沙織

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◇陣内沙織 その一 私が初めてここへ来たのは18歳のときだから、もう8年前かな? 私は大学の1年生で、B大で西洋文学を専攻していたの。テニスサークルに入っていたから友達もたくさんいて…当時付き合っていた彼氏の雄太、中村くんのことだけど、あとサークルのミキとマリコと、あと阪田くん。雄太は今、埼玉の方のどっか市役所に勤めたって聞いたし、ミキは卒業後留学してアメリカへ行っちゃったって。マリコは大手銀行に就職してすぐに結婚したんだって。阪田くんは社労士の資格取ってお父さんの事務所手伝っているって。みんな楽しそうにやっているなぁ  ああ、そっか! ごめんなさい。リヒトへ来たいきさつだ。 でもその前に私が今大変お世話になっている会社の上司・野崎翔平課長との出会いについて話さなきゃいけないんだけど。8年前の夏だけど、家に帰ったらママが知らない男性と話をしていて。あの、うちのママって家でマッサージの施術院やっているのね。マッサージのお客さんかな、って思ったら、ママが『サオリ、お客さまよ。あいさつをし』って。 私があいさつをしたら『野崎と申します。お世話になります』って。それが私と野崎課長との出会い。当時はまだ課長じゃなかったけど。あのころから課長は、いや翔平さんはカッコよかったな! もうその場で一目惚れしちゃった。       一日二日して私、課長に電話したの。もちろん電話番号なんて私知らないから勝手にママのパソコンで調べて。パスワードなんて分からなかったけど、たぶんママの誕生日だろうって思ったら案の定ログインできて。そこで課長の番号控えておいてそれから課長に電話したの。そしたらね、課長『サオリさん、それはよくないよ』って注意されたの。 そうなの。厳しい人だなってそのとき思った。でも課長『いいよ、一度二人で会おう』って言って何とかデートの約束取りつけて会うことになったの。その週の金曜日の夕方、渋谷のハチ公前で、って。私うれしかった。その日は確か昼の三時まで家の近くのコンビニでバイトだったんだけど、さっさと切り上げて渋谷へ飛んで行った。行ったら野崎課長もう待っててくれたの。そして2人でデートした。 とりあえずお酒飲めるところ行こう、って。私ハタチですって言ったら課長怪しまなかった。噓なんだけどね、ハタチって。それで渋谷駅から近い、JRの高架下の無国籍料理の店に行って。ウフフッ。まずはビールで乾杯。そして、お刺身とか、ピザとか、パスタとか。おいしそうな料理何皿も頼んだの。そして話した。『ショウヘイさん、どこでママと知り合ったんですか?』って。 課長はちゃんと答えてくれたわ。課長が中学生だったころ、課長はサッカー少年で家の近所の公園でよくサッカーの練習をしていたんだけど、そこへ近くに住んでいたママが来て話をするようになったって。サッカー少年だった頃から課長は大人びてカッコよかったってママ言ってた。ママ、課長と真剣交際していたみたい。でも、私ママと課長の出会いはママからすでに聞いていたの。ただわたしが課長から、翔平さんから聞いてみたかっただけ。課長が中学3年で、ママが29歳だった、って。15歳くらい年の差があるよね。ママ、信じらんなーい!! でも、課長ってそのときからジェントルマンだった、って。でもそれからママ、勤めてた会社の研修か何かで今のパパと出会って、なんとパパがママに一目惚れしたの。パパ、何とかママとデートしようとしたんだけど、ママは断ったの。『私には彼氏がいます』って『それじゃあ、どんな人ですか』、ってパパが尋ねたら、『サッカーやってて、アイドルグループpのsくんに似た人です』、って言ったんだって。 つまりパパはフラれたことになるけど…。でもその後、パパ街でsくんにそっくりの若い男の子を見かけたから声をかけたんだって。『あの、失礼ですけど、藤川亜希子さんの彼氏の方じゃないですか』って。藤川はママの旧姓よ。その男の子が野崎課長だったというわけ。 課長はじめはびっくりして、『どちらさんですか?!』、って。それでパパ、名刺渡して課長に事情を説明したんだって。そして2人で近くのハンバーガー屋さんへ入ってパパのおごりでコーヒー飲みながら話をしたんだって。そしてお願いしたの。『亜希子さんをぼくに譲っていただけませんか?』って。野崎課長、びっくりしたって私との二人で飲んだ席で言ってた。でもね、課長、大好きだったママをパパに譲る決心をしたの。ずいぶん歳の離れた自分よりこの人の方がママを幸せに出来る、って思ったんだって。ママとの恋に少し無理を感じていたとも言ってた。『やっぱり釣り合いも大事でしょ』って野崎課長。 えっ? じゃあ、パパは喜んだんじゃないかって? そうなの。課長が『分かりました、陣内さんのことはおれから亜希子さんによろしく伝えます』って言ったらパパ、涙流した、って。パパ、『翔平さんには必ず代わりのパートナーが出来ます。いや、ぼくが探して見せます』って言ったんだって。そしてその後、ママとおじいちゃん、おばあちゃんと課長を交えた話し合いがあって課長はママから正式に離れたの。おじいちゃん、当時中学生だった課長のこと気に入って『亜希子との交際を認めよう』って言ったのに課長、『男女には釣り合いも大事です』って、さっきも言ったけど。翔平くんは男らしかった、ってうちのおじいちゃん言ってた。 課長のパートナーはその後見つかったの。ママが協力したの。『そういえば翔平くんのクラスメイトでかわいい女の子がいたわ。翔平くんのサッカーの試合の応援にも来ていたし、たしか石川さんっていう名前だったから調べよう』って電話帳で調べて希望ヶ丘じゅうの石川さんに片っ端から電話したんだって。ママの若い頃だからまだ固定電話の多かった時代ね。7軒目で見つかって。石川佳奈さん。現在は課長と結婚して野崎佳奈さんだけど、ママがこの佳奈さんを説得したの。『佳奈さんには失礼かもしれないけど、私結婚が決まったの。だからこれからは翔平くんと仲良くしてあげてほしいの』って。佳奈さん、びっくりしたみたいだけど喜んだって。『私も野崎くんのこと好きだったんです。藤川さん、あとは2人で仲良くやります』って。 なんか聞いたんだけど、課長と佳奈さんにサプライズがあったらしいの。パパとママの結婚式。ママ、式の中で2人を特別ゲストに呼んだんだって。野崎課長を自分の元彼氏って紹介してその彼氏にいいパートナーを、って石川佳奈さんを紹介したんだって。課長と佳奈さん、みんなの前で握手してもう会場から拍手喝采だったって。確か2人は別々の高校に通う高校1年生だった。 …なのに私は翔平さんと…うわー、ごめんなさーい!! 一夜を過ごした…。 うん、さっきの話の続きなんだけど、渋谷の高架下の店に入って2人で飲んだ。いっぱい話もして盛り上がったの。でも課長下戸だから、店を替わった二軒目で酔い潰れちゃって。仕方なくタクシー乗り場まで連れて行ったんだけど、みんな乗車拒否されたの。課長は相変わらず眠ったままだし、仕方なくタクシー乗り場の隣のモーテルへ入ったの。 ベッドに課長を寝かせて、私はシャワーを浴びたの。課長はずっと寝たまま。シャワーの後私、眠っている課長を見て、なんだかむらむらっと来て、それで課長の服を一枚一枚脱がせて…おちんぽしゃぶったら課長夢精して…男の人って可愛いって思った。 課長まったく起きないから最後までいかなかったけど、私は楽しかった。結局おちんぽしゃぶっただけでおしまい。私も全裸になって課長の隣で寝たの。 えっ? 朝になってどうなったのかって? 課長に叩き起こされた。6時過ぎだったかなあ。『サオリさん、これどういうこと?』って。私課長がタクシー乗り場へ連れて行ったけど起きてくれなかったっていう事情を説明したけど、分かってくれなくて。課長怒ったの。『モーテルなんかに連れてこられるのは困るよ』って。でもABCのBまでです、って茶化して言ったら課長もうかんかんに怒って…私を平手打ちにしたの。痛かったわ。そしてそのまま服を着てテーブルに宿代に1万円札を置いてさよならも言わずに去って行ったの。悲しかった。ねえ、なんでそんな冷たいの? 18歳の素っ裸の女の子よ。うれしいはずよ。でもなんていうか野崎課長、真面目な人みたいなの。不倫はしたくなかったみたいだった。まあ、今の世間の風潮なら当然か。 でも私、課長に無碍に扱われたのはショックだった。やっぱり辛かった。そう、それが私の病気の始まり。当然私は両親からこっぴどく叱られた。その数日後に私、課長の家にパパと謝りに行っているの。実を言うとパパ、その頃ママと不仲で別居していたんだけど…。家に行ったそのとき、案の定課長の奥さんの佳奈さんが激怒して…私、大泣きしてしまった。パパは必死で謝ってくれた。結局課長はそのときはそんなに怒ってなかったし、仕事にかまけて家庭を顧みていなかったパパを課長が諫めてくれたからパパと課長はそれでよかった。課長、佳奈さんに対しても諫めてくれたんだけど、佳奈さんの怒りは収まらなくて、とうとう…殴られたの、佳奈さんに。まあ、今から思えば因果応報だけど。今度は課長が佳奈さんに怒った。もう修羅場。でも、殴られたことで私もまあ、何というか一種の興奮状態に陥って、そのときはパパに家に連れて帰られた。両親はもう私に怒って、私は興奮状態で。また修羅場よ! パパはその後別居をやめて家に帰ってきてくれたけど、私の病気はだんだん進行していった。両親が私に冷たくなって、そのことで私、夜眠りにくくなって食欲も落ちて。眠れないから夜中に街中を散歩するようになったの。それがだんだん、何と言うか…徘徊?! そう、そんな感じ。感情のコントロールも難しくなってきた。両親や、あと私3歳年下の敏樹っていう弟がいるんだけど、弟に暴力をふるうようになって…。それまではそんなことまったくなかったのに。よくなかったわ。 そんなことが重なって精神科を受診したの。簡単な精神安定剤と眠剤が処方された。そのお薬はちゃんと効いたみたい。でも、そんなあるとき効かなくなったのか私キレたの。ママと私がホントに些細なことで口論になって、私かんかんに怒って家の中にあったものを壊したの。そりゃ、家じゅうのものをよ! それを見た弟は初めは『お姉ちゃん、やめて』って叫んでいたけど、私が暴れてものを壊しまくるからとうとう一緒になって壊し始めた。窓ガラスを割って、破片でけがをしたみたいだったわ。パパはその日家にいなかったの。ママは必死で私と弟を止めようとした。『止めて、もうお願い! サオリもトシキも止めて!!』って。そしてどうやら課長に電話したみたい。私はそんなママをすりこぎで殴った。ママ、脳震盪を起こして倒れたわ。 その後、課長が家に来たわ。ママが電話してから20分くらいしてからかな。車は奥さんが乗って行ったみたいで自転車で来たわ。私は家夢見町なんだけど、課長希望ヶ丘だから。近いの。入るなり『姉さーん!!』って。課長、ずっとママのこと姉さんって呼んでた。課長の声聞いて私うれしくて泣いてしまったわ。『ワーン、ショウヘイさん会いに来てくれた、サオリが困っているから来てくれた!!』でも課長、私なんか無視してママを介抱して自分のスマホで救急車を呼んだの。ママずっと気を失っていたから。家の電話もスマホもみんな私と弟が壊してしまってたし。救急車が来てママと私と弟と、そして課長が乗ったの。C病院へ搬送されたわ。 おかげでママは無事だったの。でも、問題は私よ! 精神病がこうじて家じゅうのものを壊したんだから!! ママとは別の部屋で点滴を受けさせられた。きっと強力な安定剤よ。意識が朦朧としたのを覚えている。私たちが点滴を受けているときにパパが来てくれたわ。病院で一夜を明かして、7時に朝食を食べたわ。8時に両親と弟に会った。私、野崎課長に会いたかったけど、夜中に帰ったって。次の日仕事だしね。ええっと、9時から両親と医者の面談があった。長い面談だったわ。ゆうに2時間を超えていたような。その間私はまた点滴よ。そして、11時にお昼ごはんが出たの。私個室に入れられていたから他の患者さんのことは分からなかったんだけど、たぶんあれは病院の食事じゃないわ。なんかお弁当みたいなのだったし。それを食べて、12時過ぎかな? 先生と両親との四者面談があったの。担当医はC病院の杉本先生。 杉本先生おっしゃったの。軽く雑談があってその後『前にも受診されましたね。私が思っている以上にあなたはよくないようです。でもあなたは根本的に悪い病人ではありません。』って。何の話かな、って思ったんだけど、杉本先生『では本題に入りましょう。あなたには治療が必要です。残念ながらご両親から伺う限りあなたの行動は普通じゃない。どうです、ここよりもっといい病院がありますからそこへ行ってじっくり治療しませんか。』って。私に入院を勧めてきたの! それでリヒトの園へ行くことが決まった。長い説明を受けたわ。福島県の山あいのd町というところにあって、とか自然いっぱいで農作業ができる、とか施設はみんな新しくて気持ちいい、とか…。あとそこの理事長が山崎賢三郎先生。    杉本先生おっしゃったの。『NHKの健康番組をご覧になったことはありませんか? おそらく日本の精神医学の最高の名医です!』私その番組は知らなかった。福島の山奥なんて行きたくなかった。それからは両親が2時間かけて嘆願したりなだめたり…なだめすかされてそこへ行くことになった。入る費用が何百万もするって言われたけど、全額ご両親が出します、って。沙織、つらかった。 ほとんど無理矢理C病院の車に乗せられた。最後に病院から車が走り去る前に少しだけ時間が与えられて、お別れを言う時間が与えられた。ママが言った。『サオリ、あなたは治療しに行くの。そしたらよくなるの。山崎先生の言うことを信じて、治療しなさい。壊したものはみんな償える。でも、あなたの命はお金では償えない。しばらく会えなくてママもパパもさびしいけど。』私叫んだ。『変なとこ行きたくないよ! 私ずっといい子にしてるからおうちに帰りたいよ!!』って。やがて車が走り出した。私走り去る車の中からずっとパパとママを見ていた。見えなくなるまで見ていた。涙が止まらなかった。  長いドライブだった。二度もサービスエリアで休憩を取ったし。リヒトの園に着いたのは日も暮れて夜中だった。生活に必要なものはみんな支給されて部屋があてがわれたんだけど、私そこで泣き崩れた。食事は出たけど、手を付けなかった。お薬は飲んだけど。お風呂に入ってもいい、って言われたけど入らなかった。床に就いたけどまったく眠れなかった。つらい夜だった。それが私とリヒトの出会い。 ■カルテ 「陣内沙織」 7月24日   文責:山崎賢次  東京の安全会C病院の杉本先生からメール、外来患者陣内沙織氏の転院を打診あり。 山崎賢三郎先生御侍史 陣内氏は18歳、女性。B大学文学部に通う1年生。父親は株式会社陣内倉庫代表取締役社長。母親は都内Z区夢見町にてマッサージ施術院を開業。兄弟は弟が一人、高校生。  母親の施術院に来た男性(この男性は母親と旧知の仲、母親が証言)とデートし、一夜を共にする。このことで、男性や両親から叱られ、傷つく。男性宅に謝罪に行き、男性の妻から叱責を受け、暴力も受け興奮状態に。以後、不眠・食欲不振。  当院を外来受診し、杉本がリスペリドンとブロチゾラムを投与。数日後本人と母親が口論となり、暴力。家財をすべて損壊。前述の男性の通報で当院へ搬送。病院到着時と翌朝にセレネースを点滴で投与。両親・本人の意思を確認後(本人は不満)、当院の車で貴病院へ転送。                     安全会C病院 精神科医師 杉本智広  東京から遠く離れた福島に来たことで、強い不満と不安が見受けられる。道中、ずっと帰りたい、帰りたいと泣き続け、サービスエリアではトイレには行ったものの、与えた飲料や食事には全く手を付けなかった。 リヒト到着は夜9時過ぎ。到着後も泣き続け、食事・風呂も拒否。衣類と小遣い5千円は当院から支給。夜も不眠。翌朝の朝食は摂らず、看護師・二宮の勧めた牛乳を飲むだけで、それもすぐ嘔吐。朝10時の診察でもかなり強い興奮状態が見られる。昼食はアジの開きにひじき煮、きゅうりとわかめの酢の物(きゅうりは自家製)だったが、魚は嫌いだとアジを残し、ひじきときゅうりはほんの少し食べたが、すべて吐いた。調理担当の松永もこれには落胆した。 当面はリスペリドンを点滴で投与。自宅で興奮して暴れ、器物を損壊したことがあったため、炭酸リチウムも投与。 ※リヒトの園:精神科病棟1日のスケジュール(賢次班) 6:00  起床、洗顔、検温 6:45  朝食、服薬 9:00  農作業(途中休憩15分あり) 12:00 昼食、服薬(ただし、日曜日は11:30から) 13:00 午後のプログラム (15:00~15:30 コーヒータイム) 16:30 入浴 17:30 夕食、服薬 18:30 自由時間 (20:00~20:10 寝る前の服薬) 21:00 就寝 →食事・服薬は、日曜以外は全員揃って。 ※リヒトの園:精神科病棟1週間のスケジュール(午後、賢次班) 月 学習プログラム 火 診察 水 学習プログラム 木 移動式スーパーでの買い物、あとは親睦会 金 学習プログラム 土 音楽、美術のプログラム 日 休み(午前の農作業も)、月1回だけ郡山へ買い物ツアー ◇陣内沙織 その二  「ひさしぶりだね~沙織ちゃん、元気にしていた?」 「うん、元気にしてたわ。もちろん、お薬と診察は欠かさないけど。いろいろあるけど、今は働いている! これもみなリヒトのおかげ」 「入った時はいろいろつらかったと思うけど、リヒトの園に来てからはどうだった?」 「うん、最初の2、3日はもう泣いてばっかり。