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「できれば生涯結婚しないでほしい」  そう言われたとき、西嶋は未来への希望など何もなかった。親友だった男に裏切られたらしいことを理解して、それによって失ったものを数えて絶望していた。今思えばそれぐらいでと思うが、家族など単なる同居人でしかなかった西嶋にとって、誰よりもわかり合えた親友を失うことは家族を失うことよりも遥かに大きな喪失だった。それと同時に遠退いた女性も、自分の居場所も。  だから西嶋は特に考えもせずにその申し出を承諾した。これから先、自分に大切なものができるなんて思えなかった。  しかしそれはすぐに後悔に変わることになる。  齋藤から受けた執事としての「教育」は並大抵のものではなかった。朝から晩まで一日中仕事のことを考える生活は、今まで流されるままに生きてきた西嶋には耐えられるものではなかった。執事という仕事が一体どんなものなのか西嶋は知らなかったが、全ての執事がこんなことをしているのであれば、とても自分にできる仕事ではないと思った。生きてきた世界が違いすぎる。  一番最初に話した時、齋藤は覚悟のない者はいらない、そう言っていた。それを理由にして辞めようと思ったのは一条家に来て三ヶ月を過ぎた頃だった。齋藤に、とてもではないが続けられないと何度も言い掛けた。それでも辞められなかったのは。 『西嶋』  彼はいつも静かに自分を呼んだ。  西嶋が初めて会ったとき彼はまだ13歳だったが、年齢に不似合いな落ち着いた雰囲気の物静かな少年だった。一つ上の姉によく似た顔の彼はしかし、活発で愛想もよく周りの大人に可愛がられているような姉とは違い、皆が話しているのを傍で聞いているようなそんな少年だった。  今まで周りにいたタイプとは全く違う彼との距離の取り方を、西嶋は図りあぐねていた。 「甘いものが食べたい」  あまり打ち解けるわけでもない彼はよくそんなふうに何が食べたい、と西嶋に言った。そのたびに町の和菓子の店から有名パティシエの洋菓子店、果てはコンビニまでといろいろな所へと出向いた。使いっ走りをさせられること自体は仕事だと思えば特に気にならなかったし、齋藤から仕事を教わっている時間に比べればずっと楽だった。  唯一のコミュニケーションだったせいもあり、特定の店やメーカーを指定しない彼の要望に応えるべくいろんな店に行っていろんなものを試した。はっきりとは可否を口にしない彼の表情を見ながら嗜好を見極めていくうちに、彼の感情を窺うことは齋藤や彼の家族よりも得意になっていった。そしてある時、西嶋は気が付いた。 「金は用意できた」 「こっちから連絡すると言ったはずだけど?」 「どこに持っていけばいい」 「あんた相変わらずだな。俺の話なんか聞く気はないってか」 「昔話をするために連絡したんじゃないんだろう」  相手が言った言葉で返せば一瞬間が開く。苛ついているのがわかったが西嶋は何も言わなかった。近くに主がいるのかもしれない。 「今から言う場所に持ってきてくれ」  相手が告げたのは、今朝も行くと言っていたはずの、主がよく行く大型書店の駐車場だった。 「そこに連れていく。その場で金はもらう。わかってると思うが他の誰かがいたらその時点で交渉は不成立だ」 「わかった」  それだけいうと電話が切れる。西嶋は一度大きく息を吐いた。
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