七駅目

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 俺を呼ぶ優しげな声が聞こえた気がして、すべすべした柔らかい肌をなぞっていた手が、止まる。 「一人?」  手を止めた俺を不思議そうに見上げてくるボーイッシュな彼女は、化粧を落とすと子供っぽくなってかわいらしい。歳は変わらないはずだけれど、妹がいたらこんな感じかなと思う。俺はこの子のあどけない素顔が好きだった。 「ユキちゃん」 「なあに?」 「……ごめん」  彼女に覆いかぶさっていた体を起こして、ベッドの柵に背中をもたせかけた。隣で起き上がったユキちゃんが同じように並ぶ。ベッドサイドから煙草をとると口にくわえた。 「どうしても止められないんだよね」  火を点けて小さな唇から煙を細く吐き出す。その匂いはいつも彼女を思い出させた。 「できない?」 「……うん」  そっか、と煙と一緒に吐き出したユキちゃんはベッドの下に落ちていたキャミソールを着て、座りなおす。それからもう一度煙を吐き出した。 「何かあった?」 「なんかっていうか、あったっていうか」 「なあに?」 「なんかこれを言うのは……」  少し口ごもる。 「無神経というか」 「いまさらね」  ざっくりと返されて、俺はがっくりと肩を落とす。ふふっと笑った彼女の長いまつ毛が震える。 「ほんとにどしたの?らしくないなあ」 「あのね、好きな人ができたの」 「マジで?」  心底驚いたように、しばしばと瞬きをしたユキちゃんに見つめられて恥ずかしくなる。なんだか自分が子供みたいだ。途端に立場が逆転して、ユキちゃんはお姉ちゃんみたいになる。 「だれだれ、どんな人?」 「……やさしくて」 「うん」 「料理がうまくて」 「ほうほう」 「かっこいい」 「へー、年下?」 「んーん。年上」  そうなんだ、とユキちゃんはからりと笑った。この子と出会ったのは結構前のことで、恋人ではないけれど彼女に恋人がいないときにはよく泊まったりしていた。さっぱりした付き合いやすい子で、気が合うから普通に遊びに出かけることも多かった。 「だからかあ」 「なにが?」 「できないのが」 「……そうなのかな」 「男の子って本当にナイーブだよね」  ユキちゃんはかわいいし相性も良くて、もう何度もセックスをしている。いつも通りベッドに入って、キスをして、服を脱いで、肌に触れて。けれど、どうしてもできなかった。あの人のことを、思い出すから。 「ごめんね」 「謝るなよう、悲しいじゃない」 「ごめん」  もう一度ごめんを繰り返すと、わしゃわしゃと頭を撫でられた。 「うちの実家にいるわんこみたいですきだったのになあ」  ユキちゃんはいたずらっぽく笑うと、ベッドから降りて服を着始めた。 「じゃあもう終わりだね」 「うん」 「一人はいい加減なとこばっかだけど、すきだったよ。遊ぶのも楽しかったけど、でももう会わない」 「どう、して?」 「一人はあたしのこと本当には好きにならないって分かってたし、それでよかったんだけどね」 「俺はユキちゃんのこと好きだったよ」 「そういうのじゃないの。一回セックスしちゃったらもうそれをしない関係には戻れないから。少なくともあたしはね。だからもう会わないでおいた方がいいの」 「そう、なの」 「うん、会わない」  セックスを抜きにしてもユキちゃんと遊ぶことは多くて、買い物に行っても、食事をしても、楽しかった。友達の少ない俺にとって、ユキちゃんは女の子である以前に友達だったのだと今さら気が付いた。 「そんな顔しないでよお」  大事な友達を一人、失くしてしまったんだ。大切に、しなかったから。もしかしたら恋人にだってなれたかもしれなかったのに。 「告白したの?」 「した、けど。まだ返事は聞いてない」 「そっかー。うまくいくといいね」 「うん」  ちょっと泣きそうになったけど、泣くところじゃないって正に怒られそうな気がしたから、俺は必死で涙をこらえた。
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