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「いえ、本当にありがとうございました」
「そんなお別れみたいな言い方しないでよ」
「え?」
驚いた顔をする吉井君に、俺まで驚いた顔を返す。
「引っ越すだけだからね?」
「ああ、はい」
「別にお別れじゃないだろ?」
「そう、なんですか?」
「いやいや普通はそうでしょ。そんなこと言ってたら引っ越す度に友達がいなくなるだろ?」
「友達……」
今初めて聞いたような顔で、俺の方が慌てる。もしかして迷惑だっただろうか。確かに俺たちの出会い方は普通ではなかったけれど、食事をしたり話をするのは楽しいし、そういう関係を友達だというのだと思っている。
「そう思ってたのが俺だけだったら、ちょっとショックかも……まあ自業自得なんだけど」
「いや!そういうわけじゃないです!」
吉井君が大げさに手を振る。その拍子に缶ビールを倒してしまって、テーブルの上は大騒ぎだ。近くにあったティッシュを大量に取ってビールを吸わせている間に、吉井君がキッチンから持ってきた布巾で拭きはじめる。
「なんか、すいません」
「いや、俺の方こそごめん。変な言い方をしたから」
「違うんです。友達なんて、本当に小学生のとき以来聞いていなかったから驚いてしまって。すごく嬉しいです」
「ならよかった」
俺の独りよがりだったらすごく恥ずかしい。大人になると知り合うきっかけが仕事になることが多くて、それ以外で気軽に食事に誘える友人がいるのはとてもありがたかった。
「だから、そうだ携帯の番号を教えてもらおうと思ってたんだ。じゃないと連絡を取り合えないだろ?」
「はい」
吉井君はいかにも不慣れな様子で自分の電話番号とメールアドレスを表示させると、俺の方に差し出した。名前を登録しようとして、ふと気がつく。
「吉井君て下の名前なんていうんだっけ」
「光です」
「ライトの光?いい名前だね」
「自分には似合わないと分かっているんですけど」
「そう?俺は、まっすぐな光って感じするんだけど吉井君は」
とても明るいわけではないけれど、真っ直ぐに伸びていく光を思い描くとちょうど俺の思う吉井君のイメージになる。明るさよりも強さを感じる光だ。しかし当の本人はとんでもないと首を振った。
「俺なんて昔から暗いし、名前負けしてて。本当に昔からそう言われてきたんです。どちらかというと志波さんの方がよっぽど明るい光です。それに俺は志波さんが言ってくれるほど真っ直ぐじゃないんです。だって……」
そう言って一度俯いた吉井君はビールをぐいっと呷って顔を上げた。
「天ぷらが冷めるので食べましょう」
「え、続きは?何か言うんじゃないの」
「食べましょう」
やけ食いよろしく天ぷらとビールを口に入れ出した吉井君を不思議に思いながらも、全部食べてしまいそうな勢いに押されて、俺も食べるのに専念した。
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