ご飯も食べられないし、夜も眠れない。お風呂に入るのも億劫で。何もやる気がわかなかった。なんか施設の人たちの楽しそうな声が聞こえてきたときもあったけど、私には関係ないって思ってた」 「帰りたいって思わなかった?」 「もちろん! パパやママに会いたかった。課長にも大学の友達にも会いたかった。でも帰れない。いつ帰れるかもわからない。不安ばっかりだった」 「そうだね。でも沙織ちゃんは“デビュー”したんだ、ほらデビューを…」 「ウフッ、そうなのゲンさんデビュー! だってもう二日何も食べてなかったからさすがにおなかが空いてきたの。点滴でちょっと気分が落ち着いたせいもあったけど」 「で、何だったの? ゲンさんデビューのメニューは?」 「それがね、ほうれん草ともやしの炒め物だったの」 「えっ?! ずいぶん質素だねえ!」 「そうなの。でもそれがもうおいしくて。その炒め物にゲンさんがご飯を軽く一膳添えてくれたんだけど、足りなくて何杯もお代わりしちゃった。そのとき私思ったの。おいしい、って空腹が満たされていくことなんだ、って。それを見た美咲が『あっ、今度来たお姉ちゃんゲンさんデビューだ!』って大声で言ったわ。ホント、お調子者ね…」 「それだけゲンさん、料理おいしいんだよね」 「ホント、そうだわ」 △山崎賢三郎理事長 その一  来たとき、これはもうとんでもない子が来たと思いましたな。まあそれは、ここに来る子ならほかの子にも思うことですが。でも沙織ちゃんは特別だったかな?(笑)でもはっきり思います。どの子もいい子ばかりだと。悪い子はひとりもいないと。  こんな遠くの田舎に連れてこられて、それも長いドライブの後でしょう、夜遅くでしたな。ひたすら泣いていました。食事も用意していましたが、案の定手をつけなかった。薬は飲んだようですな。夜眠れなかったとおっしゃったので点滴はしました。私は患者さんに点滴は好みませんが、このときばかりはした方がいいと判断したのを覚えています。  私は東京の出身ですが、戦争中この福島のd町からわりと近い郡山に疎開していました。こんな田舎に連れてこられる不安、私も子ども心ゆえ感じました。でもすぐにこの福島の田舎が大好きになりました。大きな自然があってよく山や川で遊びました。戦時中・戦後直後でも比較的食料はありました。まあ、農業のおかげですな。そんな体験が染みついて農業がここリヒトのプログラムです。ここへ来る子たちにも私と同じ喜びを味わっていただきたい。沙織ちゃんには分からないですかな?  沙織ちゃんに関しては特にここになじむのに時間がかかりそうだと思いました。少し点滴に頼った方がよさそうだ、とも思いました。そのこともあってこの子の主治医は息子の賢次に任せようと思いました。賢次はまあ、父親の私が言うのもなんですが、優秀な精神科医です。リヒトは私の人生最後の仕事、最後の社会への恩返しだと思っています。沙織ちゃんの治療もそのつもりで私どもスタッフ一同全力を尽くしました。 ▲松永源治 その一 「いつものおれだけどよぉ、よろしく!」 「よろしくお願いします、松永さん。まず…」 「バカ言え! ゲンさんって呼べ!」 「こ、これは失礼しました。では、ゲンさん。どうです、沙織ちゃん…?」 「ハハッ、おれはもう前の病院から賢三郎の旦那にお仕えしてもう20年になるけどよ、あんなあばずれ見たことねえよ。別嬪さんだとは思うがな」 「沙織ちゃん、東京から運ばれてきたんです。d町は不慣れな街です」 「なんだい、おれの故郷を悪く言う気か? ここはいいとこだぜぃ」 「そ、そうですね。でも、彼女言ってました。来て3日目に食べたほうれん草ともやしの炒め物がおいしかった、って」 「あったりめえだろ!? このおれが、県の中央卸売市場まで朝イチでトラック走らせてじっくり吟味して仕入れたほうれん草ともやしで作ったんだ! 不味いわけねえだろ!!」 「ゲンさんの料理はホント、リヒトのみんなに好評です。患者さんたちに言われています。特に初めての食事は“ゲンさんデビュー”って」 「まあ、ここは田舎だからな。気の利いたレストランなんかありゃしない。でも自然があってうまい野菜と肉と米がある。おれみたいな、ウデの確かな料理人がいりゃ、うまいもんは食えるってわけよ」 「健太郎くんはカレーがおいしい、って言ってます。デビューもカレーでした。」 「ああ、あの太ったガキか。カレーは人気メニューだな。デビューのときは悪いことをした。肉にいいのがなくて、スーパーの安い肉を使った」 「ゲンさん、よく覚えておられる」 「おれはこの仕事命かけてるのよ。食材は忘れねえ。日々向上心、ってわけよ」 ◇陣内沙織 その三 「じゃあ、沙織ちゃんはゲンさんのおいしいご飯を食べて徐々にリヒトでの生活になじんできたんだ」 「うん。何て言うか、吹っ切れてきた。徐々にだけど。でもそれはきっと、今から思うと安定剤の点滴のせいもあったと思う。胃腸の調子は悪かったけどね」 「みんなとはいつ顔を合わせたの?」 「うん、確かゲンさんデビューの2日後くらいかな? 理事長先生が賢次班のみんなを呼んで夜にちょっとしたミーティングをしたの。知っているでしょ? リヒトの精神科には3つの患者の班があるの。山崎賢次先生の賢次班、木村先生の木村班、そしてアルコール依存症担当の加藤班。3Kって呼ばれてる。それで、テレビのある談話室に理事長先生と、賢次先生、あと美咲に健太郎くんに大哉くんに、広海ちゃんもいたっけ。光輝くんはまだここに来ていなかったな」 「何を話したの?」 「簡単な私の紹介があって、自己紹介をさせられた。そしてあとはみんなひとりひとりの自己紹介。私、入院して別に友達なんかほしいと思っていなかったのにみんなに出会うとなんか味方が出来た気がしてうれしくなった。みんなのエピソードが面白かった。美咲なんかリヒト中に聞こえるくらいに泣きわめいてのど潰して街の耳鼻咽喉科に連れて行かれたとか、健太郎くんなんか大阪から連れてこられて五日間何も食べなかったのに、六日目にゲンさんのカレーライスをご飯一升分食べたとか。大哉くんはずっと部屋で泣いていたのにテレビでサッカー日本代表が試合して勝って一人祝勝会。広海ちゃんは無口な子だけど、ずっとマイペース。パパとママにひたすら長い、長い手紙を書き続けた。みんな、こんなところ連れてこられてつらいのは一緒なんだ、って思ったの」 「そうだね、みんな心ならずしも連れてこられて少しずつ立ち直っていくんだ。でも、その一方でリヒトの園は老人病棟もあるからね。お年寄りで美しい自然のある環境で最期を迎えたい、っていう人もいるよ」 「今から思うとリヒトに来れたのは幸せだった。山崎先生親子や美咲たちに出会えたのはよかった。私は決して一人ぼっちじゃない。そのときはまだ思えなかった部分もあったけど」 「そう思える沙織ちゃんは偉い子だよ。で、農作業はいつ始めたの?」 「その次の、次の日。その日までは点滴が継続してあったの。その頃は朝6時起床で6時45分に朝食、7時半から点滴だった。点滴で意識が朦朧としていたときに、PSW(生活スタッフ)の青木さんが声をかけてくれたの。『沙織ちゃんも農作業してみない? 賢次先生からの許可も出てるわよ』って。私よく分からなかったけど、参加してみることにしたの。次の日、『朝食後、午前9時5分前に正門前に来て、みんなで畑に移動するから。作業着着用であと軍手ね』って青木さん」 「今度は農作業デビューだ」 「そう。それで作業着来て行ったの、私。賢次班皆さんお揃いで。鍬だの鎌だの、野良道具かついでみんなで畑へ行った。今日から沙織ちゃんも一緒だ! って美咲がはしゃいで。広海ちゃんは相変わらずマイペース。ええっと、畑は本館から歩いて5分でしょ? その日は夏だったし、トマトの収穫だった」 「トマトはたくさん獲れた?」 「うん、収穫が多かったのを覚えている。沙織ちゃんも一つ食べてみて、って手伝いに来ていた理事長先生に言われて一つ食べたらもうすっごく甘くておいしいの! 私トマトなんかあんまり好きじゃないのによ! あの味、忘れないわ…」 ■カルテ 「陣内沙織」 7月31日   文責:山崎賢次  入所後一週間が過ぎ、わずかだが当所での生活に慣れ始める。給食担当の松永のもと、十分ではないが食事をとれるようになり、入浴も可能となった。睡眠も少しずつとれるようになり、本人の話では4時間程度は眠っているという。睡眠薬をブロチゾラムからロヒプノールに変更。  入院患者同士での会話も徐々にするようになり、年長の陣内氏は言わば「お姉ちゃん」的な存在。快活な(快活すぎる)鈴木美咲氏、おっとりした大阪出身の森健太郎氏ほか、交友も芽生える。農業プログラムではトマトの収穫を楽しむ。近くリヒト内での学習プログラムにも参加を呼びかける予定。  長期でのリヒト滞在が予想される。十分な精神医療ケアのほか、18歳という年齢に合った知育・徳育の人間的ケアも必要。理事長先生の指示のもと総合的なケアを提供する。 ◇鈴木美咲 その一 「こんにちは、美咲ちゃん。久しぶりだね」 「こんにちは!! 美咲でーす!」 「元気いっぱいだね。まずは簡単に自己紹介してもらえるかな?」 「すずきみさき、24歳! 東京都出身、都立s高校中退、彼氏いない歴今は1年半、好きな食べ物はオムライスです!」 「あ、ありがとう。美咲ちゃん、元気あるね」 「うん、元気だけ取り柄なの。大人になって少しは落ち着いたかな? でも賢次先生は当時…」 「病気って?」 「そうなの。躁うつ病の躁病だって…」 「そうなの。気の毒に…。美咲ちゃん、いい子なのに…」 「ありがとう。で、話って?」 「聞かせてくれないかな? 美咲ちゃんがリヒトに来た経緯を…」 「わたし、中学高校ずっといじめられてきたの。わたしってなんかへんな子だったし、勉強もできなかった。やっと入れたのが最低ランクのs高だった。高校に入ってもっとへんになった。もっといじめられて精神病で高校を中退。街の精神科にかかった。そしたらケースワーカーさんが『美咲ちゃん、山ほどオムライス食べたくないですか? 食べられるところへ連れて行ってあげましょう。大丈夫、美咲ちゃんのパパは大きな貯金箱を持っています』って言うの。わたしのお父さん、校長先生してたからお金はあったみたい。そしてここへ来たの。でも淋しい山奥だったから来たときは泣いたわ」 「かわいそう、美咲ちゃん…」 「でも来て3日目にゲンさんが約束通り? オムライス食べさせてくれて、とってもおいしかった。農作業とかだんだんここの生活にもなじんで…、お友達もできたの。以前リヒトにいた4歳年上の祐子ちゃん。わたしより先に退所したけど、いいお姉ちゃんだった。絶対わたしをいじめなかった。ねえ、絶対よ!」 「ほかにお友達は?」 「何人かいたわ。男の子もいたし。でも、沙織ちゃんもいいお友達だった。ケンカもしたけど」 「ケンカしたの? 沙織ちゃんと?」 「うん、した」 ◇陣内沙織 その四 「なんか沙織ちゃんと美咲ちゃんがケンカしたことがあるって聞いたけど…」 「うん、それなんだけどみんな私がいけないのよ」 「詳しく聴かせてくれないかな? 二人のケンカのいきさつ…」 「その前に、私リヒトの園に来て10日が過ぎて少しは生活に慣れてきたのね。ゲンさんのおいしいご飯も食べて、自分の部屋で睡眠も取って。とはいっても4~5時間しか眠れなかったかな? あと、お風呂に入れるようになった。リヒトのお風呂は大浴場で大きくて清潔で気持ちいいのよね。看護師さんとか当直の職員さんも利用するし。でも…」 「でも、どうしたの?」 「その頃から家に帰りたくなったの。ホームシックってやつ。せっかく一時期よくなった調子がまた悪くなったの」 「そうなんだ。みんなホームシックを体験するみたいだね」 「それで農業プログラムやあらたに予定されていた学習プログラムもキャンセルして自室のベッドで横になっていたの。そして泣いた。ママ、パパ、帰りたい!! って」 「誰かに相談しなかったの?」 「そりゃ、青木さんや看護師の二宮さんには相談したわ。でも当然家には帰らせてくれはしなかった。パパやママに電話したかったけど、通信もまだ禁止だったから預かられたスマホも返してくれなかった」 「そうだね。でもリヒトは山奥だから電波エリア外だよ。Wi-Fiもないし」 「そうよね。それでお願いしたの。せめて公衆電話を使わせてください、って。公衆電話なら私たちの住む生活寮の一階にあるから。でも…」 「あの電話、磁気カード専用なんだ」 「そう。テレホンカードがないの。私も普段公衆電話なんてまず使わないし、テレカなんんて持たないし。お小遣いならここへ来たときにちょっとだけ支給されたから持っていたんだけど。テレホンカードを売ってくださいって青木さんにお願いしたけどダメだったの。『賢次先生の許可を待ちましょう』って」 「それで、まさか??」 「そう、そのまさかなの。昔の映画じゃないけど“大脱走”よ。この計画に力を貸してくれたのが美咲なの」 「す、すごいねー!」 「美咲と親しくなって、ホームシックのこと打ち明けたの。そしたら『サオリちゃん、山を下りよう。大丈夫、日曜日はプログラムないし、お昼ごはん食べてから脱走してふもとの町まで行って民家で電話借りるの。そして夕食までに戻ればいい』って。彼女、2度も実際にそんなことしたことあるって」 「できるのかなあ、そんなこと」 「とは言ってもリヒトの敷地の入り口には警備員がいるでしょ? あのいかつい福井さん。だから裏から畑を越えて森を抜けて下山すればいい、って。山林を抜けた方がバス道を下るより早く山を下りられるって美咲が言うの」 「そして、どうだった、その計画?」 「日曜日だけは11時半から昼食のサービスが始まるんだけど、始まってすぐに二人で食べたの。そしてすぐ実行開始よ。精神科病院って完全に集団行動だったり、高い塀があったりするものだけど、ここは日曜日自由だし壁なんかないから脱走計画は自由にできる。しかし、深い森があって、ふもとの町までものすごく遠い。私も美咲も甘く見ていたわ。森に入って案の定方角を見失った。どこをどう進んでいるかわからなくなった。それを美咲は私のせいにするの。そして、私はおなかが痛くなってきた。きっと前日の天ぷらのせいよ! ゲンさんには悪いけど。足も疲れて歩けなくなってきた。美咲は元気あったけど。それで、私たちケンカ。『サオリちゃん、弱すぎる!! だらしない!!』って。『何よ、ミサキがいい加減な計画持ち出すからよ!』って言ってやったら『サオリちゃんさえいなければ成功したのに』って泣くの」 「それで、どうなったの?」 「日も暮れて今度はリヒトに帰ることすらできなくなった。私のおなかは痛いし、美咲はおなかが空いたって泣くし。『サオリちゃんのせいだ、みんなサオリちゃんが悪いんだ』って泣くの。そんなとき…リヒトから救助隊よ! たくましい青木さんの旦那さんともっとたくましい警備員の福井さんが来てくれたの。午後9時、無事救出、一件落着」 「怒られたりしなかった?」 「後でね。そのときは青木さんのご主人がおにぎりを持って来てくださって美咲と私で食べておいしかった。そのおにぎりパワーでリヒトまで歩いて戻った。それから賢次先生、理事長先生からさんざんお説教よ。まあ、すべては私のホームシックがいけないんだけど。森をさまよったときは私を脱走計画に駆り立てた美咲を恨んだけど、理事長先生の話を聞いて私反省したわ」 ▲山崎賢三郎理事長 その二  沙織ちゃんと美咲ちゃんの脱走計画? まあ、無理もないですな。2人とも家に帰りたかったでしょう。沙織ちゃんは電話して両親の声が聞きたかったことでしょう。彼女らの気持ちは分かります。私は医師でもありますし、3人の子を育てた父親でもありますから。  残念ながら、美咲ちゃんは少し知的障害もある子です。年齢にあった発育が出来ていない子です。そのことは可哀想なことですし、私も医師としてそのことも踏まえたケアをしていました。 しかし、ここはリヒトの園、彼女も沙織ちゃんも患者として治療しに来ているのです。確かに不自由なのは分かりますが、どうか目的を見失わないでいただきたい。ここでの束縛にはみな意味があります。物理的に外界と距離を置くのは自然に近い環境に身を置くためです。そうすることが治療のために良い、というのが私の長年の臨床での研究成果であり、私の精神科医としての信念です。 ただ私は患者さまを物理的なやり方で拘束するのは好みません。高い塀や鉄格子、保護室などです。保護室はやむを得ず使うことを指示することはごくまれにありますが、ここには塀や鉄格子は一切ありませんし、病室も施設もすべて開放病棟です。 2人に言いたいこと、それは「束縛されないことが自由ではない」ということです。 自由であるためには責任が伴います。自立と言いますか、あるいは律する方の自律とも言えましょう。2人が、あるいはここに来ている患者のみなさんが自由であるためにはまず自由に耐えうる健康な心身を持っていただく必要があります。そのお手伝いを我々はしているのだと、私は職員に日々訓示しております。責任のない好き勝手を覚えれば退所してからどうでしょう? 私のお節介ですかな? そんなはずはないと確信しております。 ◇陣内沙織 その五 「でもね、その後お手紙だけはなんとか許可が下りたの」 「そう、よかったね、沙織ちゃん。手紙、書いたんだ」 「うん、あのリヒトにはね、週に1回だけ移動式スーパーが来るの。移動式スーパー、っていうのは色々な生活物資を販売するバスみたいなやつのことで、今の東京にはないけど福島のd町辺りでは今でも普通にあるんだって。リヒトには毎週木曜日に親睦会の前に来るの。そこでレターセットと切手を買って、そのかわいい便箋にメッセージ書いて青木さんに託したの。パパとママに、って」 「沙織ちゃん、上手に書けた?」 