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「昨日はどうだった?」  七海ちゃんが昼休憩のため外に出たタイミングで店長が言った。俺はコーヒーを注いだカップを2つテーブルに置きながら頭を下げた。 「ありがとうございました。助かりました」 「うまくいったんだ」 「まあ、そうですかね」  何をもってうまくいったというべきかは分からないけれど、当初の目的を達成するという意味では上手くいったといえるかもしれない。ちゃんと向き合って話をして、別れることができたのだから。  二日酔いで頭の痛い俺は、コーヒーだけの昼食だった。反対に、店長は昨日の余り物らしい弁当を食べていて、あの恋人にも作っているのだろうと勝手に推測していた。その店長は、コーヒーのカップを持ったまま俺の顔をじっと見て言った。 「もしかしてなんだけど、この前聞かせてくれたじゃない?ぐだぐたの三角関係」 「三角関係と言われるとなんか……というかあれは聞かせたというより吐かされたって感じでしたけど」 「それって昨日髪を切った友達のことだったりする?」 「え」  昨日この場所を借りたのは、色々あった高校時代の男友達の髪を切るためだと説明していた。店長にはちゃんと話し合うのに髪を切りながらなんて職業病だと笑われたけれど。 「その顔はやっぱりそうか」 「どの顔ですか」 「志波くん、意外と顔に出やすいからねえ。ここを使いたいからって言ったときもただ事じゃなさそうな顔だったよ」 「そう、ですか」  俺だって別に今まで黒崎しか相手がいなかったわけではなく、すぐに別れた人もいれば、長く付き合っていた人もいる。最初の性体験が同性だったから自分はそういう人間なのだと思っていたが、専門学校で同じクラスの女の子に告白された時に特に違和感を覚えなかったから、自分はバイセクシャルなのだと自覚している。でもそれを誰かに話したことはなかったし、親にも一生言うつもりはなかった。  だから正直に困った顔をしたと思う。店長を信用していない訳ではないけれど、どう思われるのかを考えると怖かった。 「聞かれたくなかったならごめんね」 「いや、いいんです。むしろ嫌じゃないかなと思って」 「知り合いに同性同士のパートナーがいるから別に気にならないかな。二人とも高校の同級生でね」 「そうなんですか」 「私にとってはむしろ理想の二人だから」  店長の高校の同級生ということは、もしかしたら同性でありながらとても長い間一緒にいるのかもしれない。だとしたら俺はそれをすごいことだと思う。 「この歳になると親とか友達とかに付き合ってる人いる?とか結婚しないの?とか聞かれるじゃない」 「そうですね」 「そういう時に答えるにしろ答えないにしろ、絶対ストレスにはなると思うの。それでも一緒に居続ける努力って絶対この人じゃなきゃダメだって思わなくちゃできないでしょ?」 「店長もそうじゃないんですか」  どうかな、と店長は苦笑いした。この年頃の女性なら、それこそ俺が想像するよりもいろいろなことを言われるのかもしれない。 「二人のことを思うと、紙切れ一枚にこだわってる自分がバカみたいだなとは思うけどね」 「俺は紙切れじゃなく信頼関係で相手と繋がっているような店長が羨ましいと思います」  普段聞いている愚痴とも惚気ともつかない話とか、この前ほんの少し会っただけの印象だけでも二人の間には長い時間で育ってきた信頼があるように感じたし、それは俺と黒崎の間にはなかったものだと思ったから素直に羨ましいと思った。 「ないものねだりかな」 「そうかもしれないですね」  腕が良くて自分の店を持っているし、決まったパートナーもいて、俺にはなんでも持っているように見える店長にだって悩みがある。当たり前のことだけれどそれは俺を少しだけ安心させた。 「じゃあ今日は失恋パーティにしますかね」 「え、いやですよ」 「なんの話ですか?」  ちょうど帰ってきた七海ちゃんに、店長が嬉々として話し始める。俺はそれを苦笑気味に聞きながら、今日は逆襲とばかりに店長の話を聞き出してやろうと、いつもの店を予約するために携帯電話を取り出した。
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