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「久しぶり、俺、わかる?」  知らない番号からの電話に出ると、聞き覚えのない男の声だった。間違い電話かと誰何すれば、声は苦笑するように意外なことを言った。 「まあ十年以上振りじゃわかるはずもないか。俺、博」  あんたの弟だけど、そう言った声にはやはり聞き覚えがなかった。思い浮かぶ顔も別れた頃の幼さを残すものだ。中学卒業と同時に両親が離婚し、以来一度も会っていなかった弟の声など西嶋は少しも覚えていなかった。 「別に懐かしむために電話したわけじゃないから安心してよ。今メール送るから一旦切るわ」  一方的に切れた電話の画面を見るとすぐにメールを受信する。その画像の添付されたメールを開いて西嶋は戦慄する。すぐに電話がかかってきた。 「メール見た?今彼といる。と言ってもここにはいないけどね。今から彼を家まで送って行くよ。それにしても警戒心が足りないんじゃない?知らない男について行っちゃダメだって教えてないの?」 「何がしたい」  バカにしたように話し続ける声を遮る。添付されていた画像に映るその横顔が、本人かどうかなど確認する必要もなかった。写真の主が着ている服は確かに今日、彼が着ていた服だ。例え遠くから携帯電話で隠し撮りしたらしい画質の悪い写真だったとしても、西嶋が彼を間違うはずもなかった。 「ありがちな話で申し訳ないんだけど俺さ、いつの間にか友達の借金の保証人になってたんだよね。しかもヤミ金の。そんで借りてた本人は行方不明。で、取り立てが全部回ってきたってわけ」 「それで」 「一千万」  電話の声がそこで一旦言葉を切る。 「一千万円の借金があるわけ。だからとりあえず肉親に頼ろうかなと。お兄ちゃんにさ」 「父親は」 「知らないよ。どこにいるかも知らない。大体あの人がそんな大金用意できるわけもないだろ?できたとしても払ってくれないだろうし」 「俺もそんなに用意はできない」 「謙遜しなくていいよ。びっくりしたんだぜ?兄貴があの一条グループの社長のとこで仕事してるなんて」  空気を震わせて、声もなく笑っているのが受話器ごしに伝わってくる。弟がそんな笑い方をしていたか、西嶋には思い出せない。そもそも弟が笑っているところなど見た記憶もなかった。電話のやりとりで相手が本当に弟であるのかを図ろうとしていたが、判断がつかない。長い年数が経っているせいだけではなく、弟との仲が疎遠だったせいでもあった。 「どんなコネで入ったんだよ」 「俺は単なる使用人に過ぎない。そんな大金は用意できない」 「一千万全てとは言わないさ。今いろんなところから掻き集めてるから。とりあえずあんたから、もらえるだけもらっとこうと思ってさ」 「和泉様には関係ない」 「和泉様、ね。彼は保険だよ。ケチられても困るし」  西嶋は頭の中で計算を始めている。金を払うのが先か一条の家に知らせるのが先か。正直に言えば公にはしたくないが、主を巻き込んでしまっている今となってはそんなことは二の次だった。西嶋にとって何よりも大切なのは彼なのだから。 「警察には言うなよ。何するかわかんないぜ?」 「金を用意するのに時間がかかる」 「もちろん承知だ。今日の午後五時までに用意してくれ。まだ昼になったばかりだから間に合うだろ。連絡は俺からする」  それじゃあその時に、と電話を切ろうとした声を遮る。 「和泉様には何もするな。傷一つ付ければ、容赦しない」  息を呑む音が聞こえたが、何も言わずに電話が切れる。その僅かの間に主の声がしたが、それはほんの一瞬だった。
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