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 それから俺と吉井君はちょくちょく部屋を行き来するようになった。吉井君はそれほどよく喋るというタイプではなかったけれど、それをつまらないと感じることはなかったし、俺の話すことに静かに耳を傾ける姿勢はむしろ好ましく、心地よかった。  そうして話をするようになって、聞き出すのが仕事のようなところもある俺は少しずつ彼のことを知っていった。高校を卒業してから地元で就職をしたけれど職場での人付き合いが上手くいかなくて、思い切って仕事を辞め実家から離れたのだと、吉井君は訥々と話した。 「結局は、場所を変えてもあまり意味はなかったですけど」 「そういうものかな」 「場所を変えても自分が元のままだと、何も変わりません」 「難しいなあ」  他人事とは思えなくて思わず呟いた言葉に、吉井君はワイングラスを持ったまま微かに苦笑をもらした。  吉井君とご飯を食べるときは大体がお互いの部屋だったから、たまには外食でもしようと俺のおすすめの居酒屋に連れて行った。どちらかと言えば和食の方が好きだと言う吉井君はたいそう喜んでくれた。その後、あまり飲んだことがないと言うからいつものワインバーに店を移して飲み直すことにした。 「単調な作業自体は嫌いではないので仕事に不満はないですけど、このまま、この生活がただずっと続くのかなと思うと少し、いやになって」 「その気持ちはよくわかるよ」  未来の展望も見えない自分のこの先に鬱屈としているのは俺も同じだった。未来のことを考えると不安になる気持ちはよく分かる。  深い赤色の表面をじっと見つめながら吉井君は、でも、と続ける。 「志波さんと会って、俺の生活に波が立ったんです。俺は今まで少しの波紋が立つのもいやで……いやというのは少し違うかもしれないな。多分、少しの変化も怖かったんです。変わりたいと思っていたはずなのに」  飲みなれないワインが口を軽くするのか、吉井君はいつもになくよく喋った。俺はそれをまるで自分のことのように思いながら聞いている。 「だから、本当はダメなことかもしれないけれど、誰かが自分を変えてくれるのを待っていたんです。きっとそれが志波さんだった」 「ろくでもない出会い方だったけどね」 「それぐらいの破壊力が必要だったんです、きっと」  本当に人との出会いというのは分からないものだ。まさかあんなことがあったあとで、こんなふうに一緒に飲みに行けるような関係になるとは思ってもみなかった。結果オーライという言い方は好きじゃないけれど、最終的には俺にとってもよかったんだと思う。新しい人間関係は新鮮な気持ちになる。 「俺にとっても吉井君に出会ったのは、」 「あれ、哲平じゃんか」  聞き慣れた声に振り返ると、会社帰りらしいスーツ姿の黒崎がお店のドアから入ってくるところだった。ドアを開ければすぐカウンターになっていて、左右を見ればお店の中がすぐに把握できるぐらいの広さしかない。黒崎は断りもなく隣に座ると、俺のグラスに口を付けてから「同じものを」とマスターに言った。 「何でおれに断りもなくここ来てんだよ。電話したんだぞ」 「知らないよ」  言われて携帯電話を見れば、確かに黒崎から着信が入っていた。相変わらず勝手なことを、と思いながら俺は携帯電話をしまった。
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