10歳

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 葬儀は郊外にあるセレモニー会館で行われた。家からは車で一時間弱。誠二くんのお母さんの生家にほど近い場所だったそうだ。なだらかな山の麓の比較的広い土地にあり、奥にはこじんまりとした日本庭園のようなものまであった。  大人たちが挨拶に追われる中、いつもない非日常的な空気に疲れて、僕と妹は芝生の上で伸びていた。たまたま目をやった先に誠二くんが見えて、僕は妹に待っているように言うと誠二くんを追った。 「お疲れ様」 「今日は助かったよ」  広いとは言えないがなかなか立派な庭の真ん中に池があって、その端に松があり並んで人が座れるようになった石が置かれていた。そこに誠二くんが座っていて、その目の前には知らない女の人が立っていた。喪服を着ているから参列者なのだろうけれど、見覚えがなかった。 「こういうのやったことないからおろおろしちゃって全然だったけど」 「そんなことないって。いてくれて本当に助かった。無理言ってごめんな」 「何言ってるの当たり前でしょ」  髪をきちんと結い上げて黒いワンピースを着たその人は、まだ若そうだった。大人の年齢なんて僕には分からなかったけれど、誠二くんと同じくらいの歳だろうと思った。 「お父さんとは話せたの?」 「うん」  僕は完全にタイミングを失って、二人の会話を盗み聞きすることになってしまった。立ち聞きするのもどうかと思ったけれど、それはそれで立ち去るタイミングも逃してしまっていた。 「思ったよりも普通に話せた。もっと恨みごとも言ってしまうかと思ったけど」 「そっか」 「うん。多分、いろんな人が助けてくれたから余裕があったのかもしれないな」 「それは誠二とお母さんが人に優しくしてきたからだよきっと」 「どうかな」  照れたように笑う誠二くんは、僕がいつも見ている彼より少し幼く見えた。僕にとって誠二くんは初めて会った時からずっと、いつだって大人だったから、そんなふうに思ったのは初めてのことだった。 「母さんともちゃんと……たくさん話すことができた。多分、今まで生きてきた中で一番たくさん話したと思う」 「そっか」 「いろんなことを聞いたけど……でも」  誠二くんはその日初めて俯いた。 「もっと、話したかった」 「……うん」 「もっといろんな話が聞きたかった。父さんのことも、俺のことも。今までどんなふうに生きてきたのか、若かった時のこととか、仕事のこととか。俺の話だって聞いて欲しかったし、もっと……っ」 「誠二」 「もっとそばにいたかった」  誠二くんの前に立っていた女の人が屈んで、座っている誠二くんと目線を合わせる。 「大丈夫?」  最初僕は、誠二くんが泣いていることに全然気がつかなかった。けれど静かに嗚咽が聞こえて、ああそうか、お母さんだって泣いていたんだから、誠二くんだって泣いたりするんだ、と思った。 「俺は」 「うん」 「母さんに、何もできなかった」  誠二くんの前に立っていた女の人が腕を伸ばして背中に手を回した。誠二くんも同じように女の人を抱きしめた。僕はそれを見ながら昔、妹がデパートの中で迷子になった時のことを思い出していた。案内所で店員のお姉さんと手をつないでいた妹は、母が現れると今までつないでいた手をさっと振りほどき一目散に駆け寄って母にしがみついていた。心細くて仕方ないとでも言うように。あれは妹が5歳ぐらいの時だった。 「もっと、いろんなことをしてあげればよかった」  背中に回した手が、ぎゅっと喪服を握るのが見えた。 「誠二はちゃんとやったよ。わたしはちゃんと見てた。お母さんが話してくれたの。誠二を産んでよかったって。あの子に会えてよかったって。だからそんなに悔やまないで」  多分、とても小さな声で誠二くんはありがとうと言ったと思う。僕は気付かれないようにその場をそっと逃げ出した。 「ああ、あの子ね、誠二くんの彼女よ」  折りに詰められたおかずを皿に移しながら、母が言った。父は、ああなるほどとテレビから母に視線を移した。 「葬儀の間もよく動いてたから、親戚の子かなと思ってたんだが。そうか、彼女か。いい子そうだったな」 「真知子さんのお見舞いに行ったらよく会ったのよ。いろいろお世話してたみたいで。本当の親子みたいだった」 「そうかあ、それなら真知子さんも少しは安心して逝けたんじゃないかな」 「そうね」  僕はぼんやりとテレビを見ていたけれど椅子から立ち上がった。 「お兄ちゃんどうしたの?」 「あらあんたご飯は?」 「別に」  それだけ言うと、僕はリビングを出た。背中に、初めての葬式で疲れたんだろうと父が言うのが聞こえた。自室に戻るとベッドにうつ伏せに寝転んだ。そしてリビングに聞こえないように、なるべく声を出さずに泣いた。  僕は、僕以外の世界を知らない。それは当然なのだけれど、子供だった僕はそんなこと知らなかったのだ。自分の知っている以外の世界があるなんて。 「誠二くん」  早く泣き止まないと妹が戻ってくるかもしれない。この頃住んでいたマンションには子供部屋が一つしかなかったから、妹と同じ部屋しかもらえなかった。それをこの時ほど嫌だと思ったことはなかった。  僕は初めての失恋をした。 「いやだよ……」  僕は相変わらず子供で、そして誠二くんのことが好きだったけれど、ただ好きでいるだけで幸せだった頃にはもう戻れなくなっていた。
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