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 俺はそれに驚いた。確か俺より三つ年下だと言っていたから、今年26歳になるはずだが、今どき珍しいのではないだろうか。そこまで考えて俺はしでかしたことの重大さに気が付いて、自分でも血の気が引くのが分かった。 「もしかして、この間のが初めて……?」 「はい」  淡々と答える吉井さんに、忘れかけていた罪悪感が戻って来る。箸を置くとがばりと頭を下げた。 「本当にすみません。なんか俺、本当にとんでもないことをしでかしてしまったみたいで」 「気にしないでください」 「でも初めての相手が男とか、最悪じゃ」  吉井さんは箸を持つ手をテーブルに置くと考えるように視線を宙に浮かせた。それからゆっくりと話し出した。 「あの時、志波さんはとても酔っていました。だからどちらかと言えば俺の方が止めるべきだったんです。だから悪いのは俺だと思います。あまり気にやまないでください」  どこまでも自分が悪いと言い切る吉井さんはまっすぐな人だった。俺とは違う、真面目な人間性を持っている。だから、理由を話さないのは卑怯な気がした。 「俺は、本当にダメな人間なんだ。あの日も、ただのヤケ酒で。本当に、どうしようもない理由なんだけど」  吉井さんが煮詰まってきた鍋の火を止める。俺はそれを見ながら言い訳を続けた。 「ケンカしたんだ。ケンカというか、俺が一方的に怒っただけなんだけど。あいつが俺の話を聞いてくれなくて。多分俺が何を言ってるのかもどうでもいいんだろうな。俺はその一方的なケンカがなんか、虚しくて。いつも一方的なことに疲れたのかもしれない」  言い合っていても結局、俺の言っていることは黒崎には伝わっていない。それでは一緒にいることに意味がない。これじゃ本当にただ会ってセックスをするだけの関係でしかない。 「それで、どうしようもなくなって……だから本当に俺の個人的な理由に吉井さんを巻き込んだんだ。だから、ごめん」 「それは恋人の話ですか」 「いや……」  黒崎は恋人ではない。向こうは結婚しているんだから。いや、そもそも恋人だったことはない。俺たちは常にただの腐れ縁で、よく言っても友人だった。 「違う。確かにセックスはしてるけど、あいつは恋人じゃないんだ。だからこんな……」 「志波さんは」  吉井さんが俺を見る。その眼差しを、俺は眩しく思った。 「その人のことが好きなんですか?」  そのなんともストレートで青臭い言葉に戸惑う。俺と黒崎はそんな甘酸っぱい関係だったことがあるだろうか。心から好きだと言い合ったことがあっただろうか。 「わからないな……好きだと言ったことさえないかもしれない」  俺の答えに吉井さんが心底不思議そうな顔をする。 「好きじゃないのにそんな関係なんですか?」 「好きじゃないわけじゃ、ない、のかな」  嫌いであれば親しくもならない。そもそも俺たちはとても気が合ったのだ。いったいどこで間違ったのか。初めてセックスをしたあの時に戻れるなら、俺は自分にやめておけと言うのか、それともちゃんと好きだと言えと助言するのか。もしもの話なんて意味がないけれど。 「俺は誰かと付き合ったことなんてないし、そういう気持ちはよくわからないんですけど。もし志波さんが辛いなら、やめたらいいと思います。志波さんはとてもいい人だし、もっといい人がいると思います」  別の人が言っていたら白々しく聞こえたかもしれないけれど、吉井さんの言葉は俺の耳に真摯に届いた。 「うん、今度こそやめにするよ。本当に。実は今日もあっちから連絡があったんだけど断ったんだ。先約があるからって」 「よかったんですか?」 「うん。これでよかったんだ。口実みたいに使ってごめんな」 「それは構いません。もし断る理由がないなら、いくらでも俺を使ってください」 「口実にするだけじゃなくて、実際こうやって一緒にご飯を食べよう。もちろん吉井さんが嫌じゃなければ」 「俺は嬉しいですけど、でも俺はつまらない人間だし。俺なんかとご飯を食べても面白くないと思います」  確かに吉井さんは無口だし、話題も豊富というわけではない。けれど俺は職業柄人と話すのが好きだし、相手が口数の少ない人でもあまり気にしない。それに彼の、人の話を聞こうとする姿勢はとても好ましく思えた。 「俺は面白くないと思わないから平気だな。変な縁だけどせっかくお隣さんなんだから、これから仲良くしようよ」 「……はい」  俺の言葉に吉井さんが笑う。俺は久しぶりにすがすがしい気持ちで一緒に笑った。
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