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一駅目
「一人はさ、誰のことも好きになったことなんかないでしょ?」
「そんなことないよ」
「じゃあなんで浮気するわけ?私のことも好きじゃないんでしょ?」
「好きだよ。みんな好き」
「最っ低」
顔に向けて投げつけられた鞄は、掴み損ねてそのままマンションの硬い廊下へと落ちた。蓋が開いていたから中身が出てしまっている。大きな音がしたから、中に入っているスマホが壊れてなければいいなと思った。
「あんたの顔なんて二度と見たくない。さよならもう家には来ないで!」
鼻先でバタンと閉められたドアにため息をつく。足元に落ちた鞄を拾うと、スマホを取り出してアドレス帳を呼び出した。正常に動いていることに安堵しつつ歩きながらアドレス帳の一番目から順に、電話をかける。後ろから吹き抜けた夜の風が冷たくて身震いした。
呼び出し音を数えながら三回目で切った。掛けた電話番号を見てこの子は駄目だったと思い出す。
「彼氏と旅行って言ってたっけ」
どうしようかなあと呟きながら次の番号にかける。三回目の呼び出し音で切ろうとしたところで電話が繋がった。
「もしもし」
「久しぶり、元気ー?」
「なんだ一人か。久しぶりだね」
「ねえ急で悪いんだけど今日泊めてよ」
「ああごめん、あたし今彼氏いるんだよね。今は遊んであげらんない」
「俺は別にいいけど」
「ばーか」
フリーになったら遊んであげるね、と言いながら電話は切れる。自宅に帰ってもいいのだが、彼女に振られたばかりで家に一人になるのがいやだった。
「どうしよっかなあ」
気が付けば駅に着いていて、俺は仕方なしに電車に乗る。乗ってから考えればいいか。
沿線の地域住民ばかりが乗るローカル線の電車は、始発駅と最終駅以外は駅員が常駐していない。だからそれ以外の駅では切符を買うのではなく整理券を取って運賃箱にお金を入れるシステムだった。最終電車だからか人は少なくて、シートの一番端に座りスマホを取り出して次の番号にかけると、どうにか泊まる場所を確保した。ただ泊まるからにはセックスをしなければいけないだろうと思うと少しめんどうだった。
「ったく」
斜め前の作業服を着た中年の男がぶつぶつと悪態をついている。この車両に乗客は俺とその男と向こうの方にサラリーマンがいるだけだったから、きっと電車内で電話をしていた俺に言っているのだろう。俺は自分が年輩者に受けが悪いことは分かっているから全く気にしなかった。そういう反応には慣れている。
元々人に嫌われることには鈍感で、ましてや見も知らないオッサンに嫌われたところで少しも気にならない。女の子に嫌われるのは嫌だが、女の子はかわいいと適当に言っておけば機嫌よくいてくれるから楽なものだ。
「ちなちゃんてどんな子だっけ」
今夜泊めてくれるという彼女はどんな顔の子だったか。何人かの顔が思い浮かんで、そうだドラッグストアの子だったとようやく思い出す。
俺のアドレス帳は9割が女の子でできている。男友達はほとんどいない。学生時代からの親友がいるくらいで、そいつにはいつか後ろから刺されて死ぬぞと言われていた。自分でもだらしないことは分かっていたけれど、一人になるよりは刺されて死ぬ方がずっとましだった。
なんで親は一人なんて名前をつけたんだろう。俺は一人になるのが人一倍いやだった。
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