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ズズ……ズズズ…ズ…
何かを引きずるような音が重なり、妖気が地を這う。
「りゃ、あれが黒鬼とやらか」
「だろうな」
現れたのは全身真っ黒な鬼だ。
大きさにして約八尺。折れ曲がった二本の角が頭皮を引き裂くように伸び、鋭利な爪が地面をえぐる。鞭を連想させる長い尾が木の葉を激しく散らした。
鬼の邪気にあてられた葉が褐色に染まり、嫌な空気が辺りを満たす。先ほど男が発した気と同じものだ。
憎しみに囚われた暗い気配。
『邪魔、邪魔をすルな』
頭内に直接言葉が響く。
脳が揺れる感覚が弥之助を襲った。
『そノ、男を、殺スのダ』
「りゃー、怖い怖い。おまえ、本当に狙われていたようだな」
くすくすと鈴丸がからかうが、鬼、鬼と繰り返す男は気付かない。鈴丸の所為で霊感が高まっているのだ。
結果的に怖がらせることになってしまった。
「大丈夫か、おじさん」
見開いた目が徐々に弥之助に焦点を合わせた。
「あ」
「大丈夫そうだな。少し下がっていろ」
「おまえが倒したかった鬼だぞー、さあ行こう」
「鈴」
「りゃうー、冗談だよぉ、弥之助」
「あれが、鬼……」
男が黒い鬼を見つめる。
『殺ス、殺シてやル』
繰り返される呪いの言葉に導かれ、黒い気配が膨らんでいく。
急いだ方が良さそうだ。
「鈴丸、呑まれた奴は何処に居る?」
「……後ろ。鬼の右側付近だな」
それだけ解れば十分だ。
弥之助は鬼に向かって駆け出した。
銀色の刀をもう一度構え、襲ってきた鬼の右手の爪を弾く。流石に重い。まず狙うのは鬼と人を繋ぐ怨嗟の楔。振り下ろされた鬼の尾を避け、そのまま背後に滑り込む。黒い霧に包まれて人影が揺れた。
「あれか」
弥之助は、確認した人間の足下に渦巻く黒い霧に刀を突き立てた。銀の刀は〝切る〟刀。妖怪と結んでしまった糸を断ち切る力を持つ。
『オオオ……邪魔、すルな』
実体を有する霧が、弥之助を阻もうと全身に絡みつく。
「安心しろ、俺がその恨みごと切ってやるから」
弥之助は突き立てていた刀を思いきりなぎ払った。霧が裂け、支えを失った人影がぐらりと傾く。
『……オオオオ!』
瞬間、鬼の一撃が弥之助をかすめた。
人間から離れてもなお、その恨みだけで動き続ける異形の鬼。
「やはりか」
弥之助は腰に手をやり、もう一本の刀を抜いた。銀色の刀と対になる漆黒の刀、悪しきモノを排除する〝斬る〟刀だ。
「参る」
鈍色の刀身が淡い月光を反射して妖しく煌めいた。
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