その後・贅沢な時間

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その後・贅沢な時間

 適度に効かせたエアコンのおかげで部屋の中は快適な温度だった。外は照りつける日差しが刺すようで、1分でもじっと立っていられないほど。しかしそんな外の暑さとは無縁の室内は暑くもなく寒くもない、まさに適温。この快適な空間の中で、俺は年下の恋人がDVDをセットする背中を見ていた。 「これ開けるボタンどこ?」 「右端の方に開閉って書いてあるよ」 「どこ……あ、あった。これ分かりにくいよ絶対」  ビデオデッキに向かって小言を言っている大河の背中で俺は気づかれないように笑った。なぜ気付かれないようにかと言えば、俺がおかしかったのは彼が子供の頃を思い出したからで、そして大河は何よりも子供の頃の話をすると嫌な顔をするからだ。  ひょんなことから付き合うことになったけれど、母を亡くした俺にとって大河たち一家はほとんど家族も同然だった。その中でも特に大河と過ごした時間は一番長い。歳が十も上なものだから、残念ながら彼本人が覚えていないことも俺ははっきりと覚えているわけで。それが大河には気に入らないのだ。 「セットできた?」 「ばっちし。去年めちゃくちゃ流行ってた時に見れなくてすごおく残念だったんだよね」 「うん、うちの職場でも若い子はみんな見てたよ」 「誠二君が見てなくてよかった」  俺の隣に座った大河がリモコンを手にして言った。  見たかった映画がレンタルショップで新作になってたから一緒に見ようと大河から連絡があったのが昨日の夜のこと。明日は土曜日で予定もなにもないからいいよと言えば、明日行くとだけ言って電話は切れた。そうして昼前にやって来た大河と一緒に昼ごはんを食べて、さて映画を見ようかとなった。 「そんなに面白いんだ?」 「さあ、分かんないけど。でもすごく話題になってたから気になってたんだ。たまたま行ったらたまたま見つけたから借りて来た。ほんとは何を借りに行ったのか忘れちゃったけど」 「忘れるくらいだからいいんじゃない?」 「そうかもね」  あっけらかんと笑って大河がコーラをグラスに注いだところでちょうど映画が始まった。 「やっぱり面白かった。どうだった?」 「面白かったよ」 「だよな」  あの主人公がさ、と話す大河はいかにも楽しそうで俺はうんうんと相槌を打つ。  本当のところを言えば映画はすごく面白かったというほどでもないのだけれど、隣で一喜一憂している大河を見ているのがとても楽しかったし、映画館じゃないから気にすることなく会話をして声を上げて笑った。大河が感情のまま素直に怒ったり笑ったりしている姿は非常に好ましい。今もストーリーについて喋っている大河の話の方が映画本編よりもよっぽど面白いと思う。 「月曜日、会社のやつに面白かったって言わないと。すごい自慢してくるからさ。まだ見てないのかよって」 「よかったな」 「うん、でももしかしたら誠二君と一緒に見たからすごく面白く感じたのかも。やっぱ誰と一緒に見るかは大事だよな」  快適な部屋で、大切な人と一緒に過ごす時間をとても愛おしく思うし、幸せだなあと思う。俺にとってこれ以上に贅沢な時間はない。 「俺も映画館で見るよりも部屋で大河と話しながら見る方が楽しかったと思う。やっぱり大河のことが好きだからかな」  コーラを飲み掛けていた大河のキョトンとした顔を見ると、俺はまた小さい頃を思い出した。でも、それから不機嫌そうな、その実ただの照れ隠しの顔をした大河は、俺のよく知っている大人の彼だった。 「不意打ちでそういうこと言うんだから」 「いいじゃないか」 「いいんだけどさ。じゃあ月に一回は映画の日にしよう」 「いいね」 「次は誠二君が選んでよ」 「俺は大河が選んだ映画が見たい」 「ずるいんだから」  じゃあどうしようかなあと呟いている大河に、何でもいいよと俺は言った。きっと、恋愛映画でもすごく怖いホラーでも泣けるほど悲しい話でも、大河と一緒に見るのならどんな映画だって俺にとっては同じことなのだから。
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