くる、くる、くる。

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 ***  そう、思っていたんだけど。  その日あたりを堺に、先生は自分でも筆を取って、部活動の時間帯に油絵を描き始めたんだよな。それも、オレンジ色の夕焼けの世界に浮かぶ、真っ黒な怪物の絵を。 「何なんですか、これ」  ある程度絵が出来上がってきた頃に俺が尋ねると、先生は嬉しそうに言ったんだ。あの絵は本物だった、本当に祖父さんの言う通り何かが憑いていたみたいだ、って。 「見えてるの、俺だけなのかね。ドアの向こうからさ、徐々に怪物が道を辿ってこっちに向かって歩いてくるのが見えるんだよ。そいつは真っ黒で猫背で、ただ顔には巨大な引き裂けた口だけがついてるんだ。歯を剥き出しにして、毎日凄くゆっくりと、確実にこっちに近づいてきてるんだよな。絵の中に怪物を閉じ込めるなんて、どんだけ才能のある画家が描いたんだろうなあ!」  俺はその化物を描いてみると決めたんだ、と先生は笑っていた。 「まあ、俺はそこまでの力なんかないし、化物を描いたところで絵の中に動く化物を閉じ込めるなんて人間離れしたことなんぞできないんだけどな。はっはっは」  笑い話、なのだろうか。俺は違和感を覚えるほど楽観的で呑気な先生を見ながら、壁にしっかりと陣取っている“昼と夜の間”を見た。  先生の言葉が幻覚でもなんでもないことに、既に俺自身気づいている。  見えているからだ。――最初は閉まっていたはずの、絵の中のドアが確かに僅かに開いていることに。  そこから、何か真っ黒なものがこちらを見ているという事実に。 ――絵が動くなんて、本当にそんなことあるのか?俺が最初に見間違えただけなんじゃないのか?  そう、思いたかった。けれど数日も過ぎれば、その絵の中の怪物はドアから這い出して、俺の目にもゆっくりこっちに歩いてくるようになったのだ。非常にじっくりとした速度だけれど、確かに見るたびにこちらに近づいてきている。  そして、気づいた。化物が近づくにつれ、道の様子も変化していることに。  ドアの近辺だけだった枯れ草が、手前にどんどん侵食してきてるんだ。化物が近づくにつれ、青々と茂っていた草がどんどん茶色に変色して、枯れていくんだよ。  おかしな話だろ。  絵が動く、化物がこっちに来る――その時点で変だと思うのが当たり前なのに。ここまできて俺はやっと本気で、この絵がやばいものなんだって理解し始めたんだ。  歩くだけで草木を枯らすような怪物が、こっちに来ている。まともなわけがない。 「先生、やっぱりあの絵、やばいと思います。しまった方がいいんじゃないですか」  思えば、この時から妙に美術部のメンバーに、学校や部活を休む奴が増えてたような気がする。それも、絵に魅了されてた奴らばっかりだ。  それなのに先生は、本気で不思議そうに首を傾げて、怪物の絵を描き続けてるんだよな。  で、こう言ったんだ。 「何でだよ?やっと顔がアップになって、よく見える頃合になったのに」
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