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「志波くん今日はお疲れ気味?」
水回りを流しながら大きな欠伸をした俺は、店長に声をかけられて慌てて振り返った。
「いや、そんなことは、ない、です」
「カタコトか!」
大笑いの店長が、今日飲みに行こうと言いだした。
「相方さんに怒られても知らないですよ」
「知らないよあんなバカ」
店長には長く付き合っている恋人がいる。高校時代から続いているその人とは卒業間際に付き合い始めてすぐに、向こうが県外の大学に行って遠距離恋愛。4年経って戻ってきて銀行員になると残業続きでろくに会えない日が続き、まともに付き合っていた期間なんてないんだと、酔ってはよくこぼしていた。
「またけんかしたんですか?」
「あいつマジでムカつくんだけど」
「さっさと仲直りしてくださいね」
「今日はバカみたいに飲んでやる」
店長の中で今日の予定は決定しているようで、俺は逆らわずに今日の仕事の段取りを考え始めた。
「志波くんは付き合ってる人いないの?あ、これってセクハラ?」
「ではないですけど。……いませんよ」
年季の入った飴色の卓袱台をはさんで店長が俺に言った。店から近いいつもの居酒屋に入って乾杯してからさほど経っていないが、店長はすでに出来上がり始めている。酒好きのくせに弱いのだ。元々明るい人だけれど、酔うとさらに陽気になる。
「もったいないなあ、志波くんはいい子なのに」
「何がダメなんですかね……」
今までに付き合ってきた相手には優柔不断だと言われてきた。そしてつまらないとも。その自覚は多分にあって、付き合っても長く続かない。俺にとって一番長く続いているのは黒崎との、ろくでもない関係だけだった。
「だめなんて考えちゃだめだよ」
考え込んでいた俺は、店長の声で我に返った。顔を向ければ思いのほか真面目な顔で俺を見ていた。
「だって君が付き合ってきた人たちと君と、どっちが悪かったなんてわからないでしょう?」
「どうかな……」
俺は苦笑いでごまかした。いつも愛想を尽かした相手に俺が振られる形で終わっていく関係を思うと、自分が悪いとしか思えなかった。ぐっとジョッキを空けた店長が小さくため息をつく。
「世の中さ、うまくいかないよね」
「店長はうまくいってるでしょう。自分の店を持って、ずっと付き合ってる恋人がいて」
「うまく、ねえ」
そう言って店長はカランとグラスの氷を鳴らした。それが、どういう意味なのか俺にはわからなかった。
俺から見れば店長は仕事も恋愛も両立、公私ともに充実しているように思える。仕事は半人前でロクな恋愛もしていない俺に比べれば天と地ほどの差がある。
「そういうものでもないんだよ」
俺の言葉に店長はため息を返した。三十代も半ばに差し掛かった女性には、俺ごときにはわからないような悩みがあるのかもしれない。
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