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「だったら」 「分かってる。分かってるんだけど感情はどうにもならないだろ?本当にもうやめようと思うけど顔を見たらダメなんだよ」 「それはやっぱりどこかでやめる気がないからなのではないですか」 「そんなに簡単に割り切れるもんじゃないんだよ!」  熱くなっているという自覚はあったけれど止めることができなかった。 「人との関係ってそういうものだろ?」 「……好きかどうかも分からないのにですか」 「そうだよ。今までにそういう人がいたことがなかったら分からないだろうけど」  俺の一言で吉井君の顔からすっと表情が消えた。今のは明らかに失言だったと分かっているのに、一度出てしまった言葉は戻らない。確かに顔は見えているはずなのに、まるで髪を切る前の分厚い前髪で感情を覆い隠す、出会ったばかりの頃の吉井君に戻ってしまったようだった。  気まずい沈黙がしばらく続いた。 「……今日は、帰ります」 「あぁ」  足早に立ち去る彼の後ろ姿を見送ってからテーブルに視線を落とすと、彼に出した味の薄いコーヒーはきれいになくなっていて、俺はまたひとつため息を落とした。  そんなことがあって次に顔を合わせたのは翌朝、仕事に行こうと部屋を出たときだった。気まずい雰囲気で別れたばかりだったから俺は気まずい顔を隠すことができなかった。 「おはようございます」 「おはよう」  エレベーターホールに向かう吉井君の背中をぼうっと突っ立って見ていると、不意に彼が振り返って俺はどきりとした。 「行かないんですか」 「いや……行くよ」  思いのほかいつも通りの様子の吉井君に、なんとなく苛立ちながら彼に続いた。エレベーターに乗り込むと二人きりで気まずくて、俺が話さなければ二人の間に会話はないのだと思うと、そっちからだってたまには話せばいいのにとまた苛立った。  会話のないままエレベーターを降りると、挨拶をしてそそくさと背を向けようとした。 「あの」  振り返ると、吉井君はまっすぐに俺を見ていて少しだけ怯む。 「何だろう」 「昨日はすみませんでした。よく考えもせずに色々言ってしまって」  吉井君は申し訳なさそうな顔をしていて、俺はすっと苛立ちが萎んでいった。 「……いや、どちらかというと俺の方が、無神経で」 「昨日一晩考えたんです」  おかげで今日は少し寝不足ですと、吉井君は微笑った。 「人との関係はそんなに簡単に割り切れるものじゃないって、どういうことだろうと」 「それは」 「色々考えて、確かにそうかもしれないと思いました。俺は志波さんがしていることを肯定はできないし、どちらかといえば軽蔑します」  ためらいなく差し出された言葉がざっくりと胸を刺した。穏やかで、絶対に人を傷つけるようなことを言わない性格だと知っているから、それが本音だと分かる。 「それでも俺は、志波さんともう話したくないとかいうふうには思わないんです。そう思う理由は、俺が志波さんのことを好きだからで」  始め俺はそれを、好かれているんなら良かったとしか思わなかった。彼がいつも通りの表情で、天気の話でもするように言ったからだ。  けれどそれは違った。 「俺が黒崎さんとの関係をやめた方がいいと思うのは、別にその代わり自分が付き合いたいとかそう思ってではないです。そうではないですけど、やっぱりやめるべきだと思います」  それではまた、と吉井君はマンションの駐輪場に向かって歩いて行く。エレベーターが軽快な音を立てて開き、知らない住人と顔を合わせて慌てて一歩引いた。ずっとこんな場所で話していたことさえも失念していた。  それくらい動揺していた。
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