「そうね、あまりうまく書けなかったわ。でも私がそれでも両親に手紙を書こうと思ったきっかけは広海ちゃんよ」 「ああ、あのお手紙の大好きな女の子だね」 「そう、広海ちゃんはあのとき15歳、美咲が16歳で私が18歳だったからなんか私の妹分みたいね。美咲もそうだけど。とっても無口な子。美咲は朗らかだけどまあ、美咲の場合は病気がさせる部分もあるか。とりあえず、広海ちゃんはとってもおとなしくて理事長先生や賢次先生、他のどのスタッフに対してもホントに従順な子だった」 「広海ちゃん、勉強も好きだったんじゃないの?」 「うん、a高校だから頭はいい方ね。私のB大が志望校だって言ってた。確かその後高校1年留年したけど現役で受かったんじゃなかったかな? 英語が好きで英語学科に行きたいって当時言ってた。実際、その頃から私、リヒトの学習プログラムに参加したんだけど、その学習プログラムっていうのはいわば教育課程ね。理事長先生や賢次先生が講師を務めてくれたり、あと私や後から入所してくる光輝くんが教える役をやったりした。どっちも年長さんね」 「健太郎くんなんかまだ中学生だったっていうから病気していると学業に差し支えあるけど、そういうプログラムがあると助かるね」 「みんなそうなの。美咲はすでに高校を中退していたけど、最低限の勉強はしなさい、って先生たちに言われて簡単な英語や数学を習っていたし、広海ちゃんと大哉くんの高校生二人は主に私が教えたの。数学なんかは上手に教えられなかったけど、現代文や世界史は得意だったし。あと、健太郎くんは看護師の二宮さんに付いて勉強していた。私ものちに実家からテキストやノートを取り寄せて勉強したの。大学の。英語ひとつとドイツ語ふたつ単位落としていたから必死で勉強した。後に外泊して東京へ帰って試験受けたの。それはなんとか受かったけど、まあ結局1年卒業が遅れたんだけどね。ちなみに先生たち、英語もドイツ語もすごいの。特に賢次先生のドイツ語なんかもう一級品よ! 『最近は医学も英語なんだけど』っておっしゃるけど、ハイジとか簡単なドイツ文学を読むのは面白い、って」 「なかなか楽しそうだね、学習プログラム」 ■報告書 「陣内沙織」 8月9日   文責:二宮郁子(補足あり)  あの脱走事件以後、手紙に限って賢次先生の許可が下りました。電話は依然禁止です。  リヒトでは患者さまの親御さまからいただいたお金の一部を患者さまのお小遣いとして独自の口座を開設して管理しております。先日移動式スーパーの来店の際、沙織さんは初めて買い物に参加され、お小遣いのなかからお菓子やレターセットを買っておられました。ご両親にお手紙を書くそうです。なお、衣服などの大きな買い物は通信販売もありますし、主治医から許可のあった患者に限り、月に1度郡山まで車で送迎して買いに行きます。 沙織さんにも昨日から学習プログラムに参加していただきました。熱心に勉強され、また広海さん・大哉くんの指導にも当たられました。ご本人はご実家から取り寄せたテキスト・ノートでドイツ語の勉強を、文法を中心にやり、あとは英語を勉強されました。これには賢次先生とあと理事長先生が彼女の質問に答えました。沙織さんは先生方のドイツ語の解説に熱心に聞き入っておられました。  沙織さんには今後一層年下の患者さんのサポートをお願いしたいです。特に広海さん。頑張り屋さんですが、おとなしい子なのでぜひお願いしたいです。 ◇白田広海 その一 「こんにちは、広海ちゃん」 「こんにちは…」 「広海ちゃん、怖がらなくていいんだよ」 「はい…」 「広海ちゃん、お手紙書くの大好きなんだよね?」 「うん…」 「あの、話してくれないかな、広海ちゃんの病気について」 「・・・」 「ご、ごめんね、話せないんだね! 広海ちゃん、どうだった? 8年前、沙織ちゃんたちとリヒトに入っていたころは?」 「大哉くん…」 「大哉くんがどうしたの?」 「私、大哉くんのこと好きだった。デートしたかった」 「そ、そうなんだ。で、出来たの? 大哉くんとデート?」 「最初はあまり出来なかった」 「そう、残念だね」 「パパが反対した。病気のやつとは付き合うな、サッカーやってるやつはつまらん、って。パパって野球のジャイアンツのファンなの。私いつもパパやママにお手紙書く。そうお返事来た」 「そうなの。主治医の先生には相談しなかった? 賢次先生」 「でも…」 ◇陣内沙織 その五 「なんか沙織ちゃんが広海ちゃんの背中を押したんだって?」 「そうなの。パパや賢次先生が反対しても広海ちゃんは絶対大哉くんに告白すべきだ、って。そして、半分無理やりだけど、広海ちゃんと大哉くんを2人にして告白タイム! よ。あの2人、同い年なの。カップルにはちょうどいいはずよ。それに、私にはある確信があったの」 「へえ、どんな確信?」 「私、思ったの。恋愛って人間関係のある種の勉強じゃないかって。障がい者だから恋愛禁止、ってナンセンスだって。賢次先生には先生なりの考え方があるんだろうけど、そのときだけはおかしいと思った」 「それで、どうなったの、広海ちゃんの恋?」 「広海ちゃん、勇気を振り絞って告白したの。そして、大哉くんと『お友達から』ってなったの。でも、その後彼女、賢次先生に注意されて大泣きした。私も広海ちゃんをけしかけたってまたお説教よ! 青木さん、二宮さんまで! 脱走事件の直後で、沙織ちゃんまた事件か!! って」 「えーっ、それはよくないね」 「ところが信じられないことが起きたの! 理事長先生が私の肩を持ってくれたの! 賢次先生に注意してくれた。賢次先生は理事長先生の息子さんでしょ? 『賢次、恋愛だってある意味人生の勉強だ。恋愛のような“正常な問題”の相談に乗ることも我々医療関係者の使命だ』って。勿論賢次先生反論したわ。『先生、いや、お父さん! そんなはずはないです。患者に恋愛なんてありえません!』しかし、理事長譲らなかった。そういう障がい者の恋愛に関する詳細な研究が実際日本でもあるんですって」 「えっ、沙織ちゃん、その研究を知っていたの?!」 「知ってるわけないわよ!! でも理事長先生に言われて私、自分が間違っていなかった、って思えた。そして、広海ちゃんも間違っていなかったって。広海ちゃんは純粋な子、大人たちに汚されてほしくない。今から思うと私も純粋だったんだな、って」 「広海ちゃんは先生でも間違うってきっと気づかなかったんだろうね」 △山崎賢三郎理事長 その三  白田広海ちゃん…彼女はきっと「大人はすべて正しい」という迷信のなかにいた子でしょう。もちろんこれは迷信、間違いです。私も3人の子の父親として数多く間違った言動をしてきました。同じ親の立場である友人や職場の同僚もそう告白しています。女性で母親の立場の人もそうです。中学校時代の友人で中学校の教師をしている男がいるのですが、彼も自分が教師として間違っていると悩んでいたのを覚えています。  沙織ちゃんと美咲ちゃんの脱走事件のとき、私は束縛されないことが自由ではない、と説きまずは規則に従うことの重要性を説きました。そこからすればやや矛盾する話です。  この二つの話はいわばMT車のアクセルとクラッチ、歩く人の右足と左足だと言えます。どちらもバランスよく求められます。まずは規則に従う、目先の自由を放棄する。そして自分なりに考え、修練を積み、最後に自分のカラを破って成長する。私はそうあるべきだと今でも思っています。広海ちゃんにもそうあってほしい。勿論、他の子たちにも。  あまり患者さまの病気のことを言うのはよくないですが、ここではいいでしょう。広海ちゃんはパーソナリティ障害で、そのなかの依存性パーソナリティ障害です。不安で内向的であることが特徴で、他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴とされている精神病です。彼女が書く長い手紙も両親への依存の表われでしょう。 私は彼女の主治医ではありませんが、このリヒトの園の理事長として彼女のカラを破る成長を見守っていきたいと思います。ちっぽけな殻を破り、成長してここリヒトを去ってほしかったです。  私も広海ちゃんの恋が実ることをこれからも祈ります。 △山崎賢三郎理事長 その四  ここで、少し私自身について語っておいた方がいいと思いました。これまでの私を見れば、上から目線の偉そうな爺と思われている方もおられることでしょう。私の身の上話に触れ、そういった先入観が少しでも払拭されればと思います。  私は、昭和1X年、東京で生まれました。5人兄弟の3番目です。当時日本は中国大陸へ侵略し、アメリカとも戦争しようとしていました。幼い私は当然、ゼロ戦のパイロットになり、アメリカと戦うことが夢でした。しかし、戦況は次第に悪化、当時小学生だった私はここ福島に疎開することとなりました。d町です。もっとも私が住んでいたのはこんな山奥でなく、もう少し山のふもとでした。地元の山や川で遊び、いい少年時代を過ごしたことは前に述べた通りです。  終戦後、東京へ戻りました。東京の中学・高校を出て、2浪して東京大学医学部へ入学しました。大学時代は柔道に没頭し、勉強もろくにせず、教養課程では不可を13個とって進級できませんでした。お前はもう勘当だ! 父は激怒しました。父子で大ゲンカになりました。母が間に入って体を張って父をなだめてくれました。その後は勉強と柔道をうまく両立させ、無事大学も卒業、医師の国家試験もパスしました。  28歳のとき、現在の妻・信子と結婚しました。信子は私より4歳年下で都内で精神科病院を開院している医者の娘さんでした。控えめですが非常に芯の強い女性です。その後3人の子どもを授かりました。長男が賢次です。  リヒトの園を立ち上げるとき、何人かの信頼できる人にはスタッフとして声をかけました。前の病院で同勤していたPSWの青木さん、看護師の二宮さん、同じく看護師で老人病棟の長澤さん、藤田さん。そして、アルコール依存症の研究・臨床に長年当たられた加藤治先生。加藤先生は東大のご卒業なので私の後輩にあたりますし、私が卒業してからですが柔道部にも在籍されていたそうです。あと、前の病院からと言えば調理担当の松永さんを忘れてはならないでしょう。ゲンさんと言った方が通りがいいかもしれません。私は医学においても栄養、特に食事を重視する医者です。その意味においてゲンさんのような存在は不可欠なのです。   ◇陣内沙織 その六 「沙織ちゃんは広海ちゃんにいい援護射撃ができたわけだ」 「そうね。美咲と仲直りして、広海ちゃんをサポートできた。その頃から私は徐々に精神的にも落ち着きだして男の子たちとも親しくなりだしたの」 「男の子って、健太郎くんとか…?」 「そう。森健太郎くんと永野大哉くん。当時、健太郎くんが中学生で、大哉くんが高校生。大哉くんは前にも言ったように広海ちゃんと同い年だったからあのとき15歳かな? どっちもかわいい弟ね…」 「大哉くんだけど、沙織ちゃんに憧れていたみたいだね」 「キャハッ、でも私、大哉くんに恋愛感情はないわ」 「でも彼、サッカー好きの美少年だよ」 「それはそうだけど、広海ちゃんもいるし、私にはのちに王子様が…」 「あっ、そうだね」 「私には大哉くんと同じ年頃の弟がいるの。敏樹っていうの。その頃大哉くんを見ると弟を思い出して家に帰りたくなったわ。また、ホームシックね…」 「そう…」 「それはそうと、広海ちゃんが大哉くんに告白して2人は友達になった。そして、いろんなことを2人で話すようになった。個人的なことも」 「例えば、どんなこと?」 「家族のこととか、学校のこととか。それでね、広海ちゃんは都内のa高校でしょ? 勉強もできてサッカーも強いとこ。一方の大哉くんはb高校。それで…」 「それで?」 「大哉くん言うの。『おれa高校に行きたかった。勉強も頑張った。でも、当日熱出して調子が出せなかった。a高落ちた。仕方なく滑り止めのb高に行った。だからおれ一生aのやつより下だ』って。精神病になったのもそのせいだっていうの」 「そんなことないよ、b高校もいいよ」 「そうでしょう。でも、偏差値とかネームバリューはどうしてもa高校の方が上なの。2人が学校の話になった途端大哉くんは機嫌が悪くなってそれまでのいい雰囲気がいっぺんに台無しになったの」 「そう、そうなの」 「大哉くんは『おれは所詮a以下のクズだ』とか言って泣くし、広海ちゃんは大好きな大哉くんを怒らせた、って泣くし。大哉くん、男の子なのにすぐ泣くのね。すると、美咲まで『高校行けてる人はまだいい、私なんか中退だ』って泣くし…もうそのとき賢次班はボロボロよ。私は必死で3人をなだめた。そして、とうとうキレた。それで、賢次先生も青木さんも来てくれた」 「それで、解決したの?」 「うん、理事長先生がね…」 ■カルテ 「陣内沙織」 8月21日   文責:山崎賢次  ホームシックの様子は若干見られる。しかし、精神的に落ち着いて来ているので通信・電話は許可する。両親からの手紙を喜ぶ。来月、母親の見舞いによる面会を予定、母親に提案。  賢次班内からのトラブルから本人が怒ったため、注意深く様子を見る必要がある。リスペリドンの増薬を検討。  農作業は可能な範囲で取り組んでいる。収穫を楽しみ、嫌いなトマトは克服したという。学習プログラム、音楽、絵画プログラムにも参加。移動式スーパーでの買い物を楽しむ。秋をメドに月一度の買い物も参加許可を検討。 ◇永野大哉 その一 「永野大哉です。よろしくお願いします!」 「おっ、元気あるねえ、大哉くん」 「おれもあの頃、リヒトで苦しんでいました。でも、先生方やスタッフのみなさん、それに沙織さんやほかのみんなのおかげで乗り越えられたんだと思います」 「さわやかだねえ、大哉くん。さすがサッカー選手、スポーツマンだ」 「でも、広海さんが…彼女a高校だったことが…」 「大哉くんは許せなかったんだね?」 「広海さん自体は悪い子じゃなんですけどね。おとなしい子です。でも、サッカーのことは何も知らなかったです。リヒトの園にいたときも、そしてお互い退所してからデートしたときもおれとは話があまり合わなかったです。あっ、おれたちどっちも家東京なんです。東京のP区。おれはb高をなんとか卒業してその後、千葉の方の電子の専門学校に入りました。そして、卒業後は電子の部品工場でアルバイトをしています」 「前向きだね」 「ありがとうございます。でも、b高のこと、広海さんのことを受け入れるのは勇気が入りました」 「それは仕方がないよ、大哉くん」 「広海さんがb高のことをどう思っているのかは分かりません。でも、うちの高校なあ、スポーツの名門なんていうだけのバカ高校ですから。おれもa高、行きたかったなあ」 「そんなことないよ。こっちで調べたけど、b高も進学実績あげてるって」 「そうですかぁ? おれ自身も大学は行けなかったし。まあ、病気のせいもあるけど。いや、そんなの言い訳か。広海さんはB大行ったもんな。でもおれたち今でも付き合っています。彼女、手紙好きですし」 「そうだね、広海ちゃんお手紙大好き。ところで、もうすぐサッカーの大きな国際試合があるね」 「ええ、おれも楽しみなんですよ。もう、楽しみで、楽しみで。まずはスペインとするんですけど、勝ちますよ! 無敵艦隊を撃沈だ!!」 「確か大哉くんがリヒトの園に来たときもサッカーの試合があったんだね?」 「ええ、韓国との試合でした。イヤな相手です。0-2で負けていたのにおれがテレビつけたら3点返して逆転勝利!! あの感動は忘れません。あれで、リヒトで頑張っていけるようになったかな…」 「一緒にサッカー応援しようね。理事長もサッカー見る、って」 「そうですか。うれしいです。おれもずっとサッカー一色でしたから。ホントはそのスペイン戦、おれがピッチに立つつもりでしたから」 △山崎賢三郎理事長 その五  大哉くんは明らかにレッテル貼りです。「a高校よりb高校は下だ」「おれはa高校に行けなかったクズだ」確かに、偏差値やネームバリューからすればそうかもしれません。そのときでも彼がクズとは私は思いません。もし、百歩譲ってa高に行けなかったクズとすれば、彼はこれから成長して自分のカラを破ってほしいと思います。そう、これは広海ちゃんへの話とも重複します。  行きたい学校に落ちてしまった。入りたい会社に不採用になってしまった。失恋してしまった。私なそういう人にたくさん会ってきました。そういう人生のイベントがきっかけで精神病になる人が多くいるからです。しかし、そういう人たちに私は言いたい。  失敗しても人格まで否定されてないと。あなたの価値は何も変わらない、と。  もっと言うと行けなかった学校、会社、結ばれなかった異性よりその人の方が価値があるのでは、と思えるのです。ひたむきに頑張っている大哉くんの方がa高校で怠けている生徒より優れていると思いませんか? これは何も大哉くんだけではないはずです。 私も東大医学部に入りましたが、2浪しました。現役は勉強不足、1浪は運不足。2浪のときは心を入れ替えて必死で勉強しました。2度の失敗の経験も役立ちました。2度の不合格の涙が3回目にして喜びの祝杯となったのです。だから、大哉くんも他の子たちも、価値のある子たちばかりです。たとえ失敗しても失敗しても、立ち直ってほしいです。大学に入り、今度は留年しましたが、そのときも心を入れ替えて勉強しました。失敗したからと言って価値は変わらないことの表われです。もちろんa高校も立派ですよ。広海ちゃんがそうです。きっと誰にも言えることでしょう。どの人にもそれなりの価値があるからです。  私も大哉くんと同様、次のサッカーの国際試合楽しみにしています。 ◇陣内沙織 その七 「確か、9月の頭にママがお見舞いに来てくれることになったの」 「そっか! で、どうだった? ママに会って?」 