23歳

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 覚えている、あれは。  雪の日。  依莉と別れた日だ。 「あの時も大河は泣きそうな顔をしてた」  僕はあの時そんな顔をしていたのだろうか。思い出の中では自分の顔は映らない。誠二君がどんな顔をしていたかはよく覚えているのに。 「何度も『どうかしたのか』って言おうと思った。でも言えなかった。俺にいったいなんの権利があってそんなこと言えるんだって、思って」  誠二君がそんなことを思っているなんて考えたこともなかった。でもそれは当たり前で、誰しも自分のこと以外は分からない。だから相手を思いやるんだ。 「少しずつ大河が大きくなるにつれて、一緒にいる時間は少なくなった。距離が遠くなるといろんなことを考えるようになって……ごめん何が言いたいのか分かりにくいね」  僕は首を振った。誠二君が僕をとても大切に思ってくれていることは分かった。だからそれでいいんだ。僕も誠二君が思ってくれているように大事にすればいい。今はまだ無理でも、時間が経てば自然にそう思えるようになる日がきっと来る。 「俺たち家族は、誠二君にとっても家族なんだって分かった。それで十分」 「違うんだ。そうなんだけど、そうじゃなくて」  だから、と誠二君が言った。 「俺には、家族への愛情とそれ以外の思いとの境界線がよく分からなくなってきたんだ」 「境界線?」 「俺がどんなに大事に思っても、おじさんやおばさんが俺を家族のように扱ってくれても、やっぱり俺は本当の意味では家族にはなれない。当然だ。それは冷めてるんじゃなくて、事実として。大河は本当の弟じゃない。それでも俺は他の誰でもない君が泣いていたら、慰めてあげたいと思ってる。だったら」  だったら? 「それは恋愛としての思慕と何が違うんだろうと思ったんだよ」  それはどういう意味? 「君を特別だと思うなら、それでいいんじゃないかって」 「いや、本当に、同情とかならいらない、から」 「そんなわけない」  部屋の中はいつの間にか暗くなっていた。この季節は夜になるとまだ冷える。窓から入ってくる風がカーテンを揺らしている。温かな指先が、俺の冷えた左手を掴んだ。じんわりと溶けていく体温。 「大河が俺を選ぶことで、君の人生を狭めることになるかもしれない。それでも君が俺を選んでくれるっていうなら、泣かないように、もし泣いてしまっても止めてあげられるように、そばにいたいと思ったんだ。遅いかもしれないけど」  それが、大河がくれた想いへの答えにならないかな。 「それって」 「うん」 「それって誠二くんが」 「うん」 「俺のことがすきってこと?」 「うん、そうだ」 「だったらもっと」 「うん」 「わかりやすく言えよ」  一瞬だけきょとんとした顔で僕を見たあと、誠二君は笑った。 「俺は、大河のことが好きだよ」  涙でぼやけた視界をまぶたで遮る。下を向いたら右手に涙が落ちた。掴まれていた手が離れる。けれどそれと同時に背中に腕が回されて、僕はいっそう泣いてしまった。こんなに泣くなんてかっこ悪くて仕方ないけれど、誠二君の前では今さらなことなので僕は思う存分に泣いた。もうずっと前から僕の方が誠二君より大きくなっていたけれど、僕を抱きしめてくれる腕の中は昔と変わらず大きかった。
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