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この時の僕は、本当にバカだったと思う。思いがけない反撃に窮して、即答すべきだったのにそれをしなかった。そんな僕を、バカにするように依莉は笑った。彼女には不似合いな笑い方だった。
「やっぱり大河はあたしのこと好きじゃないんだね」
「いや、違うって。好きに決まってんだろ。じゃないと付き合ったりしない」
「嘘だよ。気付いてたんだもん」
「何を」
「大河は誰か他に好きな人がいるんでしょ」
僕は強く殴られたような衝撃を受けていた。依莉がまだ何か言っていたけれど、僕はほとんど聞き流していた。ただ最後の一言だけはクリアに聞こえた。今でも、その声のトーンから息遣いまで覚えている。
「ーーーだから、別れよ、あたしたち」
そう言った依莉はもう泣いてはいなかった。瞳は濡れてはいたけれど、涙は止まっていた。流しきってしまったそれと一緒に、僕のことも彼女の中からいなくなってしまったような気がした。
それからどうやって帰ったのかわからない。依莉になんと返事をしたのかも覚えていない。ただ怒っていいのか悲しめばいいのかわからなくて混乱していた。
ふと視界を何かが掠めて、のろのろと歩いていた僕は我に返った。思いのほか深く思索の海に沈んでいたらしい僕は、ようやく空を見る。眼前を横切ったのは、どうやら雪のようだった。
「大河?」
聞き慣れた声に呼ばれて、僕は密かに息を詰めた。なぜこんな時に限って会ってしまうのだろう。けれどどうしようもなく抗いがたい引力に引かれて、僕はゆっくりと振り返った。
「ああ」
ひらひらと舞っている雪の中に、誠二君が立っていた。
「どうかしたの?」
いつもの柔和な表情を浮かべていた誠二君は、僕と目が合うと気遣わしげに眉を寄せた。
「なんでも、ない。なんでもないよ」
「……そう」
「そっちは?仕事休み?」
「うん。ちょっと用事があってね」
「ふうん」
それからしばらく立ち話をしてから誠二君と別れた僕は、家に着くと一直線に部屋に入った。階段を上がる前に母の怪訝そうな顔を見た気がしたけれど無視した。ドアを閉めてカバンを放りやるとベッドに倒れこんだ。
「あーあ」
僕は誠二君のことなら大抵のことは覚えている。それがどんなに些細なことであってもだ。けれどこの時に話したことは全く覚えていなかった。頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「最悪……」
依莉が言った言葉が突き刺さる。涙目の、諦めたような冷めた顔。まるで似合わないその顔が何度も浮かんでは消えた。そんな顔をさせたのは僕自身だと気がついたのは、もっと後になってからだった。まるで子供だったのだ。
自然と視界が滲んで、涙が流れて落ちた。それが依莉に振られたからなのか、それとも未だ片思いを引きずっていることに気がついてしまったからなのかは分からなかった。目元を乱暴に拭う。
「とっくに終わったはずだったのになあ」
あの15歳の冬から二年。あの時抱えていた思いはとっくに捨てたつもりだった。けれど捨てたつもりのそれは、本当は心の隅っこに追いやっただけで、本質的には変わらずずっとそこにいたのだ。それを今になって思い知った。
「どうしたら」
どうしたらいいのか、もうわからなかった。離れても、思い出さなくても無くなってはくれない。
僕は未だに誠二君に片思いし続けていたことを、自覚した。
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