「久し振りでもう涙が出た。『ママ、ごめんね、ごめんね』って。ママは優しく許してくれたわ。初めて許可をもらってリヒトから電話したときはうれしかったけど涙なんか出なかったのに」 「お母さん、東京から来てくれたんだね」 「そうなの。東京からは新幹線。郡山で降りてそこからマイクロバスだって。山道、車酔いしそうだったって」 「で、どんな話したの?」 「主には私の病気の話だったかな。あと、家族の話、それに大学の友達のことも。当時私には中村くん、っていうボーイフレンドがいたんだけど、彼から電話があったんだって。実家の固定電話に」 「あの雄太くんっていう…?」 「そう。『沙織さんのスマホに電話してもいつもエリア外ですし、連絡もありません。どうしておられますか?』って。ママ嘘ついたんですって。『父の会社の海外研修について2ヶ月アフリカに行っています。』ですって。笑っちゃうなあ。でも本当のこと言えないでしょう? 精神病で山奥の療養所にいます、なんて」 「それもそうだね」 「私、ママに感謝した。やっぱり雄太くんには病気のこと知られたくない。マリコやミキにも。でもね、正直言うと、私その頃からもう雄太くんより野崎課長に気持ちが行きはじめていたの」 「沙織ちゃん、そうなの!」 「そう。今から思うと私はとても悪いことをしたわ。奥さんのいる男性と一夜を共にしてみだらなことまでして…。でも課長はステキな人だった。当時確か35歳だったけど、トシの割に若く見えたし。ほら、その歳にもなると男性は太ってきたり髪が薄くなってきたりするでしょう? 野崎課長はまったくそんなことなかった。27~8歳くらいに見えた。それに歳相応に話すことも大人びていて話が面白かったし。大学の友達とは大違いね。だから、翔平さんが好きだった…」 「でも沙織ちゃん、それはよくないよ」 「確かにね。でもそうだったの。当時私、朝は農作業して、昼からはプログラム、夕食の後寝る前は美咲や健太郎くんたちとテレビを見ていたの。そして、寝る前は自分の部屋で翔平さんとの一夜をオカズに一人エッチするのが日課だった…」 「いいのー、そんな話して?!」 「とにかく、ママがお見舞いに来てくれたのはそんな折だった。リヒトの部屋でママと親子で話もし、賢次先生と三人で面談もしたの」 「それで、何か進展はあった?」 「進展があったのよ!! 賢次先生、課長にリヒトにお見舞いに来てもらえば、っておっしゃって。課長が今後の私の治療につながるキーマンになると思われたのね。課長、私が療養所に入ったって聞いて心配していたってママから聞いてたから。結局10月の3連休に費用はママの負担ということで課長のお見舞いをママが電話で打診した。そして課長はOKした。その電話の途中で賢次先生が代わって課長と話をしたの。『野崎さん、意欲的だったよ』って先生」 「そう、それはよかったね。」 「ところで、ママが来てくれた時なんだけど、土曜日の昼にリヒトについて一緒に遅いお昼ご飯を食べて昼からのプログラムに途中から飛び入りで参加してもらったの。その日は音楽のプログラムだった。音楽のミユキ先生がキーボードを持ってお見えになってみんなで歌ったり、演奏を聴いたりするの」 「ミユキ先生?」 「うん、その後お辞めになったんだけどね。ご自宅でピアノ教室されている傍ら2週間に1回私たちに音楽を教えにふもとの町から来られていた方よ。もちろん苗字はあるんだけど私たちはみんなミユキ先生、って呼んでいた」 「美術の先生もいるの?」 「うん、美術は早坂先生。地元の画家の方よ。サラリーマンする傍ら絵を描いておられて定年後アルバイトにリヒトに絵を教えに来られたって」 「土曜日のプログラムも楽しそうだね。」 「うん、楽しかった。私、音楽も美術もホントは得意じゃないんだけどね。歌はヘタだし、絵心はないし。でも、先生方優しく教えてくれてよかった。ちなみにこのプログラムだけは3班合同なのね。木村班、加藤班の人たちとも交流できるの」 「木村班、加藤班ってどう区別するの?」 「まず、加藤班はアルコール依存患者の班よ。加藤先生はその方面の専門だから。賢次班と木村班はどちらも精神病全般だけど、年齢層が違うの。賢次班が若くて木村班が年配の人たち。だから、学習プログラムが違うの」 「なるほど…。それで、話を戻すけど、沙織ちゃんのお母さんはミユキ先生の音楽の授業に参加したんだ」 「そうなの。ミユキ先生が伴奏つけてみんなでいろんな歌を歌ったわ」 「その頃はどんな歌?」 「童謡の『ふるさと』とか『線路は続くよどこまでも』とか。あと、9月だったから『里の秋』もあったし、J-POPもあった。美咲の好きなアイドルの歌とかね」 「いろいろだね」 「うん、だから楽しかった。ママも楽しい、って。私もカラオケよりエキサイトしてたなぁ」 「日曜日はプログラムはないね」 「うん、だけど特別に許可をもらってママと外出したの。マイクロバスで郡山まで行ったわ。そこで服とか買い物して、ごはん食べて帰ってきたの。私あの脱走事件以外でリヒトの敷地から出たの入所以来だった開放感があってよかった!」 「へぇ、そりゃよかった」 「次の月曜日は午前中ママも農作業の手伝いをして早いお昼を食べて昼の送迎バスで東京へ帰ったわ。ほんとママが来てくれてよかった」 ◇陣内沙織 その八 「10月に翔平さんが来られるまで何か問題はなかった?」 「あった。健太郎くん。今まで順調にやって来たけど、まあかわいそうね。私たちみんな東京の人間なんだけど、彼だけが大阪の子なの。だから話し方でも大阪弁丸出しで…。よくみんなで夜にテレビ見てても彼東京のことよく知らないの。私たちが知っている東京の地名とか、お店の名前とか」 「たとえばどんなこと?」 「たとえば、東京で有名な洋菓子の満月堂とか。ケーキとかプリンの店ね。彼は知らない。『大阪ゆうたらたこ焼きや。ケーキはナニワ屋が一番や』って言うの。ダサいじゃん!!  私たちバカにしたわ。だってナニワ屋なんて知らないもん。有名な服のメーカーにニコニコアパレルってあるって言うけど聞いたこともないし。東京なら有名な大企業いっぱいあるでしょう?」 「いやいや、大阪もすごいよ。ホント商売の街で活気あるよ」 「今から思えばそうなんだけど、ホント健太郎くんには悪いことした。健太郎くん太ってるし、最年少だしね。当時13歳。極めつけは、健太郎くんが心から敬愛する阪神タイガースよ! あの年、成績不振で低迷したの。9月の中旬で最下位が確定した。彼曰く『甲子園に秋風や』って」 「そう言われると健太郎くんは可哀想だなあ。いや、ぼくもヤクルトファンだから阪神には負けてほしいしね」 「私たちはというと誰も阪神ファンじゃなかったの。あの頃私たちどっか健太郎くんのことをバカにしていた。みんな阪神に関心ないし、阪神の悪口を言っていた。テレビの野球中継で阪神の選手が三振したりエラーしたりしたら私たちもう拍手喝采よ。あの広海ちゃんまでね。とうとう、ある日の巨人対阪神戦のナイター中継のとき、阪神が逆転サヨナラ満塁ホームラン打たれて私たちが囃し立てたとき健太郎くん大声で泣き出したの。声を上げて泣き叫んだ。近くにあったものを壊してしまった。そしたら青木さんが飛んできた。たまたま理事長先生も生活寮にいてやって来られた」 ◇森健太郎 その一 「健太郎言いますぅ。もうかりまっか~?」 「ぼちぼちでんなぁ~、いいねえ、健太郎くん、さすがは大阪出身だ」 「ワイもあの頃沙織さんたちに大阪のこと散々バカにされましたが、見てください、今の大阪を!! 梅田も心斎橋も立派になりました。ユニバにもいっぺん遊びに来てくださいや」 「ほう、大阪ではUSJのことユニバって言うんだね。ぜひ行きたいな」 「ぜひ来てください。ところで、リヒト時代ですけど、あれは殺生でっせ! 大阪を、阪神タイガースを散々コケにされました」 「そのことは沙織ちゃんも反省しているよ」 「タイガースはワイの心の太陽です! リヒトにいた年は最下位に沈みましたが、あれから監督も替わって選手も大幅補強しました。今季は優勝戦線に残ってまっせ!」 「そうだね、逆にヤクルトがヤバい」 「ハッハッハ! 本気出したらこんなもんですわ。ヤクルトやらDeNAでは話になりませんわ。でも、どうなんですか? やっぱり、大阪は東京にはかなわんのですか?」 「うーん、そりゃ人口とか産業とか数字で比べたらきっと東京の方が上なんだろうけど、どうなんだろう? 何をもって比べるか、だね」 △山崎賢三郎理事長 その六  大阪は風情ある街です。人情があって、食べ物がおいしくて。食い倒れとはよく言ったものですな。私も医師としての仕事を通じて出張でよく大阪へは行きました。決まって仕事の後の夜はお好み焼き、串カツ、大阪寿司にきつねうどん。よく冷えたビールがつけば最高ですな。 観光もしました。出張の帰りに一人旅や、家族旅行で。キタやミナミへ行ったり、通天閣、新世界へも足を延ばしたり。あと何と言っても最近ではユニバーサルスタジオ・ジャパンもです。私のようなお爺さんが行っても良さが分かりませんが、孫を連れて行きました。孫たちは本当に喜んでくれました。 確かに大阪はいい街です。でも、私が健太郎くんに申し上げたいのは、その街の風情と言いますか、その街から滲み出てくるよさを誇りにしてほしいということです。それは決して食べ物や観光地や繁華街、あと健太郎くんの大好きな阪神タイガースだけを誇りにするのではなく、大阪にまつわる森羅万象を愛してほしいということです。  東京と大阪がどちらが勝っているか…? それ自体は難しい質問ですな。でも、いや、答えを出す必要のない質問でしょう。大哉くんにも申し上げた『a高とb高、どっちが優れているか?』と全く同じです。どちらにもそれぞれの良さがある、それだけです。  健太郎くんは大阪市のK区のからリヒトに来てくれましたが、もしかして関西のほかの県や街を低く見たりはしていませんかな? もしそうだとしたらそれは間違いですぞ。京都、神戸、奈良。それに琵琶湖の滋賀や和歌山まで。どこもみないい土地です。 実は私、新婚旅行は関西でした。前に申し上げた通り私は東京出身でして。関西には行ったことがなかったのです。私の義父はお金を出してあげるから海外に行ってはどうか、と言ってくれました。見聞を広めるためと思ってくださったのでしょう。しかし私はこれには反対しました。『お義父さん、どうせなら関西の深い歴史や文化に触れたいです』と。妻も特に私に反対しませんでした。そして私たちは義父のお金で関西に6日間で行きました。義父も海外へ行くよりかは旅費が安く済んだことでしょう。コロナ前なら新婚旅行は海外が当たり前の時代でしたが、当時はこうした国内が普通だったように思います。  関西までの往復は在来線の急行列車でした。新幹線など当時まだありません。でも、義父がたくさん出してくれたので二等席、今でいうグリーン席に座れました。食事には駅弁を食べ、長時間汽車に揺られて尻が痛くなりましたが、まず京都に着きました。京都の手前の大津あたりで琵琶湖がきれいに見えました。早速京都を観光、そこを皮切りに大阪、神戸、奈良を観て回りました。どの街も美しく、本当に風情がありました。 神戸では神戸港や中華街を楽しみました。京都で見た神社仏閣はおごそかで心が洗われました。さすが日本のパリです。奈良では大仏様の大きさに圧倒されました。最近まで中国人も京都や大阪に本当に多かったと言いますし、あと奈良は特にフランス人やスペイン人に人気があったとか。コロナ禍でこうした人々はいなくなりましたが、時代は変わりましたな。  話が飛びましたな。私の新婚旅行の話なんてどうでもいいのに…すいません。要するに、東京でも、東京は私の生まれ育った街ですから当然愛着のあるいい街です。それ以外でもみなそれぞれ風情と愛着のある場所です。それぞれの土地、それらしさを受け入れる心が肝要です。 ただこれが、産業や観光を充実させるとか経済の問題となると話は違ってきますな。我々医者など理科系の人間はとかく片手落ちです。経済というもう一つの視野も必要となることでしょう。役所の人間なら必須事項です。それぞれの専門知識に経済の知識。物事を二眼レフで見なければなりません。 ■報告書 「陣内沙織」 10月5日   文責:二宮郁子(補足あり)  日々リヒトでの生活に慣れてこられたようで、我々も喜んでおります。夕べはゲンさんが作られた炊き込みご飯をおいしいと何杯もおかわりされました。旬のキノコをふんだんに使ってゲンさんが心を込めて作ったご飯です。苦手の魚も少しずつ克服できているようで、ゲンさんも喜んでおられます。  野崎さんとおっしゃるお母様のご友人が明日からお見えになるそうで、沙織さんもお会いするのを楽しみにしておられます。沙織さんもこの方に心を寄せておられるそうで、賢次先生は沙織さん回復のキーマンだとおっしゃっています。野崎さんにもこちらでの生活を体験していただきます。  沙織さんのお母さまから聞いて話では、野崎さんはかつてのお母様の15歳年下の恋人で、現在もたまにお母様のマッサージの施術院にお見えになっているとか。B大学のご卒業でサッカーJ3のチームで5年間プレーした後、大手証券会社のタナカ証券に入社され、営業のお仕事をされているとか。どんな方か私も楽しみです。すごくイケメンだって沙織さんからもお母さまからも聞いているので。 ◇陣内沙織 その九 「10月の3連休についに翔平さんが来てくださったの、リヒトに」 「へえ、それでどうなったの?」 「とりあえず土曜日の昼の送迎バスの便でリヒトに着いた。ママも一緒だった。課長、早速遅いお昼ご飯を私たちと食べて、途中からだけど美術のプログラムに参加したの。例のサラリーマン画家の早坂先生の。その日は晴れていたから風景の写生に外に出て描いたの。10月でよく晴れて風もなかったから気持ちよかった。いや、ちょっと暑いくらいだったかな…眠くなったのを覚えている」 「野崎さんも絵を描いたの?」 「うん、それがとても上手なの。『おれ、中学のときは美術5だった』って。それに、『新婚旅行ヨーロッパだったからパリでルーブルやオルセー美術館に見学に行った』って言ってた」 「すごい人が来たね」 「その後、課長も交えてみんなでコーヒータイムを取り、コーヒータイムのあと四者面談よ。私と、ママと賢次先生と、課長。それが30分くらいで私はその後美術教室に戻り、代わりに青木さんと二宮さんが話に加わった」 「野崎さん、忙しいね」 「そう、でも16時半に終わったみたいでそれからお風呂でしょ? その後私たち賢次班とママも加えて夕食。麻婆豆腐だった記憶がある。その後はみんなでテレビを見た。課長だけ缶ビールが支給された。私、リヒトに来てから一滴もお酒は飲んでなかったし、不思議と飲みたくなかったけど、あのときだけは飲みたくなった。でも必死で我慢した。まだ18歳だったから飲んじゃいけないんだどね。テニスサークルでは普通に飲んでいたから」 「野崎さん、他の子たちとどうだった?」 「うん、美咲はわりとよくしゃべっていたな。でも、広海ちゃんは人見知りして。健太郎くんとはまあまあ。でも、一番話が合うのは大哉くんね。どっちもサッカー好きだから」 「そうだね、サッカー少年だ」 「この前の日本代表のスペイン戦はひどい負け方だったとか、トルコ戦の引き分けは本当は勝っていたとか。楽しそうだった。課長がJ3経験者だって言ったら大哉くんもう目を輝かせて。『おれに明日サッカーを教えてください、ボールならここにもありますから』って。そんな具合にして課長のリヒト1日目が終わった」 「2日目はどうだったの?」 「あの日の朝…忘れない。私、相変わらず早くに目が開いていたのね。朝5時前に目が開いて何気なく外を見ていたら課長が一人で外に歩いて行った。私慌てて着替えて付いて行った。顔も洗わなかったわ。課長、ちょっとびっくりした。『おはよう、サオリさん。早いね』って。何してるんですか、って尋ねたら『朝の散歩だよ。早朝の山なんて気持ちいいじゃないか。オゾンもいっぱい出てるし』って。その後2人で散歩したの。一緒に山の中を。ほらリヒトって山の中にあって、まるで森に浮かぶ島みたいでしょう? 気持ちよかった」 「いい感じだね」 「そうなの。それでね、私なんか変な気分になって…勘違いっていうか…私たち二人が森の妖精みたく思えたの。それで課長に言った。『私たち森に棲む妖精なの。妖精が服着てたらへんでしょ?! だから裸になろう!』って。課長困ってた。『きみがみだらなことをして、おれの女房は悲しんだんだ。そのことを反省しているのかい?』って。私『ショウヘイさん怒らない!! 反省してます!!』って言ったの。今から思うとまずい一言だった。でもそのときは本当に二人で森の妖精になった気分だったの」 「森の妖精か…ロマンチックだけど、現実離れだよね」 「そう。でも私、それくらい課長と、いや翔平さんと時間を共有できてうれしかった。そのあとも2人でいろんな話をした。リヒトでの生活や、仲間のこと。そしてトータルで1時間くらいかな? 散歩を終えてリヒトへ帰った。日曜日だったから食事は各自だけど、私はママと翔平さんと、あと後から起きてきた大哉くんと4人で食べたの。そのあと課長のサッカー講座よ。大哉くん、課長からサッカーを教わった。サッカーのボールならリヒトにもあったし。ボールの蹴り方はこうだよ、とか。約3、40分くらいかな?」 「野崎さん、いまでもサッカーやっているんでしょう? 確か地元の草サッカーチームでコーチ兼任でプレーしてるとか」 「そうなの。大学出て確かFC京浜っていうクラブに在籍してたんですって。JリーグのJ3に所属するクラブよ。そこで試合に出ながらJ1のクラブの採用試験を何度も受けた。でも受からなかったんですって。