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 岡田にとって家族というのは他人の集合体だった。  両親は仲が悪いわけではなかったが、良いわけでもなかった。なぜ結婚したのかは知らないが、お互いが特別だから選んだというような情熱は感じられなかった。もちろん岡田も幼い頃にその世間とのずれに気付いていたわけではなく、長じてくると結婚とは好き合う者同士がするものだと知り、両親が特殊なのだと知った。  お見合いで知り合った訳ではないらしいが、恋愛を経た形とも思えないその本当のところは今となっては知りようもない。尋ねようにも岡田には連絡の取れる家族などいなかったし、そもそも興味もなかった。 「じゃあ改めて。初めまして、岡田です」  社名と名前だけが書かれた名刺を手渡すと、少年はそれを両手で丁寧に受け取った。その慣れた様子に、大企業の子息ともなるとさすがだなと密かに感心する。岡田が初めて人から名刺を受け取ったのは、勿論、大人になってからだった。  少年の落ち着いた様子は大人振っているというわけではなく、こういう場面に慣れているのだろうといった雰囲気だった。 「記者さん、ですか」 「まあそうかな。まだまだですけど」  そうですか、とだけ答えた少年は名刺を丁寧にテーブルに置く。それからきちんとこちらに向き直ると軽く頭を下げた。 「一条和泉といいます」  少年、一条は顔を上げると真っすぐに岡田を見た。  岡田が一条和泉に声をかけたのは郊外にある大型書店だった。少し背の低い彼が、つま先立ちで高い書架にある本を取ろうとしていたからそれを抜いて手渡した。岡田はそこで声をかけた。 「もしかして一条社長の息子さん、かな?」  取った本を手渡しながら尋ねれば一条は落ち着いた様子でそうです、と答えた。そうやって知らない人間に声をかけられることは少なくないらしく、慣れているのだと後で聞いた。 「やっぱり。仕事柄、大手企業の社長さんはよく知っているんです。何かの折にご家族の揃ってる写真を見たことがあるんだ。出版社に勤めてて」 「そうなんですか」 「もしかして西嶋を知ってる?西嶋勉」  それまで唐突に大人の男に話し掛けられたというのに驚いたふうも見せなかった少年は、その問いに初めて目を瞠った。 「実は西嶋の幼なじみでさ。この間久しぶりに会ったときに今は一条社長のところにお世話になっていると聞いたからもしかしてと思って」 「西嶋は、家の使用人です」 「あいつからも聞いてたんだ君のことは。今は一条家の息子さんの送り迎えをしてることが多いって。あれ、じゃあ今日は一緒じゃないのかい?西嶋と」 「ええ、今日は一人で。いつもは車で送ってもらうのですが」  たまには歩こうと一人で来たのだと言った。岡田は慎重に、しかし殊更自然な様子で言葉を選ぶ。 「じゃあさ、もしこのまま用事がないなら俺が家まで送ってあげようか。車だから」 「いえそんな、申し訳ないので」 「そんなことないよ……ああ、知らないやつの車に乗るのも危ないか」 「そういうわけでは」  ほんの僅かに困った顔を見せて一条は首を傾げた。そうすると大人びた少年は子供っぽく見える。岡田は砕けた調子で続けた。 「一条家の息子だもんな。最近は結構危ないやつも多いから危険意識を持つのは大事だよな、うん」  岡田がそういうと、一条は少し考えるように黙った。それから顔を上げる。 「本を買ってきます。もしよろしければ送っていただけますか」 「おお、いいよそんなに固くならなくても。送り賃は西嶋に請求するから」  岡田の軽口に一条は微かに笑うと、レジに向かう。岡田はその後ろ姿を見送りながら鞄から携帯電話を取り出した。
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