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「志波さん、こんばんは」  どきっとして振り返ると吉井君が自転車を押しながら歩いてくるところだった。吉井君を待ってから並んで歩き出す。話題を探して隣を見ると珍しく赤い顔をしていた。 「今日は遅いね。もしかして飲んで来たの?」 「そうです。職場の飲み会があって」 「そうなんだ」 「志波さんは今帰りですか?」 「うん、そう」  車のヘッドライトに照らされる顔は微かに赤くなっているけれど、かといっていつもより陽気になっているとかそんな雰囲気はない。何度も一緒に飲んだけれど、彼が酔っ払ったところを見たことがなかった。酒量でいえば俺とあまり変わらないか、むしろ多いぐらいだからアルコールに強いのかもしれない。 「珍しいんじゃない?飲み会帰りなんて」 「今日は送別会があって」 「仲が良かったとか?」 「お世話になった方が定年退職されるので」 「それは出ないとなあ」  マンションまで来ると吉井君が自転車を停めてくるというので、先に行っても良かったけれどどうせすぐだしと待っていることにした。待っていると思わなかったのだろう、戻ってきて俺を見つけた吉井君は少し驚いた顔をしたあと、はにかむように笑った。俺は眩しいような気持ちで目をそらす。 「今日の送別会は」 「ん?」 「お世話になったっていうのもあるんですけど、こういう職場の飲み会にも参加してみようかなと思ったんです」 「苦手だって言ってなかったっけ」 「そうなんですけど、自分から人の中に入っていく努力もしないといけないんじゃないかって。自分から遠ざけてなかったかなと思って」  それは彼にとってとてもいい変化のように感じた。結局人との関係なんて自分次第のところもあって、例えば連絡を取らなくなった学生時代の友人は、日々の生活とか仕事とかその他の交友関係に流されて疎遠になってしまった。環境が変わったとも言えるけれど結局は自分が積極的に会おうとしなかったからで、それは優先順位が変わっていくということなのかもしれない。  だったとしたら、いまだに着信履歴の一番目に残っている黒崎は俺にとって何なんだろうと考えて、やめた。 「いいんじゃない?そういうの大事だと思う」 「そうでしょうか」 「俺はそう思うよ」 「……そういうふうに思えたのは志波さんのおかげなんです。変わることは恥ずかしいことじゃないんだって」 「俺のおかげなんて、そんなたいそうなもんじゃ」 「これは志波さんのおかげなんです。誰かを好きになるだけで人は変わるものなんだって初めて知りました。おやすみなさい」  いつのまに部屋の前についていたのかなんて、全然気がついていなかった。吉井君の部屋のドアを見つめながら、不意打ちに弱い俺は火照る頬を持て余してため息をついた。
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