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 車に乗り大型書店を後にすると、岡田は一条の言うとおりに車を進めた。その途中にあるコーヒー店を指して寄りたいのだけれど、と言えば一条は案外とあっさり承諾した。町中にあるその有名なコーヒー店に入るのが初めてだという一条の代わりに岡田が注文する。コーヒーが運ばれてきて店員が去ったところで名刺を出した。 「岡田さんは禁煙席でよかったのですか」 「ん?別に吸わないからいいよ。何で?」 「いえ、車の中は煙草の匂いがしたので」  そう言って一条はコーヒーに口をつけた。岡田は考えてから口を開く。 「ごめん、臭かったか」 「いいえ、大丈夫です。兄が煙草を吸うので気にはなりません。ただ、もし気を遣っていただいたのであれば申し訳ないと思ったので」 「いやあ、昨日ヘビースモーカーの友達を乗せたからさ」  言いながら岡田はしまったなと思う。消臭スプレーでもかけておくのだった。 「吸ってたとしても未成年を喫煙席に連れてったりしないよ。慣れてるって言っても嫌だろ?」 「兄も一日にかなり吸いますから」 「海外にいる?」 「いえ、上の兄の方が。下の兄は今度子供が生まれるのを機に止めたので」 「それはおめでとうございます……結構歳が離れているんだったよな?」  確か一回りほど違うのではなかったか。一条家の上の息子二人はちょうど自分と兄くらいの歳だったため岡田は覚えていた。長男の方は支社の代表をしており、次男は海外支部の方に行っているはずだ。 「そうです。上の兄は僕が小学校に上がった頃には家を出ていました」 「じゃあそんなに会わないのか?」 「そうでもありませんよ。下の兄はイギリスにいるので会う機会はあまりないですが、定期的に電話で話しますし、上の兄はよく実家に遊びにきますから」 「ふうん。仲がいいんだ」 「岡田さんはご兄弟は」  まさに兄のことを考えていた岡田はどきりとしたが顔には出さずにコーヒーを口へと運んだ。思ったことを顔に出さないようにするのは子供の頃からの癖だった。 「ちょうど君のお兄さんくらいの歳の兄貴が一人。まあ君んところみたいなすごい兄ではないけど」 「うちの兄も人に言われるほどたいした人ではないですよ」 「いや十分すごいよ」  支社とはいえその若さで日本屈指の企業の代表をしているのだ。それをたいしたことがないと言われたらそのへんの男はどうしたらいいのか。 「俺も君のお兄さんとは同年代だけど、やっぱり違うなと思うよ」 「普段の兄を見るととてもそうは思えませんが」 「身内だとそんなものなんだろうな。特に君んところは仲がいいんだろ?」 「そうなのでしょうね」 「俺なんかつい最近まで兄貴の居所なんて知らなかったぐらいだけど」  そういうと一条はあまり動かさない表情を変えて、驚いた顔を見せた。 「ご家族の居場所を知らないのですか」 「ああ、まあもともとそんなに仲のいい家族でもなかったしな」  両親はお互いにあまり興味はなかったし、子供たちにも関心がなかった。そんなものだと思っていた岡田は、一緒の家に暮らしていた時も兄と一定の距離を保って生活していた。お互いに干渉しない、同居人ぐらいの感覚だった。 「ご実家は」 「親は離婚してるから。俺は父親と暮らしてたけど、家を出たあと父親はどこかに引っ越したし、今はどこにいるのか」  まして、学生の頃に別れた母親の居場所なんて全く知らなかった。そう言うと一条は本当に驚いていた。自分とは違う世界の人間のことを、理解できるはずがないのだ。お互いに。
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