22歳

4/6
前へ
/29ページ
次へ
(18歳)  見上げるとひらひらと雪が落ちてきた。手を伸ばしてそのひとひらを掬うと、それは手のひらですうと溶けた。 「大河、さっさと乗って」 「んー」  雪で濡れた手を払った僕は、呼ばれて母の車に乗った。 「先生なんて?」 「よく受かったなーって」 「あんたギリギリだったからね」 「先生にも言われた。運が良かったなって」 「ほんとだ」  母に笑い飛ばされて、ふてくされた僕は窓の外を見た。雪が窓に当たって縁にたまっていく。「ちゃんとお礼言った?」と聞かれてはいはいと適当に返事をした。 「今度の日曜に冷蔵庫買いに行かないとね」 「パソコンも買って」 「は?」 「大学入ったらいるんだって」 「ほんとかよ」  なんだかんだと適当に理由を並べて母の言うことを聞き流しながら、ずっと窓の外を見ていた。その日の夕飯は赤飯が出て、やたらと気恥ずかしかった。 「大河、これ誠二くんに持って行ってくれない?」  自室でごろごろしていた僕は、びくりとしてドアの方を見る。母が小さな手提げを持っていた。 「さっきの赤飯」 「は?なんで俺が」 「あんたのお祝いでしょ。よろしくー」  赤飯の入った手提げを押し付けられた僕は、どうしても行かない理由が見つからなくて、のろのろと家を出た。  誠二君に会うのは昨年の冬以来で、ひどく緊張していた。部屋の前で何度も息を吐いて、チャイムを押そうと手を伸ばしては下ろしてを繰り返した。踏ん切りがつかないのにマンションの住人に不信な目で見られて、僕は勢いに任せてチャイムを押した。どうかいませんようにと祈った。 「大河?久しぶり」  必死の祈りもむなしく誠二君が顔を出して、にわかに心臓がバクバクと拍動した。けれどそれが何に対してなのかは分からなかった。 「えーと、お裾分け」  中身が赤飯であること、それが大学の合格祝いであることを話すと、誠二君はとても喜んでくれた。 「そうか、大河もとうとう大学生か。どうりで歳をとるわけだなあ」 「それっておっさんの言うやつじゃん」 「そうだな」  そう言って笑う顔は、初めて会った時から変わっていなかった。懐かしさに込み上げるものを慌てて飲み込んだ。 「引っ越しの準備しないとな」 「うん」 「一人暮らしはいいよ」 「かもね……ほんとはちょっと迷ってるんだけど」  今となっては親元を離れて一人暮らしを始めたことは、よかったと思う。けれどこの時は期待とともに不安もあった。向こうの大学に行ってしまえば家族はいない、仲のいい友人もいない。誰も知っている人がいないのだ。 「ほんとに一人でやってけんのかなーって」 「そんなの、どうにでもなるよ」 「わかんないじゃん。友達も……できないかも」 「大丈夫だって」 「一日中誰とも話さないとか」 「大河は大丈夫」  そう言って誠二君は笑った。  家族とは離れたって家族だ。今は携帯電話があるから地元の友達とは電話やメールで話すことができる。でもそれだけじゃなくて。 「誠二君に忘れられそう」  たった四年の間に。もしもそのまま向こうで就職して、帰って来なければずっと。  けれど僕の言葉に誠二君は笑った。子供の頃から見慣れた、僕が大好きだったその顔で。 「俺にとって、大河も海も、おじさんとおばさんもほとんど家族みたいなものなんだ。今さら忘れるはずないだろ?たとえ二度と会えなくなったって忘れないよ」  安堵と焦燥、恋しい気持ちと諦念、そしてここに残りたいのに一刻も早く離れたいという、衝動。 「大河?」 「あ……」  下から覗き込まれて僕は、身を引いた。瞬きの拍子に涙が落ちる。 「もう帰るわ」 「大河」 「赤飯はあっためてから食べてって」 「おい」 「あれだったら母さん作り過ぎたって言ってたからお代わりあるし」 「大河、」 「それじゃあ」 「待って」  慌てて階段を駆け下りる。後ろから誠二君の声が追ってくる。僕は一心不乱に走った。  悩んでいたのだ。一人になるのが不安だったのもある。けれどそれよりも何よりも、まだ誠二君のことが好きだから。  そばにはいられなくてもせめて、近くにいたかった。この期に及んで、まだ。 「もうほんとに無理……」  マンションを飛び出したところで立ち止まり、空を仰ぐ。頬に雪が触れた。  諦めることに疲れて想うことに倦んで、それで僕は遠く離れたところへ逃げ出したのだった。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

74人が本棚に入れています
本棚に追加