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「まあ、私の話は置いといて。実際さ、志波くんのタイプってどんなの」 「どんなの、と言われても」 「優しい子とか、大人っぽい子とか。年上年下。背が高い低い、太ってる痩せてる犬派猫派」 「細かいですね。ちなみに店長は犬派でしたっけ」 「そう。でもあいつ猫派なのよね」 「でもうまくいってるわけだ」 「私のことはいいんだって。今は志波くんのことでしょ。好きなタイプは?いろいろあるじゃない」  言われて考えてみるけれど、具体的には思いつかなかった。むしろ最初に思い浮かんだのが黒崎で、いよいよ自嘲した。 「一概には言えませんよね」 「つまんないね」 「気にしてるんで言わないでください」  俺の情けない返答を店長はからからと笑い飛ばした。 「志波くんはちょっと考えすぎなんじゃない?」 「そうですか?」 「たまには思い切ってバカなことしてみたらいいんだよ」  俺は既婚の腐れ縁とずっとセックスだけの関係を続けるようなバカなことをしています、とは言えなくて笑ってごまかした。店長は面白くないと騒いでいたけれど、ずっと一人の人と付き合い続けているような人に、言えるわけがなかった。 「すみません、お願いします」  ぐだぐだになった店長をなんとかタクシーに乗せると、夜の11時になろうとしていた。明日は休みだし、せっかく繁華街にいるのだからもう少し飲んでいこうか。いつもの飲み屋に行こうと歩き出して、止まる。 『少しバカなことしてみたらいいんじゃない』  俺はズボンのポケットに入れていた携帯電話を取り出すと、着信履歴を開いた。その一番初めの番号にかける。コール音が鳴る。 「もしもし」 「あ、俺だけど」 「どした?」  黒崎が囁くように言った。背後からはテレビらしき音が聞こえる。家にいるのだろう。 「今から出られないか」  黒崎は結婚しているから、俺から飲みに誘うことはほとんどない。大体いつも仕事帰りに店に来て待ち伏せているか、電話で呼び出されるか、家に押しかけてくるか。ほとんど俺に決定権はない。 「たまにはお前が俺に付き合えよ」  既婚者をこんな時間から呼び出すなんて、非常識なのはわかっている。それでもたまには俺の都合に合わせてくれてもいいんじゃないか。  俺がひどく緊張しながら返事を待っていると、黒崎が言った。 「今日は嫁の誕生日だから出られねえわ。また今度な」  一方的に告げられて、電話が切れる。俺は携帯電話を耳に当てたままぼうっと突っ立っていた。 「志波さん、そろそろやめといた方がいいですよ」 「もう、一杯」  何杯目かわからないワインを飲み干して、俺はグラスを差し出した。マスターがグラスを受け取る。 「今タクシー呼びましたから」  返されたのはコップに入った水だった。俺はそれを押しやる。ワインを、と言いかけて俺はそのままカウンターに突っ伏した。何もかも忘れたいのにいくら飲んでも頭の中はスッキリしていた。 「歩けますか」 「歩けない」  マスターは俺の脇に肩を入れると、無理やり俺を起こした。頭はスッキリしているのに、体は言うことを聞かない。これじゃあさっきの店長と同じだと思いながら、倒れ込むようにタクシーに乗った。  行先を告げて窓の外を見る。何か話しかけてきていたタクシーの運転手には適当に返していると、それ以上何も言わなくなった。 「ふざけんな」  小さく呟いた声は車の音に紛れたようで、運転手は無言のままだった。  本当に何をしているんだろう。こんな関係を続けてもどうにもならない。もう本当にやめよう。もう十分すぎるぐらいに分かっていたはずだ。いや、ずいぶん前から分かっていたんだ。  黒崎にとって俺は都合のいい存在でしかない。 「お客さん、気をつけてくださいよ」 「ありがとうございました」  タクシーを降りてマンションの前に立つ。まっすぐに立っているはずなのに、ぐにゃぐにゃと崩れ落ちそうだった。なんとか叱咤して歩き出す。エレベーターに乗り込むと、壁に凭れた。しばらくぼんやりとしていたが、動いていないことに気が付いてようやくボタンを押した。それで停まったのは一つ下のフロアだった。 「なにやってんだろ……」  ボタンを押し直して誰もいないのに開いたドアをやり過ごし、次の階で降りた。それのまま歩きながらポケットを探って鍵を取り出す。手元がふらついて何度も鍵をとり落とした。舌打ちをしながら拾って鍵穴に差し込んだがなかなか開かずにまたイライラが募る。と、内側から鍵が開いて俺は心底驚いた。 「何か御用ですか」  中から出てきたのは俺の部屋の隣の住人だった。なんで俺の部屋からお隣さんが出てくるんだ? 「あの……?」  お隣さんは分厚くかかった前髪と大きなメガネのせいで表情はよくわからなかったが、困惑しているらしいことは声からわかった。 「なんで」  俺はもはや立っていられないほどの目眩を感じて倒れ込む。手を差し出されてそれに縋り付いた。  なんでお前は俺が会いたいときにはいてくれないんだ。  思いのほかしっかりと支えられて、俺は体の力を抜いた。見上げるとまっすぐにこちらを見つめてくるきれいな瞳が見えて、ああ前髪をきればいいのにもったいない、と場違いに思った。
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