王道との付き合い方

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 私は、意識が飛んでいます。 「明日書きます」と昨日述べた気がしますが、たぶん今日は昨日じゃないです。二日くらい経っているかもしれません。    私の好きな言葉で、 「私くらいでも、好きな勝手に作品を撮れた事がない」  というものがあります。  この「私」とはスティーブン・スピルバーグです。  彼が、母校の大学の卒業式公演かなんかで学生に告げた言葉です。    スピルバーグらしい、大好きな言葉です。  表向きに咀嚼すると「映画や物語作りは共同作業だから、自分がやりたい事だけできないよ」って意味なのでしょう。  ごもっとも。  好きな事を好きなだけやれる芸能人は、この世に存在しません。存在したとしてもハワード・ヒューズみたいな人ばかりです。    それ以上に、「好きな事だけやって売れた」人など、居ないのではないでしょうか?  一発屋はいるでしょう。  でも、ちゃんと「売れた」。  スピルバーグほど「売れた」人はいません。  今回は、かなり偏見が入ります。  私のスピルバーグ像は「起業家」であり「作家」です。これを完璧に両立させた、唯一無二の存在です。  私は彼に想像し得ない程の影響を受けているのですが、「影響を受けたランキング」で三位以内に入った事はありません。  いつも十位以内にいますが、トップ3にはなりません。  去年の私ランキングの上位3は「太宰、宮崎氏、ボッカッチョ」でしたが、この三名、一昨年はランキング外でした。なんなら、太宰は嫌いでした。  影響なんてそんなもので、熱狂する時もあれば、そうでない時もあります。  なのに!  あの小さいオジサンだけは、ずっとランキングに入っています。8位9位あたりをずーっとウロウロしています。  その理由に、数年前気付きました。  彼は、起業家だったのです。    話は変りますが、皆様、「売れる」って何ですか?  どうなったら、「売れた」ですか?  そもそも、なぜ「売れないといけない」のですか?  これを学生やら若い子やら、そこらの人に訊ねると決まって同じ返答が来ます。いくつかありますが、圧倒的に多いのが 「お金が欲しいから」    その理由は? 「自分の好きな事をできる余裕が欲しいから」  はい、それ。  全然合理的じゃないです。  お金が集まることで増えるのは、リスクです。    お金というのは、人間が物理的に捉える事ができる「欲」の権化であり、人を縛る為だけの鎖です。  お金を持つという事は、それだけの期待を掛けられます。自分以外への誰かへの見返りを出さなければ「こいつは金を持つに値しない」と、即座に引きずり落とされます。  これは、経済の基本的な原理です。  ですので、お金を持つ以上、延々にお金を払い続けるリスクを負います。  嘘だと思うのであれば、やってみればいいです。  年収1000万の仕事なんか、そこら中に転がってます。  金が欲しいなら、それをやればいいです。  小説なんか書いてる暇があるなら、ウーバーイーツで配達やってた方が儲かります。しかも、確実に。  もしかして、書籍化したら、一発で大金が手に入ると思ってます?  そんな人、日本に十人も居ないんですよ?   小説書くより、宝くじ買った方が確立高いですよ。  てゆーか、普通に投資とか始めた方が儲かりますよ。 「好きな事で、生きる」  ユーチューブのキャッチコピーですが、なぜ、こんな募集タイトルを出すのか考えた事がありますか?  それができるなら、自分でやればいいじゃないですか。  わざわざ、他人に教えてやる必要がありますか?  好きな事をして大金稼げるツールを、なんで、顔も知らない人に教えるんですか?  自分がやりたくないから、に決まってるでしょ。  金っていうものは、精神や体力を売り物のして得るもので、それは貴方達の今働いている会社も、小説も、どこへ行っても同じです。  どんな職場でも、稼げるようになるのは簡単です。ですが、それには相応のリスクが往々にしてあり、「健康」と「時間」を要します。  金を得る為に最も合理的な方法は、時間と健康を売りさばく事であり、本来は時間と健康を得る為に欲しかった金の為に、それらを切り売る矛盾を抱えています。  金があるは、イコールで幸せではない。  ホリエモンなんかも度々言っていますね、「生活保護がある日本で、なんでみんな働いてるの?」って。    ですが、そんなホリエモンも働きまくっています。  働く必要が無いのに、働いています。  これは、私がサラリーマンをやっている理由と完全に同じです。  面白いから。   得るものがあるから。  別に金とか要りませんが、働くのが楽しいから働いています。この「楽しい」は、ピクニックに行く楽しさではありません。サラリーマンという格好いい横文字で呼ばれている、古代ローマ的語彙に直すと「奴隷」である仕事をしていると、ここに内在する不平不満、人の愚かさに毎日遭遇します。逆に、そんな愚昧から一筋の聖域を見つける事だってあります。  それが楽しいから、奴隷をやっています。  好きでやってます。  この地獄絵図が、作品のどこかで使えないかな? というネタ探しでやっています。  さてさて、これがどうスピルバーグに繋がるのか?   というと、彼もそういうタイプの人間なんです。得てして、こういうタイプの人間はプロデューサー型の人間で、スピルバーグは作家である事よりもプロデューサーに重きを置いた人間です。  いち職人ではありません。  先日あげました、宮崎駿、高畑勲などは完全に「職人型」の人間です。彼等が売れたのは、鈴木敏夫というプロデューサー特化の怪物が居たからです。  職人型の怪物達は、常人が考え付かない宇宙空間へと軽々しく飛んでいきますが、その代償に「地上の人間へ伝える」能力に欠けます。  