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僕と依莉が動物園へ行こうと計画していた日、誠二君のお母さんの七回忌をすることになった。昨年は誠二君が仕事の関係でどうしても体が空かず延び延びになっていたのを、お父さんの助言により今年行うことにしたのだそうだ。とはいえ本来なら昨年にやるべきだったものを今さらやるというので正式なものではなく、誠二君とお父さん、それから父方の叔父さんとお母さんの遠縁というごくわずかな身内と僕の家族が集まっただけだった。
おばさんが眠るお寺でお経を上げると、誠二君のお父さんが世話になっているという近くの料亭に場所を移して食事となった。
「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございました。母も喜んでいると思います」
そう言って深く頭を下げた誠二君は、すっかり落ち着いた雰囲気だった。おばさんの葬式の時よりも喪服がしっくりきていた。
食事の席は和やかな雰囲気で、おばさんの思い出に花が咲いた。時の流れは悲しい気持ちも癒すのか、誠二君は始終穏やかに笑っていた。僕は誠二君から離れた席でもっぱら聞き役に徹して、時々母に話を振られては返事をするだけだった。
「大河」
高校に上がったばかりの妹の話で盛り上がっているうちに、座敷からこっそり抜け出していた僕は後ろから声をかけられてびくりとした。振り返ると誠二君が僕を見ていた。
「今日は部活は?」
「え?ああ、元々なかったから」
「そっか」
誠二くんのお父さんが世話になっているという料亭は高級というわけではなかったけれど上品なことに変わりはなく、慣れない食事に肩が凝った。廊下に出て手足を伸ばすと、ポキリと軽い音がする。ついでにと携帯電話を確認すると、後ろめたさから依莉に送ったメールには、気にしないでと返事が来ていた。それには返信せずに、僕はそっとポケットに携帯電話を入れると誠二君と向き合った。
「来てくれてありがとうな」
そう言って、誠二君は窓辺に寄りかかっている僕の横に並んだ。この時初めて僕は自分が誠二君の身長を抜いていることに気がついた。
「いや、そんな改まって言わなくても」
「うん、ありがとう」
「そんなに言わなくていいって。おばさんにはマジで世話になったし」
「母さん、よく言ってたよ。大河はきっとかっこよくなるって」
「がっかりさせなくて済んだかも」
「いや」
誠二君は僕を見上げて眩しそうに目を細めた。
「母さんは見る目があったみたいだ」
僕はそれになんと答えればよいものか考えて、結局何も言わなかった。
「学校はどうだい、後輩」
「まあぼちぼちやってるよ先輩」
誠二君とまともに話したのは、あの15歳の冬以来だった。誠二君のおかげで彼の母校へと入学できたというのに、礼も言っていなかった。顔を合わせないようにしていた、というのが本当のところだったけれど。
「ありがとう」
改めて言うと少し照れくさかった。誠二君が不思議そうに見返してくる。
「いや、ほら……勉強見てもらったおかげで合格できたのにお礼も言ってなかったし」
「それは、大河の努力だから俺のおかげじゃないよ。学校は楽しい?」
「うん、どっちかと言えば」
「そっか」
よかった、と誠二君は屈託なく笑った。
その時の気持ちを、どう説明すればいいのかわからない。僕はあの15歳の冬より前の、まだ当たり前に顔を合わせていた頃に一瞬にして戻っていた。一緒にいることになんの違和感もない、なんの負い目も感じない。不思議と居心地の良さを感じた。その居心地の良さは、僕の心の深い深い場所に刷り込まれてしまっていて。離れていた期間の方が夢だったのではないかとーーー。
「誠二くん、お母さんが呼んでるよ」
惚けていた僕は、妹の声で我に返った。意識を戻すと座敷から海が顔を出して僕たちを見ている。誠二君は返事をすると、窓際から体を離した。
「今行くよ」
「お兄ちゃんもそろそろ戻んなよ」
「あー」
「何やってんの?彼女に電話?」
とっさに目をやると誠二君がこちらを見ていた。僕はなぜか無性に焦りを感じた。
「は?別に違うし。バカじゃねえの」
「は?なんでそんな怒っての?意味わかんない」
咄嗟に弁解しなければ、と思った。ともかく誠二君に弁解しなければならないと。けれど次に顔を向けた時にはすでに座敷に入ってしまったところだった。
「なに怖い顔してんの」
「……なんでもねえよ」
僕は海の横を通り抜けて座敷に戻った。そのあと、斜め向かいに座る誠二君と目が合うことはなかった。
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