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「それじゃあまた今度」
「まだたくさんあるので次は炊き込みご飯にしますね」
「それはそれは」
学生時代から一人暮らしをしていたから慣れてしまったけれど、やっぱりご飯は一人よりも誰かと一緒がいいと思う。
「引っ越したら吉井君の仕送り飯がなかなか食べられなくなるかなあ」
「何か届く度に連絡するし……持っていきますから。だから引っ越し先を」
「もちろん、教えるよ。引越しが終わったら鍋でもしよう」
はい、と返事をするはにかんだ顔の吉井君を見て、俺はこの人に告白されて断ったんだったと不意に思い出した。俺の勝手で友達のままなんて言ったけれど、これは結構ひどいことなんじゃないだろうか。このまま彼に恋人ができるんじゃないかなんて、調子がいいにも程がある。そんなことを考えていたせいで、名前を呼ばれた俺はどきりとした。
「あわよくば」
「え?」
「あわよくば、なんて思っているんです」
「何を?」
少し伸びてきた前髪がさらりと風になびいて、彼らしい真っ直ぐな目が俺を見た。やっぱり光という名前は似合っていると思った。
「俺は一度振られてるけど、志波さんは優しいから友達のままでいてくれて」
「それはどちらかと言えば俺が自分勝手というか、ひどいやつだと思うけど」
「俺はその言葉に甘えて連絡先を聞いたり、新しい部屋に遊びに行く約束をしているんです」
「それは俺も望んでることだし」
「そうやって志波さんの優しいのに付け込んで近しい関係を築いて、それであわよくば」
吉井君は一瞬も目を逸らさないまま言った。
「俺のことを好きになってくれないかなって思っているんです」
短くなった襟足のせいで晒された首筋を風が通り抜けて行く。
あれ、今なんかすごいことを言われたような。
「だから俺は志波さんの言うような真っ直ぐな人間じゃないんです。実は全然諦めていないので、これからもよろしくお願いします」
ぺこりと吉井君が頭を下げて、俺の目の前でドアがぱたんと閉まった。予想外の言葉に俺はドアの前で立ち尽くす。ひとり言をポツリ。
「そう、ですか」
これがドラマとか映画ならここで「カット」と声がかかるのかもしれないけれど、残念ながらこれはまだまだ続くリアルな俺の人生だ。一度振った相手にもう一度告白された場合の対処法なんて、俺の浅い処世術には準備されていない。さて、明日から一体どの顔で彼に会えばいいのか……。
お隣さんの部屋のドアを見ながら思いのほか明るい気持ちで思案したのだった。
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