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頑張った柴犬
抜けるような青空に高い音が響いた。ボールは大きな放物線を描いて客席へ吸い込まれていく。一層激しくなる歓声に俺は少しだけ耳を押えた。
五月の第三日曜日。職員室でたまたま話していた野球部の顧問に、次の他校との練習試合が五月の第三日曜日にあるから暇だったらぜひなんて言われたのだ。たまたま住んでいるマンションから近いグラウンドで、たまたま暇だったんだ。と言い聞かせて俺は重い腰を上げた。
「あの人かっこいいよねー!」
「うんうんハスキー犬っぽい」
近くに座っていた制服の女子生徒たちが視線を向ける先にはチームメイトにもみくちゃにされている黒田。あいつはどちらかと言えば柴犬だとか、自校の応援はしてやんないのかね、とか思いながら俺は席を立った。
「あの、これよかったら」
自販機でコーラを買っていると声がした。覗く気はなかったが知っている声が聞こえてつい覗きこんでしまった。
「あ、ありがとう」
先ほどの女子生徒とは違う制服の女の子が三人、黒田にタオルとスポーツ飲料を渡していた。なんだ意外とモテるじゃないかと思っていると黒田と目があった。あ、やばい。
「先生!」
黒田が女子生徒の間を割ってこっちに走って来る。おいおい彼女たちはいいのか。
「来てたんですね」
「たまたまだ、たまたま」
言い訳がましい俺の言葉を気にしたふうもなく黒田は臆面もなく笑っている。ちぎれんばかりに振られるしっぽが見える。
「先生」
「んー」
「勝ちました」
俺はため息をつくと、向こうにいる女子生徒たちの視線を気にしながらも頭を乱暴になでてやる。手を伸ばして、こいつでけえなと改めて思った。
「肩は大丈夫か?」
「はい!先生!」
「なんだ」
「約束」
黒田が急にまじめな顔で俺を見る。
「俺の告白をしんけ、」
「あー!わかったから!」
こんなところで何を言い出すんだこのバカは。後ろに人がいるだろーが!
「明日、学校で聞いてやるから」
「絶対ですよ」
「はいはい」
俺は後ろ手に手を振るとさっさと歩いていく。この歳で何で人前でこんな恥ずかしい思いをしなければならんのだ。
「先生!」
呼ばれて振り返るとしっぽを振る黒田が。
「また明日!」
俺はすっかり振りまくってしまったコーラを投げた。黒田がきれいにキャッチする。
「ご褒美。また明日な」
やっぱり来なければよかったなんて思う俺の口角は上がりっぱなしで、我ながら絆されてる感が否めないな、と思った。
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