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柴犬の決意
久しぶりに飲んだアルコールが程よく体を回りふわふわとしていた。昔ほどは飲めなくなったなと思う。
「どこで飲み直す?」
「どこがいいかな」
まだ飲むのかと思いながらも断るのも格好がつかなくて話を合わせた。
大学時代の友人に誘われたコンパで知り合った高校教師の女の子と意気投合して、抜け出した。時刻は8時を過ぎたところで夜にはまだ早い。それでもほろ酔いの俺は突然掛けられた声にとっさに反応できなかった。
「先生」
夜の街にふさわしくない坊主頭に制服。まだ少し幼い不機嫌そうな顔。
「黒田?」
「生徒くん?」
隣の彼女に答える暇もなく。
「おい、黒田」
俺の腕を掴んで黒田が走り出す。後ろから女の子が叫ぶ声が聞こえてきたがやがて繁華街の賑わいの中に消えた。
夜の街は多種多様。明るい店の看板やネオン。大人数で固まる男女の集団や、派手な服の女、スーツに金髪の男、居酒屋のチラシを配るバイトに、サラリーマンの一団。それらを縫うように抜けて、やがて繁華街のアーケードが切れる。そこは街灯の頼りない光があるだけの川沿いの橋のたもと、急に暗くなる。黒田が足を止めて振り返った。
「俺は」
さっき明るい場所で見た黒田は不機嫌そうだったけれど、電灯の明かりの下ではどちらかといえば少し悲しそうな顔に見えた。
「先生のことが好きです」
最近では見慣れた人懐っこい笑みが消えている。俺は初めて罪悪感を覚える。
「先生は大人で、きっと今までも何人かの人と付き合ってて。今だってひょっとしたら恋人みたいなひとがいるのかもしれない」
コンパに誘われたときも、さっきの女の子と抜け出したときも、黒田のことは少しも思い出さなかった。黒田を傷つけた。
「でも好きなんです」
妙に声が近いと思ったら抱きしめられていた。慣れていない不器用な長い両腕。それも一瞬で、すぐに離される。
「明日晴れたら、」
思ったよりも身長差がある、とぼんやり思いながら黒田を見上げる。
「試合があるから来て下さい。この前と同じグラウンドです。勝ったらもう一度告白します。その時に返事をください」
返事を聞く前に黒田は背を向けて走っていく。俺はといえば自分の両腕を不思議な気持ちで見下ろしている。
黒田がもう少し離すのが遅ければあいつの背中に回そうとしていた腕が不思議で、俺はしばらくの間自分の腕を見ながら立ちつくしていた。
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