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青山一丁目には珍しく少し前に着いた。
良かった、ちょっと鏡をチェックする時間もある。いつもは無いのに。あ、咲夜がエスカレータで上がってきた。今でも姿を見ると心臓が騒がしくなる。強さと自信とが増して、みんなが言うようにどんどん素敵になっている。ちょっと手をあげて走ってくる咲夜に胸が苦しくなる。
「お待たせ。出際に引っかかっちゃって。」
私達は夏の夜の外苑並木に向かって歩き出す。
「患者さん?」
「ううん、チ―レジが質問。」
「へえ、咲夜がチ―レジから質問されるようになったんだ。」
咲夜は胸を張る。
「そりゃ、もうじき6年目になるし。」
そうだよね、色々越えてきたもの、悔しさも悲しさも。逆に心からの喜びだって。
「どうしたの?」
「ううん、色々あったなあと思って。ねえ知ってる、私達出会ってからもうじき15年になるんだよ。」
「そうか、そう言えばそうだね。15年か。ちょっとびっくりするくらい長いね。」
「うん、その間、咲夜には信じられないくらいの幸せをもらったよ。嬉しすぎて眠れないことがあるのだって、咲夜のお陰で知った。今までありがとう。」
「麻、」
咲夜が突然立ち止まった。真剣な声音に少し驚く。
「どうして過去形で話してるの?」
「あ、ああ、気づかなかったー」
急に抱きしめられる。あまりに強い力で息が出来ない。咲夜のカットソーのざらりとした感触がノースリーブのむき出しの肩に痛い。
「びっくりさせないで。」
「ごめん、ごめんね。」
背中に手を回す。大丈夫だよ、と気持ちを込めて。
「一昨日から、」
咲夜の黒い瞳がまっすぐこちらを見る。
「君が背中を見せて去って行きそうで。きっとそれは俺が乱暴に話を切り出したからなんだけど。何度電話してもつながらないし。でも、俺は医者だし、命にかかわる仕事だから、目の前の手術に集中しなくちゃならない。その仕事の合間に俺がどんな気持ちだったか、わかる?もう君に届かなかったらどうしようと本当に不安だった。あの薄暗い廊下で君が胸に手を当ててくれて、やっと身体に血液が戻ってきたような気がした。」
咲夜がこんなに切羽詰まっているのを見るのは初めてだった。
「麻、俺には君が必要なんだ。」
不安に翳る、その瞳に射すくめられる。黒曜石のような深い漆黒の瞳。必要だって、そんなことを言ったっていなくなっちゃうじゃないの。でも何とか言葉を紡いだ。
「私はあなたがいない生活が考えられなくて、怖くてたまらない。いつだって強くありたいのに。弱い自分は大嫌いだし、あなたに見せたくない。でもあなたの人生はいつだって応援している。」
夕焼けに誓ったのに、もう泣かないって。でももう自分の一部のように思える咲夜の身体が、手を伸ばせば届くところにあるだけで、涙が出てきそうになる。
「俺には全部見せて。俺は君に全て見せているよ。」
「見せられないよ、情けない自分はイヤだもの。」
「麻が情けないって、自分で思ってるだけかもしれない。俺には全然そうじゃないかもしれないよ。可愛かったらどうするの?これ以上は難しいかもしれないけど、もっと好きになっちゃうかも。」
いつもの咲夜が戻ってきた。いたずらっぽく言い放って、私の顔を覗き込む。涙をこらえていたのに、滲んで泣き笑いになる。
「これ以上は難しいの?」
「そこはちゃんと聞いてるんだね、さすが主任。」
おでこに唇が触れた。ああ、こんな風に過ごしていたら4年なんてあっという間だったよ。私は自分の全部をかけて咲夜が好きだったし、咲夜はいつだってその金色の光で包んでくれた。咲夜は私の人生の道しるべだった、15年前から。
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