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 吉井さんはほとんど喋らなかった。こちらから話しかけても一言二言返して口を閉じる。もちろん、そういうお客さまは珍しくない。だから俺も強いて話しかけずにカットに集中した。鏡を見ながら形を整えていく。手の中で姿を変えていく様を見るのが俺は好きだった。  ばさりとクロスを外すと柔らかい髪の毛がふわりと周りに散った。 「いかがでしょうか」  鏡の中の吉井さんに話しかける。吉井さんは驚いた顔をして鏡の中の自分を見ていた。 「よくお似合いですよ」  奥から出てきた店長が言った。  全体のシルエットはあまり変えていない。店長の言ったように、もともと柔らかい髪質で量を減らしてもふんわりとしたボリュームも残っている。それでも前髪はかなり梳いて、隠れがちだった表情がよく見えるようになった。 「ありがとう、ございました」  言葉に反して少し戸惑った顔をした吉井さんの顔色を窺う。 「気に入りませんでしたか?」 「いえ、そんなことはないです」 「そうですか」  いまいち晴れない表情を気にしながらシートを回す。吉井さんは椅子から立ち上がると、周りに散った髪を見渡して小さくすごい、と呟いた。 「こんなに切ったんですね」 「長さはそんなに変えていないんですけどね」  言いながら預かっていた鞄と上着を手渡す。そのまま財布を取り出そうとするから、俺は慌ててその手を押さえた。 「今日のはこの間のお礼ですから」 「いえ、本当にそういうわけには」  こちらも慌てて吉井さんとカウンターを挟んでちょっとした押し問答になる。それを見かねた店長が笑いながら横槍を入れた。 「今回は志波の顔を立ててやってください。その代わり、ぜひまたうちにいらしてくれませんか。もちろん、気に入っていただけたならでいいですから」  それでもしばらく財布を出そうとしていたが、なんとか説得して見送った。 「あんまりいい顔してませんでしたね」 「んー……」  やはり押しつけがましかっただろうか。俺個人としてはとても似合っていたと思ったのだが。 「ま、どう感じるかはお客さま次第。今日はいい勉強になるお客さまが二人もいらっしゃってよかったね」 「そうですね」  店長のように前向きに考えよう。自分だけが満足すればいいわけじゃない。明日はまたいくつも予約が入っている。気を引き締めて頑張ろうと、俺は両頬を強くたたいた。
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