そして、27歳のときに大きなけがをしてサッカーを断念したの。その後、けがが治ってからタナカ証券に就職したって」 「へえ、サッカーのエキスパートなんだね。大哉くん、そんな人からサッカーの指導受けられたなら喜んだだろうな」 「もちろんよ。で、その日は日曜日だったからリヒト内のプログラムはなしで、10時から課長は理事長と面談があったの。私はママと自分の部屋で話をしていた。そして、確か、ママと課長と3人で昼から近くの山へハイキングに行こうって話になったの。ええっと、d町だからd山ね」 「へえ、いいねえ、ハイキング」 「お弁当はゲンさんに作ってもらったの。ゲンさん、本当は日曜日休みなんだけどその日はたまたま来ていて。いつもは日曜日だけは違う人が食事作りするのね、リヒトって。『なんだい、サオリちゃん。ハイキングに行くのか。それもいいな、今日は晴れてるし。それならおれが食事を弁当箱に詰めてやるよ』って。うれしかった。それを聞いた美咲が『私もお弁当にしてほしい。サオリちゃんやショウヘイさんとハイキング一緒に行きたい!』って。その後広海ちゃんも健太郎くんも大哉くんも加わった。賢次班全員ね。さらになんと、面談を終えた理事長まで一緒に行きたいって言いだした。総勢8名よ! 午前11時半、ゲンさんのお弁当をリュックに詰めて山登りに出発した」 「で、どうだった? ハイキング?」 「楽しかったわ。みんなでワイワイ。理事長お歳なのにご健脚なのね。逆に私たちがへばっちゃった。結局、山頂まで行ってそこで遅い時間だけどみんなでお弁当を食べて帰ってきた。課長はずっと美咲としゃべっていたから私とはあまり話せなかったわ。それが課長の2日目」 「3日目は? 野崎さん帰る日だけど」 「うん、5時に起きてまた翔平さんと散歩したの。そしたらまた賢次班全員お揃いで。ワイワイ森でおしゃべりしながら歩いた。みんなで朝ごはん食べてそれから農作業。でも、課長帰らなきゃいけないから途中の11時で切り上げた。でもどうやら、また課長と理事長の面談があったみたいで、理事長からの要請で課長、リヒトにもう2泊することになったの。これまでの3日間で私たちに大きく貢献してくれたからね。課長自身もOKしたし、次の日理事長が直々に東京のタナカ証券に電話して、課長の当時の上司に直接お願いしたんだって。ただ、その日ママが東京へ帰って代わりにパパがリヒトに来ることになっていたの。昼の送迎バスでパパが来てその帰りの便でママは東京へ帰った。パパとママは一瞬の出会いね。課長はリヒトに残った」 「課長は沙織ちゃんのためにリヒトにもう少し残留したんだ」 「そう、そしてその次の朝…」 ▲松永源治 その二  沙織ちゃん、ハイキングか?! そりゃ、いいな。おれが生まれ育ったここd町は何もないが自然はいっぱいある。山や川はきれいで空気もうまい。存分に楽しんできな。おふくろさんも野崎さんも、後のガキたちも一緒に仲良くな。  弁当は『のり弁当』だ。のりとおかかをたっぷり敷き詰めたご飯に白身魚のフライ、揚げちくわ、野菜のおかずがたっぷりだ。都会ののり弁当にない野菜もある。白身魚フライと揚げちくわはおれの自信作だ。これを食ったら弁当屋ののり弁当はもう食えねえぞ。  実は少し検査を受けることになって2、3日医者にかかる。賢三郎の旦那が直接診てくれるそうだ。。日曜の出勤は代勤よ。悪りいが、しばらく勘弁してくれ。 ◆陣内沙織と野崎翔平 その一 「おはよう! 翔平さん、今日も早いですね」 「ああ、おはよう、沙織さん。沙織さんこそ、早いよ」 「今朝も森を散歩、ですか?」 「ああ、気持ちがいいしね」 「昨日帰るはずじゃなかったんですか?」 「ああ、そうだけど明日までここにいる。沙織さんやほかの患者さんのためだからね」 「ありがとう。うれしいです」 「早くよくなると、いいね」 「翔平さん…」 「何?」 「私、よくなるかな…? 大学卒業できるかな? ちゃんと就職できるかな?」 「何弱気になっているんだ。それはみんな自分次第だ」 「でも…、精神障がい者って世間で差別されているんでしょう?」 「そんなことはない。きみの努力次第で状況は変わるよ」 「だといいんだけど…。翔平さん、でもどうしてなんです? こんな福島の山奥まで私のお見舞いに来てくださったのは? 奥さん何も言わなかったんですか?」 「うーん、女房は確かにあまりいい顔はしなかったな。まあ、やきもち焼いているんじゃないかな? でも、おれは初め3日間だけなら沙織さんのために時間を割いてもいいと思った。だから来た。姉さん、いや、きみのお母さまのためでもあるしね」 「なのに翔平さんは今日も帰れなかった!」 「まあ、泣くなよ。これはこちらの山崎理事長と話し合って決めたんだ。理事長先生、昨日おれの女房に電話されてね。今日会社の上司に連絡してくださる。話はついているんだ。だから安心して」 「ごめんなさい。みんな私のせいで…」 「いいよ。ここの、ええっと、賢次班だっけ?! みんな喜んでくれているし。美咲ちゃんに、広海ちゃんに、大哉くんに、あとあの太った森くん…」 「健太郎くん?」 「そう、それ。健太郎くん。みんないい子たちだ。お役に立ててうれしいよ。理事長も、賢次先生も、看護師の二宮さんもおっしゃった。『野崎さんにはもっといてほしいです。みんな野崎さんが大好きです』ってね」 「私も、翔平さんにもっといてほしいです」 「ありがとう。明日で帰るけど、また来るよ。必ず」 「約束してね」 「ああ」 「…翔平さん?」 「何だよ?」 「私、怖い」 「何が?」 「私、ここへ来てずっと家に帰りたかった。退所したかった。でも今は違う。ここを出るのが怖い」 「希望だよ、何事も」 「えっ?」 「希望を捨てないで。人生そんなに悪いモノじゃない。理事長もおっしゃった。おれとの面談でね。前へ進もう。希望を持って前へ行こう」 「ありがとう。私頑張るね」 「うん、あっ、そうだ。確か後ろのポケットに…」 「どうしたんですか?」 「はい、これ。タナカ証券の概要。それから、後でおれの部屋に来て。入社案内渡すから」 「えっ、私がタナカ証券に入るんですか?」 「不満かな? いい話だと思うけど。おれもきみと同じB大だし。先輩が後輩にリクルートするのは普通だと思うけど。興味あったら読んで。キミは就職まだ先だけど就職活動始めるときに参考にしてほしい」 「あっ、ありがとうございます。でも、タナカ証券ってエリートな会社なんでしょう? 東大の人も来るとか」 「まあ、そりゃそうだけど、自分を向上させられる職場だと思うよ。沙織さんならできる。だから声をかけてみたんだ。証券の営業は厳しいけど、やりがいはあるよ」 「でも、私病気が…」 「大丈夫。うちの会社大きいから会社に嘱託医がいるし。精神科医もいたはずだ」 「ホント?」 「ああ」 「私、うれしい…」 「あっ、賢次班のみんなが来た。沙織さん、みんなで森を散歩しよう」 ◇陣内沙織 その十 「その次の日、翔平さんとパパは帰ったの。もっともパパは東京へは帰らずに郡山で翔平さんと別れて陣内倉庫の仙台支社へ行ったって」 「へえ。翔平さんが抜けてさみしくなったけど、その後リヒトの園にはもっとすごい人が来るんだよね、ほら…」 「そうなの、王子様の登場!!」 「進藤光輝くんだよね」 「そうなの。確か10月の下旬だった。少し寒くなりかけていたころ。誰かな、って思ったら理事長先生が私たちに光輝くんを紹介してくれた。それが身長180センチのスマートなイケメンで。私たち賢次班に『進藤光輝と申します、よろしく』って頭を下げたの。もうしびれちゃった。美咲も広海ちゃんも、女連中はいっぺんに光輝くんのとりこよ」 「でも彼の身分がもっと驚きで…」 「そうなのよ。後で2人で話す機会があったんだけど、トシ聞いていい? って言ったら『21歳だ。もうすぐ22歳だけど。』って。学生さん? って聞いたら『そうだよ』って。どこの大学? 『おれ、トーダイ』バカじゃない、って思ったの。初対面の人に平気で冗談言えるんだ、って思った。でも彼私に学生証見せてくれた。確かに本人の顔写真入りの東京大学法学部の学生証だった。もう私びっくりした。この人、東大生なんだ、って」 「でも、光輝くん留年したんだね」 「そうなの。病気を理由に就職内定取り消されたんだって。就職先はなんと、いなほ銀行だったって。銀行関係軒並み不景気だけど、彼そういうのに興味あったみたい」 ◆陣内沙織と進藤光輝 その一 「ここはおれを入れて6人の班で動くんだってな。またいろいろ教えてくれよな」 「光輝くん! 新入りなんだからもっと腰を低くしなさいよ」 「悪かったよ。で、おまえいくつなんだ?」 「ちょっと! 女性にトシ聞く気?!」 「おまえだっておれのトシ聞いたじゃん!」 「そりゃ、19になったばかりよ。B大の1回生よ」 「B大か。まあまあってとこかな?」 「何よ! 自分が東大だからってエラそうに!!」 「そんなつもりじゃねえよ。おれも留年だしな。就職はパー」 「光輝くん、いなほ銀行だったんでしょう? 就職試験難しくなかった?」 「そりゃ、まあな。最終面接は社長以下重役がズラリ。緊張しないわけがないだろう。でもおれ、冷やかしで公務員試験受けて財務省も受かった。アホみたいだ」 「すごーい!! 財務省といなほ銀行…」 「でも、急に発病してな。非定型精神病だって。銀行に相談したら、人事担当者が『残念ながら今回の内定は…』だって。アホみたいだろ?」 「そんな、光輝くんかわいそう」 「その件についてはおれのおじさんが動いている。おじさん、弁護士なんだ。裁判を起こすかもな。おじさんが言うんだ。『コウキくんも司法試験の勉強した方がいいぞ』って」 「光輝くん、いなほ銀行あきらめるの?」 「いや、まだ分からない。おじさん次第だともいえるし。でも、おじさんには悪いけど、おれあんまり士業に興味ないんだ。仕事がなさそうだろう?」 「それ、私のお父さんも言ってた。資格持っているだけでは厳しいって。でも、私も友達の男の子、社労士目指している」 「その友達はお父さんが社労士とかだろう?」 「そうね、だから仕事があるのかも」 「会社勤めは厳しい、っていうけどなあ。でもおれはそれがいい。出来れば大手。おれの父親も銀行員なんだ。と言っても地方銀行だけど。でもいいポストにいる」 「へえ、何ていう銀行?」 「東京ハイカラ銀行さ」 「ああ、ちっちゃいとこね」 「そうだな、メガバンクに比べりゃな。おれが行くはずだったいなほ銀行はメガバンクだ」 「私の大学のテニスサークルの友達も銀行に興味があった。今どうしてるかな? 将来受けるんじゃないかな?」  「おまえ、就職とか考えてないのか? まだ1回生だけど」 「私は…まず病気を治してからかな? でもある人に勧められたの。タナカ証券に来ないか、って」 「ほう、タナカ証券か。いいな」 「そう。パンフレットで読んだ。でもイメージ湧かないなあ。証券会社なんて。まだ銀行の方がイメージできるかも。ほら銀行だったらATMでお金下ろしたりするでしょう?」 「それもそうだな。証券会社で何するんだろう? 資産の運用とかかな…。またその人に聞いたら? B大の先輩か何か?」 「そう、先輩。タナカ証券に勤めているの。ねえ、でさあ、光輝くんってサークル何やってるの?」 「おれ、サークルじゃないんだ。でもバンドやってる。スピットファイアっていう」 「うわー、なんかカッコいいじゃん。何なの、その名前?」 「第二次大戦中のイギリス軍の戦闘機の名前さ。イギリスをドイツから守った、って言われている。初めはバンド名をメッサーシュミットにしよう、っておれは言ったんだけど、それはドイツの戦闘機だからナチスだし侵略だ、って先輩たちに反対されたんだ。それでイギリスの救国戦闘機になったんだ」 「それもカッコいい名前ね。で、そのバンド、みんな東大生なの?」 「ああ、全員東大生・OBのバンドさ。ファイブピース・バンド」 「光輝くんはバンドの何の担当なの?」 「おれはベース。おれ、ホントはギターの方が得意なんだけど、ベース弾けるのがおれしかいなくてね。ドラムは叩けないし、ボーカルもなあ。キーボードも出来るけど、後輩のケンジの方がうまい」 「かっこいいね。ねえ、ライブとかはやってないの?」 「ああ、やってるさ。ちっちゃなライブハウス借りて歌ってる。東大の学園祭でも歌ってるし。そうだ、退所したら来るか? おれ、ベース弾くから」 「アハッ、行く行く! 光輝くんの演奏聴いてみたい」 ■カルテ 「陣内沙織」 10月30日   文責:山崎賢次  経過はおおむね良好。母親の友人・野崎翔平氏の見舞いで活気づく。野崎氏が帰ってからは新たに入所した進藤光輝氏と親しくなり一層元気になる。減薬も検討事項だが注意が必要。本人曰く体重が増えてきているのもいい傾向。農業プログラムを通じて体力、学習プログラムを通じて学力の涵養を図る。  12~1月に外泊を検討。 ◇陣内沙織 その十一 「そして私たち賢次班、光輝くんも入れて6人になって活動するようになったの」 「どんな感じだった? 6人になって」 「うん、光輝くんすぐになじんだわ。いいお兄ちゃんって言うか。特に最年少の健太郎くんとの掛け合いがよかった。光輝くん、決していじめているんじゃないの。私たちと違って。健太郎くんも『コウキ兄い、コウキ兄い』って慕っていた。でも…」 「どうしたの?」 「光輝くんの持病がその頃よく出たの。確か情動脱力発作、だったかな? バタッ、倒れるのよ。彼が倒れるたび私たちみんなびっくりした」 「気の毒だね、優秀な人なのに」 「そう、学習プログラムではいつも先生よ。健太郎くんも大哉くんも広海ちゃんもみんな彼に勉強を教わった。美咲や私まで! 光輝くん、私の専門の西洋文学のことまですごく詳しいから驚きよ。それに英語もよくできたの。TOEICは870点持っているって。それで私たち仲良くやっていた。でも…」 「でも、何?」 「そう、ゲンさんが入院されたのよ。肝臓の病気だったはずよ。ゲンさんお酒大好きだったから。それで食事はすべてまずい仕出し弁当に変わった。みんなブーブー文句言ったわ。おいしいご飯が食べたい、って」 「そうだね、ゲンさんのご飯おいしいんだよね」 「それでも、またおいしいご飯が食べたいっていう私たちの願いは届かなかった。ゲンさん、そのまま亡くなられたのよ」 「そうなの…」 「理事長から報告があったの。月曜日の朝、農作業をキャンセルして緊急のミーティングがあって。理事長先生、男泣きに泣いてみんなの前でおっしゃった。『みんなに悲しい話をしなければならない。昨日の朝、ゲンさんは天に召されたよ』って。みんな悲しんだわ。特に美咲なんか大声で泣いた。私も知らないうちに涙が溢れていたし。その日、農作業はなしで、みんなで泣いた。広海ちゃんも大哉くんも健太郎くんも。木村班の人も加藤班の人も。光輝くんはゲンさんとそんなに接していなかったから悲しんではいたけど泣かなかった。」 「ゲンさん、そんなにみんなから好かれていたんだ。」 「そう。ゲンさん、愛されキャラだった。でも、光輝くん、みんなが泣いているのを見ていらついて言ったの。『おいおい、みんな悲しいのは分かるけどよぉ。そこまで泣くことはねえじゃないか。大事なことは生きていることだ。もっと一緒に生きているやつ、一緒に息吸っているやつを大事にしようぜ』って。」 「うんー、生きていることか…。そうかもしれないなあ」 「でも、理事長先生光輝くんの意見を否定された。『コウキくん、医者としての私の見解を言おう。きみの意見はある意味正しい。でも、生者を見る医者として死者にも気持ちを置くこと、死者に敬意を表することも欠いてはならない。きみが死んできみを粗末に扱う医者に診てもらいたいと思うか? そんな医者に看取られたいか?』光輝くん何も言い返せなくなった」 「理事長、深いね。さすがだ」 「で、みんなが泣き止んだころに光輝くんがまた口を開いたの。『理事長。例えば第一次世界大戦では確か550万人、第二次世界大戦では5000万人が死んだと言います。いのちはむしろ軽いものです。これはやや極端な例としても生あるものは皆死に帰するのは世の習わし、ゲンさんとは言ってもそこから抜け出せなかっただけではないのでしょうか? 死は日常です。』って。理事長静におっしゃったわ『それも正しいかもしれない。しかし、死は当然のことだとか、死者より生者の方が大事だというのはやはり盲信だ。人命は地球より重い、ではないが私にとってゲンさんの命はある意味5000万人以上だ。本当に大切な、大切な方だ。残念ながら私より年下なのに先に逝ってしまわれた。私はこのリヒトに関わる全ての人を最も大切な人としたい。コウキくんも私にとって最も大切な人だ』光輝くん、その一言を聞いて初めて涙を流したの。私もその一言でもう2度目の涙よ。ああ、私こんな素晴らしい人のいる施設にお世話になっているんだ、って思えたの。みんなもまた涙した」 「理事長、素晴らしいお方だね」 △山崎賢三郎理事長 その七  ゲンさん。松永源治さん。亡くなられてもう8年ですな。改めてここに哀悼の意をささげます。いつもリヒトの園の厨房に立ち、料理をされていたお姿が思い出されます。本当においしいお料理でした。栄養のことも考えておられましたし、仕入れで新鮮な食材や調味料の調達、あとコストのことも綿密に計算しておられました。まさに職人魂でした。  ここの子たちはみんなおいしい、おいしい、といつもゲンさんの食事を食べていました。ゲンさんが作る食事のメニューが楽しみでした。私もそうでした。ゲンさんはみんなに希望を与えていましたな。本当に感謝します。 ゲンさん、あなたが亡くなられた時、私は改めてひとりの人の命の重みを感じずにはいられませんでした。私はリヒトの誰に対しても一番大切だとしてきましたが、あなたも大切な人でした。