地上の着地点に鈴木敏夫がいたからこそ、二人の怪物は地球に留まれました。  この三人が揃っていた事が、ジブリ成功の最大要素です。剣と盾とそれを操る脳があったのです。  ではスピルバーグはどうか?  これを、一人で行いました。  有名な数字を一つ上げます。  彼は「世界一の売上」を持つ監督ですが、「世界一低予算で映画を作る」監督でもあります。  この「低予算」には色々と定義があります。B級映画クラスでスピルバーグの持つ予算は破格ですが、A級であれば格安です。  ちょっと長くなりますが、スピルバーグ伝説を語ります。 ①「ジョーズ」のサメは、すぐ壊れた。  元々、「ジョーズ」のサメは機械式でした。ホオジロザメの精巧なロボットを作り海で動かしました。ロボットなので、海水なんかで動くはずもなく、即座に故障。大金を叩いて作ったブルース君(サメロボット)の活躍シーンは概ねカット。  それ以上に、販管費がやばかった。  販管費とは、人件費や機材や宿舎などの経費です。  ブルース君が動かないせいで、集めた人間、セット費用が全て赤字計上されてしまう危機です。  この瞬間、スピルバーグは絵コンテを書き換えます。  現場で絵コンテ、つまりはカット割りや配置やストーリーすらも全て書き換え、ハリボテのサメの「ヒレ」だけの人形や、背中だけの人形などで、サメの全体像が出ていないのに「サメの恐怖が分かる」シーンをふんだんに取り込み、SF作品から「ホラー作品」へと切り替えます。  これ、キューブリックだったら絶対に撮影中止です。  もう一回ブルース君を作り直して、再度撮影します。  普通の監督でもそうするかもしれません。    スピルバーグは、そうではありません。  皆様も御存知でしょうが、何かを作る時に、もっとも金がかかるのは「人件費」です。  確か、この時の撮影は2か月の拘束でした。  何百名のスタッフの、二か月分の費用。これが、二倍になる。それって、ブルース君を作り直す費用を遥かに、遥かに凌ぎます。  だったら、ブルース君、いらない。  こう、舵切りしてしまうのが、プロデューサー気質なんです。 「拘り? そんなもの、変えればいいだけじゃないの? 拘りを変えるのなんかタダだし」  そう思うからこそ、撮影中止なんかせず、その場で絵コンテ(物語そのもの)を書き換えるのですね。   勿論、即座に絵コンテを書き換えられる才能が怪物級というのもあります。  こんな書き方をすると「スピルバーグはケチなんじゃない?」という方もいるのでしょうか?  いいえ、違います。  もう一つ例を挙げます。 ② ジュラシックパークは、原作無視でジャンル変更  ジョーズと並ぶ、スピルバーグの最高傑作です。  「ジュラシックパーク」はマイケル・クライトンの同名タイトルのSF小説が原作で、この映画以前に、この小説が全米ベストセラーの大人気作品です。 「鬼滅の刃」をスピルバーグが監督して映画化すると考えて下さい。実際に、そんな状況でした。  超人気小説を原作に取り上げるのですから、その時点で概ね売れる事は想定されています。  普通に映画化していれば良いのです。  ここでスピルバーグは、 「長い。前半全部カット」  という、ジャンル変更を強行します。  これ、ジャンル変更なんです。  ジュラシックパーク原作を読まれた方は知っていると思いますが、あれ、原作は「SF」というより「ミステリー」なんです。  「ある村で、殺害死体が出た。その傷口が、見た事もない傷だった」から始まる、刑事物なんです。  この犯人が、恐竜でした! って構成です。  しかし、皆様の知っているジュラシックパークは、どうですか? 「恐竜のパニック映画」  ですよね?  なぜ、このように構成したのかは、映画を観れば一目瞭然。 「子供が観れるから」  です。  ミステリーでは、子供は観れません。子供が欲しいのは、恐竜ドーーーン! なんです。  子供が観れるは、イコールで親も観る、なので分母の桁が違います。ここを明白に狙って、大ヒットの小説以上に大ヒットさせた映画が、「ジュラシックパーク」です。  んなの、妄想だろ?   というのであれば、この映画の年齢制限を見てください。  「PGー13(年齢制限13歳)」です。これは日本で言う「Rー12」ですが、日本の年齢制限なんかより、米国のR指定は厳しいです。「PGー13」の有名な規定は「血が出ない」です。  ジュラシックパーク、あれだけ恐竜が暴れていて、血が出ません。それらを直接的に見せるシーンもありません。あったら、PGー13はクリアできません。  子供が観れる「規定」を、きっちりクリアした作品です。  この凄まじさは、また別に語ります。マジで凄いです。何時間でも語れるほどこの映画は凄いです。  原作無視をして、表現の規制までして、売れる事に拘った作品は、人類史上で最高ランクの売上を達成しました。    この①②から分かるのは、彼が「儲け」という点に関して執着している作家だとう事です。  紙面の関係で二つしか例をあげていませんが、他に証拠が欲しいのであれば後三日くらいは述べられます。  ここで、一つ疑問も残ります。 「なぜ、この選択が儲かると思ったのか?」  後々に合理的に考えれば、彼が行った行動は儲ける為には正しい選択なのですが、その当時の現在進行形でこれを想定するのは困難です。 「それが分かれば、誰も苦労しないよ」  という話です。  では、なぜ、スピルバーグはバカ売れする路線に気づけたのか?  私の結論を言います。  気づいたのではありません。 「この人、『今』の事しか考えていない」  これについては、また別の視点もなければ語れないので、明日語ります。 明日が数日後かもしれませんが、今は眠いので、また後日述べます。                      
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