6歳

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「ね、大河くんも謝ろっか」  先生がもう何度目かの言葉を口にしたけれど僕はだんまりを決め込んでいた。ため息をつかれてさらに意固地になって口を閉ざす。目の前にいる同じ歳の友達は、すでにごめんなさいと謝っていた。この場を膠着させていたのはどう見ても僕だった。 「謝ってないのは大河くんだよ。お友達とケンカしたらどうするんだった?」  なおも謝ろうとしない、むしろ理由も述べない僕は完全に困った子供だった。実際、お迎え待ちの子供たちを世話する当番だったらしい小夜先生は非常に頭を抱えたことだろう。  それまで仲良く遊んでいたはずの僕とたっくんが急にケンカを始めた時には、残っているのは僕らのほかに、あと数人しかいなかった。そのうちの一人が少し手のかかる子で、その子にかかりきっていた小夜先生は、だから僕らのケンカのきっかけを全く見ていなかったのだ。 「どうしても謝りたくないの?」  僕は首を縦にも横にも振らずにただ黙っていた。そうこうしているうちに、たっくんの親が迎えに来てその場はうやむやになった。しばらく部屋の隅でいじけていた僕は、優しく肩を叩かれて顔を上げた。 「大河くん、お兄ちゃんが迎えに来たよ」  小夜先生が指差した先に、ブレザーを着た誠二くんがいた。  その日も母は仕事が遅くて、迎えに来たのは誠二くんだった。幼稚園にはなんと説明していたのか知らないが、誠二くんは先生たちにお兄ちゃんと呼ばれていた。 「遅くなってごめんね……どうかした?」 「実はちょっとお友達と」  僕の顔を見て怪訝な顔をした誠二くんに、小夜先生がことの顛末を話そうとした時だった。 「せ、せいじくんっ」  僕は大泣きしながら誠二くんに駆け寄ってしがみついた。 反射的に僕の背に回した誠二くんの手は冷たかった。 「どうしたの?」 「ぼく、ぼくは」  ほとんど泣きじゃくって言葉にならない僕は、ただただ誠二くんの制服を握っていた。しゃがんで抱き寄せてくれたから、僕は目の前の首に腕を回してしがみついた。 「だーいじょうぶだよ」  喘ぐように泣いている僕の背をさすりながら、誠二くんが言った。そののんきだけれど優しい声を聞いたら僕は安心してしまって、それから小一時間泣き続けた。後にも先にもこんなに大泣きしたことはなかったと思う。 「すいか」 「からす」 「すずめ」 「めだか」 「かかし」 「かかしってなに?」 「田んぼに立って、鳥を追っ払うひと、かなあ」  ふうん、と僕は気のない返事をした。本当のところ、僕は「かかし」に興味はなかったのだけれど、さっき子供みたいに(実際子供だったのだけれど)大泣きしたのが決まり悪かったから聞いただけだった。 「そういえばかかしって見たことないね」 「ふうん」 「まあこの辺りは田んぼがないからなあ」 「田んぼしかいないの?」 「畑に、いたっけ?」  うーんと唸っている誠二くんの背中で、僕は暮れていく夕日を見ていた。家々の屋根に沈んでいくたいそう美しい太陽を今でも鮮明に思い出すことができる。空は強いオレンジに染まりながら夜に向かってグラデーションを始めていた。しがみついた体は温かくて、歩くリズムの心地よさとあいまって実は少しだけ眠かった。
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