15歳

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15歳

「やだなあ」  机に顎を乗せて数学の参考書を睨みながら、僕は深くため息をついた。  元来、数学が嫌いだった。それは数学と名を変える前の、掛け算の九九の頃からなので筋金入りだ。今でも僕は7の段をうまく言えない。ともかく僕は高校受験の歳を迎え、試験まであと数ヶ月を切ったところでもまだ手応えを感じられずにいた。お前は数学がな、と担任にため息をつかれたのはつい先週のことだった。ため息をつきたいのはお互い様だったけれど。 「大河ー」 「あー?」  一階から母に呼ばれて僕はおざなりに返事をした。この頃、我が家は長年暮らしたマンションから引っ越しをしていた。僕と妹の校区が変わらないようにと、以前住んでいたマンションから少し離れたところにある新興住宅地に一軒家を買った。車二台分の駐車場と小さな芝生の庭がついたその当時流行りのモダンなデザインの二階建て住宅。子供部屋も二つあって、僕は念願の一人部屋となった。ちなみに今となってもまだローンは残っているとのことだ。  ともあれ、階段の下から呼ぶ母と部屋から出ずに返事をする僕のやり取りはすでに何百回と繰り返されている日常だった。二人ともめんどくさがり過ぎだとよく妹に叱られるのもまた然り。この時も何度か呼び合って、結局僕が根負けして階下に顔を出した。 「受験勉強中なんですけどー」 「どーせフリでしょフリ」 「うっせえなあ」 「これ、カボチャの煮物、作ったから」  僕は一旦顔を引っ込めて部屋に戻ると、携帯電話と自転車の鍵をポケットに突っ込んで下へ降りた。 「いつものパシリね」 「誠二くんとこによろしく」 「こういうの、受験生に頼むなよな」 「はいはい、いってらっしゃーい」 「仕方ないから行くけど」  にやにやしている母からできるだけぶっきらぼうにカボチャの入った容れ物を受け取ると、携帯電話を取り出した。着信履歴の一番目にあがっている電話番号を、画面を見もせずにコールする。 「もしもし」 「もしもーし。今家にいる?」 「どしたの」 「母さんがおかず作ったからおすそ分け」 「いつでもどうぞ」  短いやり取りのあと電話を切ると、相変わらずにやにやしている母に対して極力めんどくさそうなポーズをとりながら家を出た。そして自転車に跨ると、誠二君のマンションまでの道をグンと飛ばした。  我が家がマンションを引っ越すいくらか前に、誠二君もあのマンションを出ていた。おばさんが亡くなって四十九日を過ぎた頃に、大学から近い学生向けのアパートに引っ越したのだ。あのマンションはファミリー向けだったから当然だろう。距離が遠くなったからそれまでに比べれば会う頻度は格段に減っていたけれど、大学を卒業し働き始めてからは単身者用のマンションに移って、図らずも我が家から近くなった。それからは、母がおかずを作ると僕が持っていくのが日課になっている。  僕はとりあえず頑張っている勉強の合間を縫って、誠二君の部屋に通っていた。 「お疲れ」 「こんちわー」 チャイムを押してすぐに誠二君が顔を出した。カボチャの煮物が入った容れ物を差し出すと、誠二君は笑って受け取った。 「いつもありがとね」 「いーえー」 「上がっていって、コーヒー淹れるから。冷えただろ?」 「ごちでーす」  背を向けた誠二くんのあとにつづいて、僕は慣れたように部屋にあがった。 「勉強はどうだい、受験生」 「うん、まあ、ぼちぼち」 「濁すね」 「……数学がさ」 「昔っから苦手だもんなあ。7の段を覚えるのに苦労してたもんね」 「ちぇっ」  言うまでもなく、誠二君は僕が小さい頃から知っているわけだから恥ずかしいエピソードもバレバレだし、母親同士の間で話も筒抜けだった。何よりも、大好きだと臆面もなく誠二君本人に伝えていたことが思い返してみればとてつもなく恥ずかしかった。思春期の僕はなんとか何気ないポーズをとるのだけれど、誠二君の前ではどうしても格好がつかない。
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