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あれからも吉井君とはしょっちゅう顔を合わせていたし、時間が合えばご飯を食べることもあった。吉井君はいつ会ってもいつもの吉井君で、それなのに不意に相手が自分のことが好きなのだと思い知ることがあって俺は参っていた。直接的な言葉を投げかけられるわけではないけれど、その言葉の端に、俺を見る目線に、挙動の一つ一つにそれを感じることがあって、そのたびに言い様のない感情に襲われる。しかしそれは悪いものでは決してなかった。
「志波君はさ、その子のこと好きなの?」
酔っ払った店長が、行儀悪く割り箸の先を俺に向けて言った。いつもの居酒屋は今日も賑わっていて、カウンターに座る店長との距離は近い。勢いに押されて体を引くと隣の客にぶつかって俺は慌てて謝った。七海ちゃんは彼氏とデートらしくて、今日は俺と店長の二人だけ。
「好きかって言われると、嫌いではないというか」
「煮え切らないなあ」
ご不満な様子の店長に「すみません」と謝ると「そういうところがさあ」とまた一蹴されてしまった。
「なんでそうはっきりしないかな」
「そういう性格なんですよ困ったことに」
「そんなんだから彼女できないんだよ」
「ぐうの音も出ません」
「付き合っちゃえばいいじゃん」
あっけらかんと言い放って、店長は口の中に銀杏を放り込んだ。
最近どうなんだとしつこい店長に根負けした俺は、黒崎のことも吉井君のことも洗いざらい話す羽目になった。性別のことは言っていないけれど、それ以外のことは本当に洗いざらいだった。
「不倫はね、絶対ダメ」
「分かってますけど、それは重々」
「でもやめられないんでしょ?だったらその告白された子と付き合ったらいいんだって。やめたいんだったらその人と会う時間を別の人に費やせばいいんだよ」
「そんな自分勝手な理由で付き合えませんよ」
なんでよと怒り気味の店長からビールを遠ざける。そんなに強くないのに好きなものだから、いつも限界まで飲み続けてしまうのだ。
「いいじゃん自分勝手で。恋愛なんて引いたもん負けだよ。ぐいぐい行かなきゃ」
「店長はぐいぐい行ったんですか」
「まあね」
三十代半ばで自分の店を持つ店長は、同棲している恋人はいるけれど独身。よくよく聞かされる彼女の恋人は、確か高校の時の同級生だ。
「もうすぐ卒業って頃に告ったの私が。多分だけど、あいつは付き合い始めたとき私を好きってことはなかったと思う」
「そうなんですか?」
「生まれて初めて女子に告白されて舞い上がって付き合ったってとこかなあ。仲も悪くなかったし。それこそ言ったもん勝ちだったよ。まあ倍率は全然高くなかったけどね」
「まあ学生時代ってそんなものですよね」
「移り気でねえ。実は私も最初はあいつの友達の方が好きだったくらいだし」
「そんなんでよく遠距離続きましたね」
「だから引いたもん負けだって言ったでしょ」
イタズラそうに笑った店長は「だからって常に平穏無事ってわけじゃなかったけどね」と言った。
「ケンカなんて未だにしょっちゅうだし、正直別れるかもなんてときもあったけど。それでも続いたのは私が努力したからだし、まあ相手もそれなりに続けようと思ってくれたからじゃないかな」
「すごいですね」
例えば俺が黒崎との連絡を完全に絶ってマンションも引っ越してしまえば、俺たちの関係は終わってしまうんだろう。あいつはきっと必死になって俺を探すことはないだろうから、そのうちに忘れてしまってそれで終了だ。
そこまで考えて、ふと吉井君は俺を探してくれるんだろうかと思った。
「自分勝手っていうとアレだから、自分がどうしたいかって言い換えてもいいけど」
「自分が、ですか」
「志波君は誰との関係を続けたいの?」
それはとても難しい質問に思えて、俺は考え込んでしまった。吉井君に言われた通り、どうしたって黒崎を拒絶できない俺はあいつとの関係を本当には切りたいと思っていないのかもしれない。言い訳を繰り返しながら黒崎とセックスをする俺は、あいつのことがやっぱり好きだということなんだろうか。考えても答えは出そうになかった。
答えを求めて顔を上げた俺の前には、いつのまにかビールを飲み干して酔いつぶれた店長がいた。
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