誰よりも大切な人、あなたの代わりはいません。そのことを強く感じました。私がそちらへ行ってまた会うことがあればもう一度酒でも酌み交わしたいですな。 ▲松永源治 その三  おれが20年前に賢三郎の旦那の病院の厨房を任された時、旦那がたいそう立派なまな板と包丁をおれにプレゼントしてくれたことを覚えているか? 本当に上等なヤツだった。おれはああいうのに弱くて本当にうれしかった。『あなたが必要なんです。あなたの力が必要なんです』旦那はおれの目を見てそう言ったよな。うれしかったよ。柄にもなく涙が出ちまった。おれは思った、この人のために精一杯頑張ろう、病院の患者さんに最高のメシを食わせよう、って。そう思って前の病院でおれは料理長となり、その後リヒトが出来たとき、リヒトの料理長を任された。  思うんだよな、病院でうまいメシを期待するバカがいるか、って。でも賢三郎の旦那は違った。食えねえから食わせてやってくれという。もしいいメシが食えたら幸せだろう。リヒトでも同じだ。当然だな。どのガキもこんなおれのメシでおなかいっぱいになって喜んでやがる。おれも幸せってわけよ。  大事な人…おれは少しでも自分のことをそう思ったことはない。おれが両親やかみさんや子どもたちならともかく、友人や知人をそんなふうに思ったことがいっぺんでもあっただろうか?? まあ、ないな。でも賢三郎の旦那は違った。こんなおれが大事だという。一番だと言ってくれる。  旦那、おれは幸せだったよ。旦那の下で働けていい人生だった。   ◇陣内沙織 その十二 「ゲンさんは亡くなられたけど、その後私たちにステキな出会いがあったの」 「へえ、どんな?」 「ゲンさんの息子さんが来られてね、後を継ぐことになったのよ」 「へえ、そりゃよかったね」 「名前は松永康三さん。コウゾウさん、って呼んでくださいっておっしゃったわ。当時三十代半ばくらいかな? ゲンさんはなんかクマみたいな大きなおじさんだったけど、康三さんはさわやかな好青年で。フランス料理のシェフをされていたそうよ。パリに修業に行っていたとか」 「すごい人が来たね」 「康三さん、みんなの人気者になったわ。美咲なんか大はしゃぎ。お調子者なんだから。光輝くんはゲンさんデビューって特にしなかったから“コウゾウデビュー”よ。焼きそばだったんだけど。一度土曜日に康三さんがたこ焼きを焼いてコーヒータイムにふるまったの。大好評だった。特に大阪の健太郎くん」 「康三さん、ホント人気者だね」 ▲松永康三 その一  初めまして。松永康三と申します。源治の息子です。父に代わり、リヒトの園の料理長を担当します。以後、よろしくお願いします。  父に憧れて調理師となり、フランスに行って修業をしました。3年修業し、帰国後24歳にして東京の麻生十番でフランス料理のレストランを構えました。ディナーのコース、最低2万円はする高級レストランでした。食材もワインも、調味料まで吟味した最高のものを使ったのでこれくらいいただくのは当然でした。初めレストランはすごく繁盛しました。ですが、不景気とかライバルとの競争が激しくて経営が厳しくなってきたのです。はじめ父の経済的支援を受けてなんとかやっていました。私には保育士をしている姉がいるのですが姉も支援してくれました。私も今後このレストランをどうするかで悩んでいました。そんな折父が亡くなり、思い切って店をたたんでこのリヒトを継ぐ決心を固めたのです。  父は肝臓に疾患がありました。酒好きだったので無理もありませんが、最後まで現役で働いてくれてよかったです。でも、自分の死を予想したのか亡くなる2週間前に私をリヒトの厨房に呼びました。『おまえ、カレーライス作れるか?』父は私に尋ねました。私は最初バカにされているのかと思いました。いくら経営するレストランが傾いていてもカレーくらい簡単に作れると確信していました。厨房をざっと見て『でもこの厨房いいターメリックもないしなあ』私は言いました。そんな私に『ないのは調味料じゃない、お前の心だ』父は喝破しました。私はハッとなりました。最高の食材・最高の調味料にこだわるあまり、喜んでもらえるモノを作ろうという心が私に欠けていたと悟りました。この心があれば私のレストランは傾かなかったのでは、と思いました。父はそのとき言いました。『コウゾウ、大事なのはいかにうまいメシを作るかじゃない。いかに食う人を喜ばせるかだ』  今から思うと父は本当に尊敬できる調理師の先輩でした。ですからこんなに早く父の跡を継いでこのリヒトの職場を任されたのは幸運でもあり、不幸でもあります。山崎理事長先生は父以上に私を大事にしてくださりました。『患者さんたちにおいしい食事をあなたが作ってください』まっすぐ私を見ておっしゃいました。  もともと一流レストランのオーナーシェフだった私です。ウデには自信があります。父の名を、リヒトの名を汚さぬよう料理長として頑張ります。 ◇陣内沙織 その十三 「そして沙織ちゃんはその年の年末年始に初の外泊を取ることになったんだね?」 「そうなの! もううれしかった。家に帰るの、約半年ぶりよ。3泊だけどネ」 「他の子はどうだった?」 「確か…美咲と大哉くんは残留、光輝くんは入所したばかりだからやはり残留、健太郎くんは大阪へ帰るって喜んでたな」 「そして広海ちゃんがついに…」 「そうなの。彼女年内いっぱいでの退所が決まったの。まあ、長い間落ち着いていたから当然ね」 「でも、あれがあったから大変だったよね」 「そう、あれなの。あの殺人事件。大阪の…確かw市かな? 8人が死亡、11人が重軽傷っていう怖しい事件だった。出刃包丁を持ってわけのわからないことを叫んだ男の凶行だった。その犯人が精神障がい者だった、って大きく報道されたの」 「もう偏見の嵐だよね」 「本当にやめてほしい! ねえ、どうして精神障がい者だなんて報道する必要があるの? 他の私たち精神障がい者への迷惑とかはいいの? 肺がん患者の犯罪だったら肺がん患者の犯罪って報道する?」 「おっしゃるとおりだ。精神障がいの偏見を生むだけだね」 「光輝くんは言うの。『まあ、こういうところにいるおれたちにとっては迷惑な話だけど、国民の知る権利ってのもあるしな』って。でもそれって無限じゃないでしょう? 光輝くんも無限ではない、って言った!」 「ぼくもそう思うよ」 「あの事件は12月の確か中ごろだった。金曜日だったと思うけど、午後に臨時の診察があって、賢次班も木村班も加藤班もだけど、先生たちは患者のケアに必死だった。私も賢次先生と話してこんな時期にリヒトを出るのは怖い、って言った。でも…」 「広海ちゃん?」 「そう。彼女、もう恐怖におびえていた。ここを出たくない、って泣いた。泣きまくった。それまで落ち着いていたのに。でも、ここでまた理事長先生が…」 ■カルテ 「陣内沙織」 12月14日   文責:山崎賢次  緊急の診察。大阪府で精神障がい者による凶行、リヒト内でも強い衝撃。陣内氏も例外ではない。犯人に対する強い憤りと自分たちに対する偏見への不安。リスペリドンを1ミリ増薬。本人は外泊の延期も考えているが、年末年始ということもあり予定通り実施。外泊による経過を診る。 ■カルテ 「白田広海」 12月18日   文責:山崎賢次  事件に対する強い怯え、不安、亡くなられた方々への悲しみが見受けられる。リヒトを出る不安、本人は退所したくないとはっきり言う。すでに決まっている東京・上野の退所後のクリニックとも連携して総合的なケアを図る。  一時ましになっていた手紙への依存も再開、両親に長い手紙を書いている。リヒトのほかの患者とも話をせず、自分のカラに閉じこもるようになっている。近く理事長が面談を予定。 ◆山崎賢三郎理事長と白田広海 その一 「退所おめでとう、広海ちゃん。やっとご実家へ帰れる」 「でも・・・私帰りたくない。偏見が怖い」 「広海ちゃん。気持ちは分かるよ。乗り越えて。前を向いて進んで行くんじゃ」 「私も人殺しするのかな…? 私も犯人かな?」 「そんなことはない。広海ちゃんは、ここの子はみんないい子じゃ」 「でもどこへ行っても言われる。精神障がい者は犯罪者だ、殺人鬼だ、って」 「広海ちゃんは別に精神障がい者のプラカードを持っているわけじゃない。言わなければ誰も分からない」 「ああん!! でも私も人殺しなんだ! そういう人間なんだ」 「広海ちゃん。親鸞という人を知っているかい?」 「しんらんって・・・? お坊さん?!」 「そう。浄土真宗を開いた人だね。歴史の教科書にも出てくる。立派な人じゃ。私も尊敬している。そんな人が言うんじゃ。『さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし』」 「何、それ?」 「そういうきっかけがあれば人はなんだってする。どんなにいい人だって悪いこともする。親鸞のような正しい、立派な人でさえも百人でも千人でも、いや世界中の人みんなを殺す、ということじゃ。」 「・・・」 「おそらく大阪の事件の犯人には業縁、何かきっかけがあったんじゃろう。それを精神障がいのせいにしてしまうのは本人の心の弱さ甘さ、あるいは世間やマスコミの弱さ甘さじゃ。広海ちゃんにはそんな弱い、甘い人間になってほしくない。こんな世間に負けない強い人間になって突破してほしい。前を向くんじゃよ」 「じゃ、殺人事件の犯人は犯人が悪いんじゃなくてきっかけが悪いんですか?」 「そうとは言ってない。犯人は反省し、刑に服さなければならない。きっかけがあってそれに負けてしまったのは犯人の弱さじゃよ」 「殺人事件を起こしたきっかけと精神障がいはまた違うんですね」 「そうそう。事件を起こしたのは業縁じゃ。親鸞さまはそうおっしゃっている」 「でも世間やマスコミは分かっていません…」 「それは今の社会の大きな問題じゃ。広海ちゃん、ともにこの問題を解決していこう。闘っていこう」 「闘うにはどうすればいいのかな?」 「まず、自分が襟元を正すこと、悪いことをしないことじゃ。さるべき業縁のもよおせば、この言葉のこころは単に悪い人を批判するのではなく、自分にもそういうきっかけがあれば同じように悪いことをしてしまうと自分を顧みるところにある。広海ちゃんが人から見て模範となるような人になってほしい。そうすれば広海ちゃんの周りの人は広海ちゃんが精神障がいだとわかっても偏見を持たない」 「偏見を持たない…?」 「そうじゃ。あとは勇気じゃ。挑戦と言ってもいいかもしれん。偏見を怖れず、前を向いて進んで行こう」 ■報告書 「陣内沙織」 1月4日   文責:二宮郁子(補足あり)  大みそかから外泊され、昨日戻ってこられました。お父さまが同伴でした。帰省ラッシュとは逆方向なので新幹線はむしろ空いていたとおっしゃっていました。東京駅はすごく混雑していたそうですが。  年末年始、ご実家でゆっくりされたそうです。寝正月だったけど、お母さまが今年だけはとおせち料理を準備され、家族水入らずで、弟さんともいっぱい話をしたそうです。  ただ、ご本人がおっしゃるには大学でのお友達に会えなかったとのこと。年賀状やおめでとうメールも来なかったそうです。さびしい、っておっしゃっていました。大学は夏まで休学で、留年も決定的です。でも今は治療に専念し、英気を養ってほしいです。 ◇陣内沙織 その十四 「年が明けて、どうだった? リヒトの冬?」 「そりゃあ、もう厳しくて、厳しくて。建物は防寒対策が万全なんだけど、福島の山奥だから外は寒いし、雪はよく降るし。農作業はあまりなくて雪かきが多かった。ほら、私たちみんな東京の子でしょう? 健太郎くんだって大阪だし。雪に慣れてないのよ」 「でも、雪遊びとかもあったんだよね」 「そう。午前中の農作業がなくなってよく雪遊びした。雪合戦とかも。近くにスキーしにいくこともあったわ。私スキーなんてあんまり得意じゃないけど。経験もないし。でも、一方で春からの農業の準備もした」 「いろいろ変化はあったんじゃない?」 「そうね。広海ちゃんが抜けて、5人になった。ちょっとした風邪が流行ったかな? 大哉くんと光輝くんがダウンした。私も熱を出して2日間寝込んだし。元気なのは美咲よ。まったく、バカは風邪引かないって。自分で言ってたわ」 「なんか企業実習も始まったって?」 「そうなの。郡山の方の企業さんのところに働きに行くっていう実習が年明け始まって。高橋製作所っていう会社なの。金属加工の会社ね。社長の高橋さんと理事長はお友達で、理事長はこのリヒトを建設するときに高橋製作所製の資材をたくさん仕入れたんですって」 「どんな仕事をするのかなあ?」 「仕事は金属加工やメッキの作業なの。とは言ってもその補助ね。あと、金属の組み立てもある。私は主にメッキのお仕事をやらせてもらったわ。時給は初め500円だけど、何度か行けば向こうの最低賃金920円がもらえる。1日のスケジュールは朝9時から昼の3時までで、休憩は1時間よ。とりあえず週1回土曜日に決まった。工場まではリヒトの車で送迎がついて福井さんが運転してくれるの。あのいかつい警備員さんね」 「なかなかよさそうなお仕事だね。でも、リヒトの子たちは一応病気の子たちだから厳しいかもなあ。で、沙織ちゃんも行ったんだね?」 「初回は美咲と光輝くんが行った。一度に2人までにしてほしい、って高橋社長の意向で。次は私と光輝くんが行ったの。光輝くんとデート! って喜んでいたんだけど、行く前の晩に光輝くんが…」 ◇進藤光輝 その一 「光輝くん、今日もよろしくね」 「ええ、よろしくお願いします」 「いなほ銀行、残念だったね」 「そうですね…。でも、まだ可能性はあります。おじさんが動いてくれているんで」 「光輝くんのおじさんは確か弁護士だったね?」 「そうなんです。裁判になるかもしれませんが」 「あと、光輝くんのお父さんが確か別の銀行の…」 「はい、東京ハイカラ銀行という東京地盤の地方銀行に勤めています。調査部の部長をしています。企業秘密で詳しく知りませんが、東京ハイカラ銀行といなほ銀行の包括的業務提携の話もあって…」 「そうか、いずれにせよきみには有利な状況なんだ」 「ええ、でもまだ決定打はありません」 「光輝くん、なんなら中小企業に就職したら? そうか起業家になるとか。きみなら社長になれるよ」 「でもなあ…おれ銀行で大手企業を相手にしたビジネスをしたかったんです。最終面接でもそう言ったら採用されました」 「そっか…。ところで、光輝くんってガールフレンドはいるの? 光輝くんイケメンだし」 「カノジョですか? 別れました。リヒトへ入る、って言ったら彼女もう終わりにしよう、って。別にいいんです。今はもっと本を読みたいです」 「新しい彼女に沙織ちゃんなんてどう?」 「沙織か…まあ、悪くないです。考えておきます。ところで、今読んでいる本なかなか面白いんです。19世紀のヨーロッパの小説です。翻訳ですけど」 「光輝くんと言えば今度高橋さんの会社に実習だね」 「ええ、どんなことをするのか知りませんが…まあ、頑張ります」 ◆陣内沙織と進藤光輝 その二 「今度の実習、まったくひどい会社だったよ」 「へえ、どんなことするの、光輝くん?」 「うん、金属の加工なんだけど、結局金属部品を磨いておけ、とかベルトコンベヤに置いていけ、とか。そんなこと延々と2時間もさせられるんだぜ。トイレすらろくに行けねえんだ」 「光輝くん、それ面白いの?」 「面白いわけないだろう?! 単調な繰り返しなのに。一体あんなことの何が利益につながるんだ?」 「利益にはなるかもしれないわよ。ところで、光輝くんって普段どんなバイトしてるの?」 「おれか? 家庭教師2本とあとときどきイベントの搬入に行ってる。搬入はイベントを作り上げるからきついけど意味のある仕事だぜ」 「そっか…私も家庭教師週1回とあとコンビニ週2回。お互い工場のお仕事は経験なかったのね」 「沙織も後悔するぞ」 「そうかなぁ? 美咲はどう言ってた?」 「美咲ちゃんは楽しかったって言ってたな。給料現金でほしかった、って。給料おれたちの病院の管理口座に入るだけだからな」 「お互い頑張ろうよ」 「あああ、おれもういやだ」 ◇陣内沙織 その十五 「話は少し飛ぶけど、私その年の夏でリヒトを退所したの。夏までお世話になった」 「へぇー、そうだったの」 「企業実習に行けて社会性が徐々に身に着いたっていう賢次先生の評価だったわ。実習を続けて心身ともに安定してきた。学習プログラムで勉強も進めたし。それから翔平さんもあれからもう一度来てくれたの。そして6月の初めにはもう退所、っていう話になったのよ。そして7月31日付で退所した。2回生の前期まで全く大学に行けなかったから友達は進級したけど私は留年したの」 「そう、そうだったの」 「私が退所して実家に戻ってきて夏休み明けに光輝くんから電話があったの。光輝とは退所するときに連絡先交換していたから。『おれ今度外泊するんだ。よかったら東京で少し会わないか』って。OKしたわ。私の実家に来てもらったの。光輝、私が退所する日の夕方、見送ってくれたし。私の両親に一度会ってくれているのね。彼が来たとき、日曜日だったから改めて両親に会ってもらったの。彼、その日手土産なんか持ってかしこまってうちに来てくれたの」 「いいんじゃない、光輝くんなんか。イケメンだし、東大だし」 「まあね。私彼のために料理していたの。厳密にいうとママと一緒にだけど。トマト缶から作ったトマトのスープにメインディッシュは特大ロールキャベツ。国内産最高級ミンチ肉と嬬恋産無農薬キャベツでつくったの。デザートは私が作ったんじゃないけど、私がリヒトに来る前にバイトしていたコンビニのコンビニスイーツのレモンタルトを添えて光輝に出した」 「へえぇ、おいしそう」 「『コウキさん、気を遣わないように二人で食べなさい』ってママが言うから私自分の部屋に料理を運んで二人で食べたの。