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例え代わりでも
義隆がアリスと別れると言ってから、数日が経った。しかし未だに、義隆はアリスに別れを告げられずにいた。気持ちは梢にある、それは間違いない。しかしアリスとも二年付き合っていて、情がない訳では無い。強がっているようで、本当は脆い面も知っている。だからなかなか別れを切り出せずにいた。
アリスと義隆が出会ったのは、二人が務めている製薬会社の研究所が新しく東京に出来た時だった。小田原の研修所から移動になった研究職の義隆と、横浜の営業所から人事総務として移動になったアリス。職種が違うので同期とはいえ、お互いの存在は全く知らなかった。
「叶さん、交通費の申請と住所移動の申請、期限過ぎてますよ?早く出して下さい」
「あ、大谷さんごめんね?用紙家に忘れちゃって。書いたんだけど・・・明日持ってくるから、今日は許して?」
「もう、明日はちゃんと持ってきて下さいね」
移動したばかりの頃は、仕事をきっちりしたいアリスにとって、人事系の書類をなかなか出してくれない義隆の印象はあまり良くなかった。
義隆もとくにアリスをしっかりした同期ぐらいにしか思っていなく、異性として意識したことはなかった。
でもお互いに、研究職なのにイケメンの義隆は目立っていたし、ハーフで可愛らしい顔立ちのアリスは男性社員に人気があることぐらいは知っていた。
その関係に変化が生じたのは、ある出来事がキッカケだった。
その日のアリスは、イレギュラー対応をしていたせいで仕事が溜まってしまい、定時に仕事を終えることが出来なかった。
「大谷さん、大丈夫?終わらないなら手伝おうか?」
同じ人事総務の女の先輩が声を掛けてくれた。しかし完璧主義なアリスは、自分の終わらない仕事を先輩にお願いするのに気が引けてしまった。
「大丈夫です。終わらなかったのは私の責任なので。自分でやります」
「でも二人でやった方が早く終わるし、手伝うよ?」
「本当に大丈夫です。先輩、私に構ってる時間があるなら、もっと他の事に使った方が有意義ですよ?じゃ、お疲れ様でした」
アリスはそう言うと、先輩の申し出を断ってしまった。本当はもっと柔らかい、角の立たない言い方があるのも分かっている。でもどうしてもいざとなると上手い言葉が思い付かなくて、冷たい言い方になってしまう。それはアリスの悩みのひとつでもあった。
「あれ?大谷さん残業?」
しばらく一人で残っていると、同じく残業していた義隆に声を掛けられた。自動販売機と休憩スペースは事務フロアと兼用なので、飲み物を買いに来たようだった。
「お疲れ様です。少し終わらなくて・・・叶さんも残業?」
「うん、俺は新製品の発表迫ってるからさ。ってか、一人で残業なの?珍しいね」
「うん、終わらないのは私の仕事だから」
「大谷さんは責任感強いんだね」
「え?」
「誰にも頼らないで、一人でやるなんてさ。まぁ、あまり無理しないで」
義隆はそういうと、缶コーヒーを机の上に置いて、
「これ、あげる。お互いがんばろ」
と、言って仕事に戻って行った。
その人懐っこい笑顔に、アリスは自分の胸が高鳴っていくのを感じた。
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