてずるくて、情けないのだろう。静矢は忍が運転する嶋の車を追いながら、密かにそうして、弱い自分を責めていた。
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