我ながら料理は上手に出来たわ。光輝もおいしいって。まあ、素材は吟味したし、料理上手なママが手伝ってくれたから当然ね」 「よかったじゃない、沙織ちゃん」 「彼言ったの。『これからもこんなおいしいロールキャベツを食べさせてほしい、いや、ホント言うとおれが退所したら結婚を前提につきあってくれないか』って」 「えっ、そうなの?! それで何て?」 「私が腕によりをかけた料理を彼に食べさせたのは別の意味があったの」 「ええっ、どんな??」 「私言ったの。『このロールキャベツ、あえてタイトルをつけるとすれば“コウキ”なの。完全無欠の最高のロールキャベツ。完璧な挽き肉と完璧なキャベツで作ったまさに光輝みたいなやつ。こっちのレモンタルトは私がバイトしてたコンビニスイーツの商品で日本中で1日1万個は売れる店の人気商品なの。大きくておいしいでしょう? こっちも“コウキ”ね。トマトのスープはトマト缶から作ったガサツなスープだから“サオリ”ね』って。そしたら『ガサツなことないよ、スープうまかったよ』って光輝言うの」 「それで?」 「『光輝って…東大生で頭がよくて、いなほ銀行とか財務省受かって、音楽やっててベースが弾けて、英語も話せて、イケメンでスタイル抜群で。最高のナイスガイ。まるで今日のロールキャベツであり、レモンタルト。でも足りないところが一つある。足りないところがひとつあることに気付いてないところよ。』」 「・・・」 「『私もよく人からかわいい、って言われたし、B大だしいい気になっていた。でも、発病して、不倫して家の中めちゃめちゃにして実際のところはサイテーな人間だった。彼氏はいたけど、もう逃げられたも同然だし、留年もして気づけた。私はブスなんだって。人間はブスであることに気付くべきなんだって』って言ったの。そして、『コウゾウさんっていらっしゃるでしょう? 料理長よ。あの方も麻布十番に店を構えるほどの一流のシェフだったけどレストランは閉店したのよ。お父さんのゲンさんにおまえは客を喜ばせる心がないんだって言われた、って。今ではみんなから愛されるリヒトの料理長だけど、コウゾウさんは一流シェフ時代ブスだったのよ。だから、光輝も自分がブスであることに気付いてほしい!』って」 「えらい、沙織ちゃん! でも、光輝くん、そんなに“ブス”かなあ?」 「光輝、よく実習先の高橋さんの会社の悪口言ってたでしょう? 私、高橋社長に仕事教わって、こんな人の悪口を言うのはおかしい、って思ったの。本当にいい人だった。私にも優しかったし。一度タナカ証券の就職のことを相談したら『厳しいかもしれませんが、あなたにやる気があるなら自分を高められる職場かもしれません。吹けば飛ぶような高橋製作所とはまた違いますよ』っておっしゃった。社長は自分がブスであることに気付いている人よ。光輝はもっと謙虚になるべきなの」 「そうなんだね。それで、光輝くんはどう言った?」 「しばらく考え込んだわ。そして『時間がほしい』って」 ◆進藤光輝と高橋勇社長 その一 「今日もお疲れ様。何回か来てくれたけど、うちの会社、どうだったかな?」 「失礼ですが、あまりよくなかったです」 「うん、正直な感想ありがとう。どこがよくなかったかな?」 「おれ大手で働きたいんです。この会社はフィールドが小さすぎるんです」 「うん、大手か。きみは新聞というものを読まないのかな?」 「い、いや…今はリヒトに入所中ですし…」 「入所中でも読みなさい。私はこれでも経営者だ。毎日欠かさず目を通している。もちろんテレビやインターネットのニュースも見るけどね。今日の経済新聞の特集記事、大手銀行についてだ」 「えっ、メガバンクの?」 「そうだよ。大手行のデータの比較が載っている。ええっと、きみのいなほ銀行は…去年度、個人預金42.1兆円、中小企業向け貸し出し33.3兆円、住宅ローン10.0兆円…中小口の金融で数字を上げているね。銀行自体は確かに大きいがある意味れっきとした中小企業だ」 「・・・」 「ほかの銀行のデータもあるね。なになに…佐藤渡辺銀行が…」 「すいません、その記事、おれに見せてください!」 「ああ、見なさい」 「・・・ホントだ・・・いなほが小口金融で数字を上げている」 「そうでしょう。でも他の銀行に比べると数字で負けているのもあるね。ほら、住宅ローン実績なんかメガバンクじゃないえりな銀行より低いよ」 「・・・」 「きみは内定取り消しとはいえ、本当に正しく就職先を選んだと言えるかね?」 「・・・」 「大手銀行に入れたからと言って、必ずしも大手企業の仕事ができるとは限らない。いくら東大のエリートのきみでもね。大手、大手という前にもう少し謙虚になった方がいいんじゃないのかな?」 「その言葉、沙織にも言われたことがあります…」 「沙織? ああ、陣内沙織さんだね。よく頑張っておられた。いいお嬢さんだ」 「高橋さん…おれは間違っていたんでしょうか?」 ◇高橋勇社長 その一  今でも覚えています。光輝くんが初めてわが社に来た時のこと。彼にはタテヨコ5センチ大の金属の部品をやすりで磨く仕事をしていただきました。そう、ひたすら何個も何個も部品を磨くだけです。それを2時間休憩まで続けるのです。はっきり言って面白くないお仕事です。でもこれはわが社ではとても重要なお仕事です。彼を信じて託しました。彼に仕事を勉強してほしいと思いました。  案の定、彼はつまらなそうにそれをやりました。現場主任の西本くんに「こんな仕事、本当に利益をもたらすのですか?」と質問していました。西本はちょっと怒っていましたが、光輝くんは明らかに不満そうでした。確か永野大哉くんという高校生の男の子も来ていましたが、彼はどんな仕事でも目を輝かせてやっていました。確か彼はb高校だっておっしゃっていました。そんないい高校じゃない、っておっしゃっていました。私はその高校を知りませんがきっと立派な学校なんでしょう。  そんな具合にして光輝くんはわが社での実習を続けていました。まあ、給料が入るから続けたのでしょう。やがて彼も時給500円から正規の920円に昇給しました。続けてきてくれたから当然ですが、昇給してしばらくして私は彼に声をかけました。まあ、それが先ほどのやり取りだったわけです。正直私は呆れました。経済新聞を読んでないなんて。山崎先生の施設にいても取るべきです。経済新聞が単なる御用メディアで、支持に値しないからでしょうか? それならともかく、そうではないようです。彼は明らかに口だけのエセ・エリートでした。 「高橋さん…おれは間違っていたんでしょうか?」 彼は静かに言いました。そして激しく泣きだし、こう言いました。 「これからは給料なんかいりません!! おれをここで雇ってください!!」 「光輝くん」私は言いました。「会社の名前で仕事するのではないよ。たとえいなほ銀行に所属していてもきみがするお仕事はみな“コウキ銀行”だ。いなほ銀行じゃない。」 「おれはいなほ銀行には行けませんでした。きっと縁もなかったんだと思います。これからは高橋さんに、いや高橋社長に仕事を教わりたいです!」 「ありがとう。わが社を認めてくれるんだね。でもきみはまだ理事長やお父さまから聞いていないのかね?」 「へっ?」 「きみの内定取り消し、取り消しになったそうだ。きみの代理人であるきみのおじさんと銀行側で和解が成立してね。一年遅れだが、きみはいなほ銀行に就職できる。補償もしてくれるそうだ。おめでとう!!」 私たちは握手を交わしました。彼はもううれし涙でした。 「いなほ銀行に就職するきみにはなむけだ。これだけは言わせてほしい」 私は彼に言いました。 「きみには失礼だが、私は銀行というものが好きじゃない。私は中小企業の経営者だからね。私は地元の高校を出て大学には行かず、東京の会社に就職した。サラリーマンとして東京で10年働き、父が亡くなってこの高橋製作所を継いだ。その後結婚して子どもをもうけ、今に至っている。サラリーマン時代は銀行と言えば給料を下ろすだけのところだった。社長になってからは銀行とは色々付き合わなければならない。融資もそうだ。でも、融資ひとつとっても『晴れた日に傘を貸し、雨が降りゃ取り上げる』のが銀行だ。貸し渋り、貸し剥がしは決してよその話ではない。銀行には銀行の言い分、利害打算はあると思うがね」 光輝くんは黙って私の話を聞きました。私は続けました。わが社は大手行との付き合いはありません。まあ、こんな田舎なら金融機関と言えば小さなところです。高橋製作所のメインバンクは郡山第一信用金庫というところで、ここは大手より幾分無理も聞いてくれる、頼れる経営のパートナーです。私もお礼と言っちゃなんですが、少しばかり定期預金だの投資信託もしています。営業の行員に勧められてね。高校出たての若い子です。元気があっていい。光輝くんも彼のように頑張ってほしい、顧客の立場のわかる銀行員になってほしいと伝えました。彼は大きくうなずきました。  最後に私は彼に言いました。「給料もなしで我が社に働いてくれるのはうれしいが、それは法律違反だね。きみなら知っているね」 彼は答えました。「はい…民法623条…労働基準法24条…」 私はにっこり笑って「そのとおりだ。さすがは東大法学部の学生さんだ。よく勉強しておられる。  彼は就職してまず首都圏の支店の勤務になったと聞きました。そして大手の仕事を担当してその後、何年か前にいわき支店に配属となり、わが社に営業の新規開拓で来てくれました。そして、リヒト時代の恩を忘れず、わが社に多大な融資の案件を担当してくれました。さすがは資金力のある大手銀行です。わが社がこの融資で仕入先や税務署に対して信用度をアップさせたことは言うまでもありません。私はかつてエセ・エリートだった彼を育てたこと、そして今度は逆に私の会社を育ててくれたことに感謝しています。 ◇陣内沙織 その十六 「話は前後するけど、私7月いっぱいでリヒトを退所したの」 「うん、そうだったね。でも、沙織ちゃんのちょっと前に健太郎くんも退所したとか…」 「そう。一番若い健太郎くん。とっても喜んでいた。彼、当時中学2年で14歳になろうとしていた。頑張って高校も行きます、って言って退所した。私より早い6月だったかな。梅雨の時季で雨がたくさん降っていたから」 「でも新しい子も入って来たんだよね」 「そう。中学生の女の子2人。一人が八王子の中学1年生でもう一人が千葉の3年生かな。2人とも私たちとすぐに仲良くなった。でも1年生の子の方はちょっとした内臓の病気もあったみたいで具合はあまりよくなかったわ」 「大変だね」 「そうね。でも、私は退所話で忙しくて…両親との生活の調整や、東京でのC病院での通院日を決めたり、大学に通うプランを組んだり。専門課程に進む話は本当ならあったんだけど、1年留年したから棚上げになったの」 「それはつらいね」 「7月31日。とても暑い1日だったわ。はっきり覚えてる。山の中でもすごく暑くて森のセミがやかましく鳴いていた。パパとママ、そろってリヒトまで迎えに来てくれた。夕方のバスでリヒトを去った。美咲と大哉くん、それに光輝、例の女の子2人、あと理事長先生、賢次先生、青木さん、二宮さん。みんなお揃いで見送ってくれた。美咲が最後大泣きして。『アーン、サオリちゃんが行っちゃうよー』って。胸が痛んだわ」 「でも、美咲ちゃんとはまた東京で会うんだ」 「そう。その年の9月末に美咲も退所したの。すぐに彼女から連絡があった。私たち一度新宿で食事したの。あと大哉くんもその少し前に退所したって美咲に聞いたわ。あと、また新しい人が来たことも」 「それはよかったね」 「リヒトを去る時、理事長が色紙をくれたの。立派な毛筆でこう書いていた『もしもこの世が喜びばかりならば 人は決して勇気と忍耐を学ばないだろう』ヘレン・ケラーの言葉だそうよ。うれしかった」 「へえ~、含蓄ある」 「でしょう? 理事長の人徳ね」 ■カルテ 「陣内沙織」 7月29日   文責:山崎賢次  おおむね回復の様子が見られる。睡眠・食欲も安定。本人に意欲あり、後期からは様子を見ながら大学へ通学。以後はC病院が診察担当、当所は31日ENT。 ■報告書 「陣内沙織」 7月30日   文責:二宮郁子(補足あり)  沙織さん、退所おめでとうございます。いよいよ明日ですね。リヒトに入られ、病気を治し、人間的にも大きく成長された沙織さん、今後の人生に幸多からんことをお祈りします。ホントにいい子だったからまた戻ってきてほしいような、これからの沙織さん自身のためにもう二度と来てほしくないような…。新しく入所されたマユミちゃんとハルナちゃんにとってもいいお姉さんでもありましたね。学習プログラムで勉強を教えている姿が印象的でした。  今までありがとう! 私も沙織さんのことを忘れません。沙織さん、これからもがんばれ!! ~退所 その後編:2年後~ ◇陣内沙織 その十七 「課長から連絡があったの。会いたい、って。佳奈と行くから、って」 「野崎課長から連絡があったんだ」 「そうなの。夢見町のカフェで佳奈さんと3人であったの。課長、リヒトのときみたいにカジュアルな服でゴキゲンで。佳奈さん、大きなおなかで、顔もふっくらされていた。おめでたなの、って。8月が予定日だったって。38歳にしてやっとよ、って佳奈さん。私、佳奈さんに改めて自分の過ちを謝罪した上でおめでとうございますって言ったの」 「それはよかったね。沙織ちゃんのこと、怒ってなかった?」 「うん、もう怒ってなかったわ。妊娠したせいもあったかもしれないけど、それだけじゃないの」 「じゃ、なんなの?」 「佳奈さんおっしゃるの。『翔ちゃんと不倫したあなたを許すのは勇気がいることだったわ。でも、今は許すときだと思う。もうあなたもあのときの過ちを繰り返さないと思うし』そして続けるの『沙織さんはその後私に殴られたりしたことがもとで精神病を患われた。そのことに関しては私の方こそあなたに謝らなければいけないんだけど、そんな沙織さんに私の力になってほしいのよ』って」 「どういうこと?」 「『私、沙織さんのことを翔ちゃんに聞いて精神障がいのことをいろいろ調べたの。さまざまな本を読んだり、インターネットを見たり。NHKの山崎賢三郎先生の番組も見たわ。沙織さんのリヒトの園の理事長ね。そしてわかったことがあるの。それはね、精神障がいは100人に1人はなる可能性の高い病気で、けっして珍しくない病気だっていうこと。でも世間の不理解・偏見がまだまだあって正しく理解されていないこと。だから万が一私や翔ちゃんや私の生まれてくる子ども、そのほか私の友人・知人が病気したときに沙織さんに相談相手になってほしいのよ。どういう病院へ行けばいいのか、どういう薬を飲めばいいのかとか。偏見はあってもあくまで病気なんだから専門の医師にちゃんとついてもらえば最低限の生活や仕事は出来るっていうことも学んだの。病気になったときでもあきらめずにいい人生を送りたいでしょう?』」 「なるほど…。佳奈さん、いいご意見だ」 「私もそう思ったの。だから、まさかのときはアドバイスできるようにします、って答えた。そしたら課長が口を開いて、『おれもこれから佳奈がお産でバタバタするけど、生まれて一段落したらまた時間作れるからまた家まで会いに来て。就職の相談も乗れると思うから』って言ってくれた。そして、『心配しないで。無理にタナカ証券に来なくてもいい。大学の知り合いでいろんな会社に勤めている人がいるから沙織さんの希望には幾分添えると思う』っておっしゃったの。なんだかとってもうれしかった」 「そりゃよかったね。実際野崎さんにはお世話になったんだよね。でも、沙織ちゃんは休学して留年したんだ」 「それよ、そっちの方が当面の問題だった。私のテニスサークルの仲間たちはみんな就職活動へ行った。私はというと単位不足で大学の授業に出なければならない。以前なら授業なんて出席取るやつと体育だけ顔を出してあとは試験前にノートを借りればよかったんだけど、雄太くんやマリコやミキがそれぞれ就活に行くから自分で授業に出なければいけなくなったの。自分が精神障がい者だっていう負い目もあったからもう誰にも頼れなかった。ずっとテニスサークルにも行けなくなってたし。大学はただ授業に出るだけ。1時間目から4時間目までみんな顔を出すのは苦痛だったわ。ノートを取るのも大変。友だちもいない。加えて通院も行かなきゃいけないし。授業が忙しくて体調もすぐれないから一旦は再開したコンビニのバイトも辞めたの。お小遣いも減ったわ。土日は授業の疲れでずっと家で寝ていた」 「苦労はしたけど、大学は本来勉強をするための場だよ。勉強にはなったんじゃない?」 「そうね…。でもあるとき体調不良で3日間どうしても授業に出られない日があったの。4日目大学に行って、確かフランス近代史だったはずだけどフランス革命のところが今度の小テストに出るって。私が休んだところよ! その小テストで60点以上取らなければ試験を受ける権利はない、って。学生たちが噂しているの。私より一つ学年下の子たちね。困ったの。選択必修なのに! それで仕方がないから思い切って全然知らない学生に声をかけたの。『すいません、フランス革命のところのノート、貸してください。私その日休んだんです。私留年していて誰も友だちいないんです』メガネをかけた男の子だった。ちょっと不思議そうな顔をしたけど、快くノートを貸してくれたわ。彼が言うの。『いつもちゃんと授業に来られているのにしばらく見かけなかったのでどうされたのかと思っていました。他の授業のもよかったらぼくのノート、使ってください』もう私、感謝したわ。結局フランス近代史のほか、3つの授業のノートを貸してもらった。フランス近代史は小テスト62点、ぎりぎりセーフだった」 「そうやって4回生のときは授業に出て単位を取ったんだ」 「通院しながらね。