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「人がいいんじゃない。お前のことが好きだからだ」  はらりはらりと切った髪が落ちて行った。カットはもう最後の仕上げまできている。 「どれだけ考えても結局そこに行き着くんだよ。お前との関係を切れないのは、俺がお前を好きだからで……。昔からお前といるのが一番楽しかったし」  吉井くんに聞かれたとき、俺は黒崎のことが好きなのかどうか答えることができなかった。けれど黒崎のことになると停止してしまう思考をなんとかフル回転させて出てきた答えはいたってシンプルだったんだ。 「俺はお前のことが好きだけど、でもだからといって俺たちはどうにもならない。そうだろ?」  好きだからこそ。  誰も幸せにならない。 「だからもう会わない」  このままじゃ、疲弊して黒崎のことが嫌いになりそうだった。嫌いになって離れるくらいなら、嫌いになる前に離れるべきだと思った。好きだからこそ黒崎といた全ての時間を否定してしまいたくはなかった。  肩に落ちた髪を払う。鏡に映る黒崎は来た時よりもいくぶんすっきりとしていた。襟足と耳にかかっていた髪を切っただけで印象はかなり変わる。 「……俺は」  鏡の中の黒崎が俺と目を合わせたまま口を開いた。 「俺だってお前のことが好きだよ……信じられないかもしれないけど。でも、そうじゃなきゃこんなに長いこと続くわけがない」  高校生の頃に出会ってもう10年以上になる。高校時代は黒崎以外にも何人かでつるんでいる友人がいたし、それぞれ大学と専門学校に進学してからはお互いの知らない人間関係ができた。黒崎は会社勤めを始めてから職場の飲み会が増えて、その職場で出会った人と結婚した。俺も前の美容院で一緒に働いていた人たちとは未だに会うこともあるし、もちろん今の店長に飲みに連れ出されることはしょっちゅうだ。  年を経るごとに俺たちにはそれぞれの世界ができてそれぞれの生活が続いて来たけれど、変わらなかったのは俺たちの関係だけだった。 「結婚を決めた時も俺には迷いはなかったけど、お前が離れてしまうのは嫌だった。でも……今さらただの友達になんて戻れないだろ?」 「そうだな」  それができるなら、最初からこんなことになるはずがなかった。 「俺はお前を手放したくない。でも」  鏡の中の苦しげな顔をした黒崎の顔から目を離さずに見つめている。勝手なやつだと思うのに、やっぱり好きだとも思う。 「俺は嫁と別れる気はないんだ」 「うん」 「だから」 「お別れだな」  髪を落とすようにクロスを外す。俺が泣き笑いの顔で言うと、黒崎も同じ顔で笑った。  髪を洗い、乾かしてからセットする。その頃には黒崎はさっぱりした顔になっていた。「いい感じだ」と言った黒崎は、俺の勝手でやったことだからいらないと言ったのに代金を支払った。 「あの部屋引っ越すから」  受け取ったお金をレジに片付けながら俺は言った。黒崎が驚いた顔で俺を見る。 「え、どこに」 「教えない」 「……あぁ」  情けない顔をした黒崎に、俺は苦笑をもらす。これで黒崎が俺の部屋に来ることは二度とない。もう二度と会わない。 「じゃあな」 「うん」 「元気で」 「本当にこれで……」  黒崎はそこで言葉を切ったけれど、俺はなにも言わなかった。口を開いたら、引き止める言葉が出てしまいそうな気がしたからだ。ドアノブを握ったまま俺の顔を見ていた黒崎は、ようやく決意したようにドアを押した。 「ありがとうごさいました」  いつも客にするように見送る。黒崎は手を上げてそれに応えると、カラン、と軽快な音を立てて出て行った。 「終わった」  堪えれば意外と大丈夫なものだなと、冷静な頭で考える。それから、今までで一番、今日の髪型が似合っていたじゃないかと思う。 「よし、片付けるか」  今日は少しいいワインを買って飲もう。酒のアテは何にしようかと考えながら、俺は片付けを始めた。
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