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「くも!」
「そうだね」
「いえ!」
「本当だ」
「はな!」
「うん」
「むし」
「ちょうちょだね」
「ちょうちょ?」
花にとまったレモンイエローの蝶をすぐ近くで見つめていると、寄り目になる。
「モンキチョウかなあ」
「モン?」
「ちょうちょの種類だよ」
「しゅ、るい?」
初めて聞く言葉に不思議な顔をすると、隣で一緒に蝶を見ていた誠二くんが笑う。僕は誠二くんが笑うと嬉しくなるので一緒に笑った。
春の散歩道は子供には発見が目白押しだ。雲の形、道端の花、目の前を横切る虫、すれ違う犬。僕は視界に入ってくるありとあらゆる情報を取り込むのに一生懸命で、矢継ぎ早に目に付いたものを口にする。今と同じ僕なのに、その当時の感覚は思い出せない。子供の見ている世界はとても不思議だと思う。
例えば今、見ている世界が分からないものだらけになったとしても同じようにポジティブではいられないだろう。きっと怖くておどおどと慎重になるに違いない。まああの頃は常に誰かの手を握っていたから恐れ知らずだったのかもしれないけれど。
「ほら、今から飛ぶよ」
見ていると、蝶は閉じていた翅を開き始めた。そしてふわっと重力をすり抜けて浮き上がり、忙しなく翅を動かした。
「ふわあ」
「すごいねえ」
「モンキチョウ」
さあ行こうか、と立ち上がった誠二くんが僕の手を引いた。その手をしっかりと握る。小さな僕は、この手が離れることなんて絶対にないと思っていた。
その頃は誠二くんとよく散歩に行っていて、帰ると僕の家で麦茶を飲むのが日課だった。母は完全に僕のことを誠二くんに任せっぱなしだった。
「いつもごめんね、遊んでもらっちゃって」
「全然かまいませんよ。大河くんはいい子だから」
ね、と笑いかけられて僕は何がなんだかわからないくせに、誠二くんが笑顔だからと元気よく頷いた。まだ出会って数日しか経っていないのに僕はかなり誠二くんに懐いていて、普段の人見知りから親を大いに驚かせた。
「それに、まだこっちに友達がいなくて。気も紛れるので」
その当時の僕は知らないけれど、誠二くんの両親は離婚したばかりで、実家を頼ってこの町に戻ってきていた。誠二くんのお母さんはもちろん、誠二くん自身も慣れない環境で大変だったようだ。僕はといえばそんなことは全く知らないから、いつも遊んでくれて嬉しいぐらいにしか思っていなかったけれど。
「うちの子がこんなに懐くなんて珍しいのよ。めんどうじゃない程度に遊んであげてね」
母は結構おおざっぱで、あっけらかんとした人だから誠二くんに僕を預けるとあとはほったらかしだった。今思えば、あの年頃の男子がよくこんな子供に付き合っていたなと思う。僕ならとても無理だ。
「俺が飽きられないうちは遊んでもらいますよ」
大人はみんな付き合ってあげてる、という態度だったから誠二くんの言葉からは対等に扱われている感じがして、とても僕を満足させた。まあ、つまりはとても幼かったのだけれど。
「また、あそぼうね」
「喜んで」
誠二くんがにっこり笑う。3歳の僕は、誠二くんのことが大好きだった。
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