体力は徐々についてきた。授業はなるべく休まなかった。さっきのメガネの男の子、須藤くんって言うんだけど、彼とはキャンパスで会ういい友達になった」 「それはよかったね。やっぱり、持つべきは友だ」 「でも私、須藤くんが友だちになってくれたことはうれしかったけど、やっぱりテニスサークルには戻りたかった。戻れないにせよ、かつての友情は取り戻したいと思って。でも病気ゆえその勇気はなかった。C病院の主治医の先生も『沙織さんが傷ついてもいけませんし、慎重にいかれてはどうですか』とおっしゃった。主治医の先生は正しいと思った。でも、なんかかつての友達が諦めきれなくて。そこで、思い切ってリヒトの理事長先生にお手紙を書いたの。これがその返事よ」 「へぇ~、すごいね。あとで見せて」 「私、その後マリコっていう親友に病気のこと打ち明けたの」 △山崎賢三郎理事長 その八 拝啓 陣内沙織様  お手紙うれしく拝見しました。あなたが退所されたのは福島では2年前の九夏三伏・7月末でしたね。早いものです。無事退所され大学に通っておられるとのこと、大変うれしく思っております。息子の賢次もPSWの青木さんも看護師の二宮さんもこの知らせを喜んでいます。どうかこれからも元気な便りを聞かせ続けてください。  友達との問題ですが、確かに友達に本当のことを告白するのは勇気がいると思います。でも、沙織さんは何も悪くありません。それで友達が理解してくれないのなら、友だちが去って行くのならそれは初めからあなたの友だちではなかったということです。決して病気の悪い部分を大げさに言わず、慎重にありのままを言ってください。沙織さんなら理解されるはずです。沙織さんは本当に友達から大事にされるべき人です。これからも自分を捨てず、幸せをつかんでください。それでは。 敬具                              山崎賢三郎 ◆陣内沙織と安田真理子 その一 「久しぶりじゃない、サオリ。元気にしてた?」 「ありがとう、マリコ。うん、いろいろあって…」 「サオリ、あなた留年したんでしょう?」 「そうなんだ。今せっせと授業でてる。ノート貸してくれる人もいないし。就職活動は来年かな? マリコは今就職活動なんでしょう?」 「うん、いろいろ回ってる。セミナー出たり、リクルーターに会ったり。私ってメーカーとかより金融希望なのね。それで銀行とか保険回ってる。一般職でもいいし。でも、いろんな会社の面接でエントリーシート書くのだけでももう大変。その間ゼミはあるわ、バイトはあるわ、もう忙しいの。サークルも行けてないし。サオリ、中村くんと別れたってホント?」 「うん、ハッキリとじゃないけどもうそういう感じ。悲しいとは思うよ。でもこれ以上は無理」 「私、中村くんに新しい彼女がいるって聞いたの。サオリショックだろうなあ、って。ホントのいいの? カレと別れて」 「私もこの一年いろいろあったの。私の方こそ雄太に悪かった。今は、雄太はもういい。でも、ホントに友だちと思っているマリコには分かってほしいのよ」 「何よ、私たち友だちじゃない。ミキだって阪田くんだって、他のサークルのメンバーだって。中村くんだって。隠さずに言いなさいよ」 「ありがとう。実はね、2年前だけど私1年ほど精神科の療養所にいたの。それも福島県の山奥の。何もないところにあるきれいな施設だった。そこで治療を受けながら農作業や様々なプログラムをした。施設で友だちもできた。ホントに大切な仲間。東大の人もいたな。なんでそんな療養所に入ったかというと、もともと奥さんのいる男性とホテルで一夜を過ごして両親に激しく怒られたの。その彼の奥さんに謝りに行って殴られて興奮状態になって。最初、クリニックに行ってそれは薬でおさまったんだけど、あるときママとケンカになって私興奮して家財をみんな壊したの。そして救急車で病院送り、そこから泣く泣く療養所へ送られたの」 「えっ、そうだったの、サオリ…」 「でも、そこの先生やスタッフさんはみんないい人で救われた。来ている子たちとも気が合って。同病相哀れむね。でも私にとってこの1年は本当に貴重な1年だった。規則を守ることの大切さ、そしてそこから自分のカラを破ることの大切さ。本当の命の重み、自分がブスだってわかったこと、希望をもつことの大切さ。ほかにもいっぱい。大学では教えてくれないことを教わった。『もしもこの世が喜びばかりならば 人は決して勇気と忍耐を学ばないだろう』」 「なによ、それ?」 「ヘレン・ケラーの言葉なの。そこの理事長のはなむけの言葉。マリコ、知らない? 山崎賢三郎先生って。NHKで健康に関する番組やっている人。あの方が理事長なの」 「へえ、知らないなあ。だってうち下宿でテレビないもん」 「だったらワンセグで見てよ。療養所にいたころから私欠かさず見てるから」 「いやよ、私NHKに受信料払うのイヤだもん」 「いずれにせよ私は病気になって精神科にかかり薬を飲んでいる。マリコに言えることは友だちでいてくれとは言えないし、別れてくれとも言えない。ただ、それだけ」 「ちょっと! 友だちではいるから!! なんでそんな冷たいの」 「ありがとう。やっぱりマリコは友だちだ。ちなみにマリコは彼と、どうなの?」 「私は順調よ。言ったわね、彼3歳年上でもう働いているの。私が就職したら結婚してくれって言われているの」 「おめでとう! お祝いするからね。結婚式呼んでね」 「いやだ~、サオリ。私は結婚のほかにもっとしたいことがあるのよ。それが就職したら結婚なんて…。ねえ、サオリはどうなのよ? 新しい恋とか」 「私? ヒ・ミ・ツ」 「こらぁ!!」 ◇陣内沙織 その十八 「沙織ちゃん、テニスサークルには戻ったの?」 「うん、たまに顔を出す程度だけど。後輩たちが歓迎してくれたわ。私のもう一人の親友のミキにはマリコが事情を話してくれて。ミキも分かってくれた。男友だちで仲がよかった阪田くんも温かく受け入れてくれたし。でも…雄太だけはだめだった。公務員試験の勉強があるって口実にサークルには来なかったし、私とは明らかに距離を置いていた。マリコも言うように新しい彼女が出来たみたい。まあ、アフリカに行ったとかママがウソついたし、復縁は無理か。私たちジ・エンド。まあ、光輝もいるしいいか、って。でも、実はその頃須藤くんに告白されているの。四回生の9月、前期試験のとき。私たち授業で顔を合わせて、ときどき一緒に学食でご飯食べる関係になった。須藤くんはサークルとかやってなくて、授業とゼミに来るだけの子だった。だから友だちもいなかった。私だけが友だち。大事にしてくれたわ。だから、これからは男女の仲として、と思ったみたい」 「へえ~、それでどうしたの?」 「彼にははっきり言ったの。『私、須藤くんのこと嫌いじゃない。好きだけど、つきあう、っていうのは違う気がする。困っていたときにノートを貸してくれたり、話し相手になってくれたりしたのに、ごめんね。でも、せっかくだからデートはしない?』彼困惑していた。そして言った。『デートはしてくださるんですか?』って。一回限定でしようよ、って私。ちょっと矛盾してるね。そして2人で横浜に行ったの。10月最初の土曜日だった。確かJRで横浜駅まで行ってそこから地下鉄で中華街へ。2人で中華街をぶらぶらして目に付いたレストランでお昼ごはん。紹興酒飲もうよって言ったんだけど須藤くん、お酒は一滴も飲めないんだって。だから本場のウーロン茶で乾杯。それはそれでおいしかった。1500円のランチだったんだけど、おいしくてボリュームもあった。その後、ランドマークタワーに上がって風景を楽しんだ。その後、カフェでコーヒー飲んでそれから2人で山下公園へ。海を見ながらしゃべった」 ◆陣内沙織と須藤和裕 その一 「今日はよく晴れて気持ちいいね」 「そうですね。来てよかったです。陣内さん、今日は付き合ってくださってありがとうございました」 「いいのよ、須藤くん。私の方こそ、ごめんなさい」 「いいんです。陣内さんはこれからも友だちです。…でも、難しいですね、友だちっていうルールは」 「キャハッ、ホントそうだと思う」 「ぼくは確かに大学に1人も友だちはいません。いるのはみんな試験前の友だちです。試験前だけ大学にやってきてぼくにノートを借りる。ただ、それだけ。みんなそうでした。陣内さんに出会って初めて友だちと呼べる友だちに出会いました」 「あのときはありがとう、須藤くん」 「ぼくはホント見てのとおりの冴えない男で…でも、一度だけ女性に告白したことがあるんですよ。二年前、僕が1回生のときです。結果、ダメでした。でも思うんです。どうしてそのこと友だちになる道を探らなかったんだろう、って。ゼロか百にしなくてもよかったのに、って」 「そうだよ、須藤くん。私たちにみたいにすればよかったんだよ」 「きっとそうだと思います。でも、それは陣内さんに出会えたから気づけたんだろうなあ。…陣内さんって、やっぱりあれなんですか? 好きな人がいらっしゃるんですか?」 「ええ~っ!! そ、その…、キャハハ… ダ、ダメなのね…隠すことは出来ないのね」 「そんな気がしました。どんな方なんですか? ステキな方ですか?」 「う、うん。まあね。雲の上の人。東大卒でいなほ銀行に勤務していて、バンドやっている人。前、私須藤くんに言ったよね。私遠くの療養所にいたって。そこで知り合ったの。今、その彼のことが好き」 「へえ、東大で、いなほ銀行か…すごい人だなあ」 「でも、本当に彼が好きなのはそんな理由じゃない。彼が自分がブスだって気づけたから、つまり彼が成長したからよ」 ◇陣内沙織 その十九 「一方、光輝は私が退所したその年の10月の最初に退所していたの。私が2回生の時ね。彼は高橋社長の会社で心入れ替えて頑張っていたんだけど、ちょっと頑張りすぎたところもあって。退所が遅れたって。でも2学期に間に合ってよかった。光輝、5回生の後期で復学して単位を取るために講義に出たって。法学部で六法全書繰りながらする勉強だから大変だ、って言ってたな。あとゼミ論も書かなきゃダメだった」 「まあ、彼も帰って来られたんだ」 「光輝も留年したでしょ? 就職は何とかなったけど、単位が足りないとか、あとゼミ論を書かなきゃいけない、って当時こぼしていた。私たちたまに電話していたのね。リヒトは携帯エリア外だからメールとかはだめだけど、光輝が公衆電話からかけてくれたし。私も取り次ぎでリヒトにかけていたし。まあ、おたがいほどほどだったけど。」 「確か、沙織ちゃんは高橋社長に年賀状を書いたって…」 「そうなの。リヒト時代実習でお世話になりました、って書いたの。私手紙書く習慣ないのにね。でも社長喜ばれたみたい。すぐ返事が来た。光輝くんも積極的にわが社の実習、頑張っておられました、って書いてあった」 「そして光輝その次の年就職したの。例のいなほ銀行。何年か私たちデートしたの。ある時横浜へ行ったんだけど、そのときは私の方から誘った。確か4回生の12月くらいだったかな? クリスマスが近かったのを覚えている。JRで横浜駅まで行ってそこから地下鉄で中華街へ。2人で中華街をぶらぶらしてとあるレストランでお昼ごはん。1500円のランチだったんだけど、おいしくてボリュームもあった。その後、ランドマークタワーに上がって風景を楽しんだ。その後、2人で山下公園へ。海を見ながらそこでおしゃべり」 「なんかそれ、さっきの…」 「そう。須藤くんとのデートと全く同じコース。須藤くん同様光輝も大切な人。いや、須藤くん以上だな。だから敢えて同じコースを取ったの」 「楽しかった?」 「うん」 「それでうまくいった?」 「それがね、山下公園で2人で海を見ていると急に地震があったの。慌ててスマホ見ると神奈川震度3だって。震源地は千葉県で震度4。大きな被害とかはなかった。津波の心配も。私たちほっとしたわ」 「そしてその後、決定的瞬間が…」 「そうなの。光輝ね、言ってくれたの。『さっきの地震なんともなくてよかったけど、これから先何かあった時、何があってもおれが守ってやるからおれのそばにいてほしい。だから、もう一度言う。…結婚してくれ』って言われた!」 「どひゃー、さすが光輝くん!! そしてどう答えたの?」 「そりゃ、OKしたわ。『ブスな光輝が好き。でも私たちおたがいこれからまだまだ大変だから、就職するまではこのままでいよう』って。カレ、分かってくれたわ」 「そうだね。沙織ちゃんも大学卒業しないとだめだし、あと沙織ちゃんは就職もある」 「一方、私は4回生の終わりから徐々に就職活動を始めた。パパが『どうしても決まらなかったらおれの会社来たらいいぞ』って言ってくれたんだけど、あの、私のパパ倉庫会社の社長なのね、なんかそれは悪いと思った。それで会社回り始めたんだけど私のところには企業からはがきや会社案内があまり来ないの。テニスサークルの1年後輩で経済や法学部の子には女の子でも企業から案内がたくさん来るのにね。まあ、私留年していたせいもあるし。だから私の就職戦線、序盤は大苦戦だった。それで思い出したの。課長に相談しよう、って。さっそく私タナカ証券の連絡先調べて野崎課長をつかまえた。課長は喜んでくれたわ。一度会ってくれた」 「よかったね。野崎さん、リクルーターだ」 「そう。でもリクルーターって普通入社1、2年目の若い人でしょう? 課長は当時39歳でもう係長だった。まあ、私だけコネってところで特別扱いかな?! これはラッキーだったけど。しかし、課長の私に対する評価は厳しかった。私がほかの会社で全く話が進んでいないのを聞いて『こんな人をおれが自分の上司に紹介することは出来ない』って言うの。やっぱり他社がほしがるような人がほしいということね。ただ、課長は私を見捨てなかった。もう少しよそも回るといい、って学生時代の後輩を紹介してくださったの。『就職活動も慣れだよ』って課長」 「うーん、厳しさに優しさ。さすがは野崎課長だ」 「最後に、『去年の8月に子どもが生まれてね。男の子だったんだ。もうかわいくて溺愛している』って課長。すっかりお父さんの表情になってるの。それまではただのイケメンだったのに全く違う人になっていたの。おめでとうございます、って口頭で述べた。私のママはもうすでに課長にお祝いをしたらしいけど、私も簡単なお祝いをした」 「それで、野崎さんにお祝いもして、沙織ちゃんは就職活動頑張ったんだ」 「それから必死よ。課長に紹介された会社に行ったわ。初めはうまくいかなかったけど、だんだんヒットするようになって。1社は3次面接まで行った。もう1社も惜しかった。私分かったの。私って質問はするんだけど、くだらない質問が多いって。だから、質問を慎重に選ぶようにしたの。そしたらだんだん上へ進めるようになってきた」 「いい感じだね」 「3次面接まで行った会社があるって言ったでしょう。残念ながらそこはそれで終わったんだけど、その面接を担当した人が課長の後輩で。その方が課長にメールしたんだって。『残念ながらウチでは不採用にしましたが、野崎センパイならほしい人材かもしれません』それでか、野崎課長から連絡があった。『沙織さん、一度会おう』って。私飛んで行ったの」 「チャンス到来だ」 「課長の後輩、春田さんっていうそうなんだけど『春田は沙織さんがIT業界志望だって言ったら社長に会ってもらったって言ってたよ。どうしてそんないい話乗らなかったの?』って言うの。私答えた。『タナカ証券のことがあったからです。タナカ証券に行きたいです』って。課長一瞬考えた。「分かった。じゃ、人事に回す」って。私、心の中でVサインよ。うれしかった。 「そして、人事部長に会って…」 「そう。人事部長の面接、さらには社長面接もクリアして晴れてタナカ証券に採用されたの」 「でも、沙織ちゃん、病気のことはどう話したの?」 「それは聞かれたくないことね。でも正直に言ったわ。リヒトでの生活やそこで学んだこと、得たものも話したし。意外と社長は納得していた。『わが社には嘱託の精神科医もいるよ』って社長」 「でも、失礼だけど沙織ちゃん文学部でしょう? 証券会社に入るには不利じゃない?」 「それは今から思うとそうなんだけど、私こんな質問されているの。『あなたは文学部に在籍されていますが、文学部での勉学をどう我が社で活かすおつもりですか?』私勇気を出して答えたわ。『はい、私にとって大学は人の考え方を学ぶ場です。自分とは違う人の考え方に触れるのが一番だと思いました。それで、文豪の考え方に触れるのがために文学部を選びました。講義にも出て、多くの書を読みました。会社で仕事をするためにもまずは人の考え方に触れることからだと思います。私の大学での勉強はきっと御社での仕事に役立つと思います』社長も重役もちょっと驚いていたわ。おたがいに顔を見合っていたし」 「でも、いい受け答えだと思うよ。さすがは沙織ちゃん。そんな沙織ちゃんを採用するってタナカ証券は見る目があるね。さすがは、一流企業だ」 「採用の通知は三日後までに、って言われて通知は面接の次の日に電話であった。もうそのときに私言ったの。『総合職ではなく、一般職でお願いします』って。光輝との生活、光輝のお仕事を優先したかったのよ」 「そしたら何て?」 「人事の方、『それはまた内定拘束のときにおっしゃってください。当社には総合職と一般職の中間的な新総合職っていうのも選べますよ』って」 「それで沙織ちゃんは現在首都圏担当の新総合職なんだ」 ◆陣内沙織と進藤光輝 その三 「光輝、大学のときどうだった?」 「勉強は思ったより大変だったな。連れは大概先に卒業しちまった。おれが自分で授業に出てノートを取らないとダメだった」 「あっ、私も同じ。私も大変なんだ。誰も助けてくれないし」 「おまえらはただ授業聴くだけだろ? おれらは六法も見なきゃいけねえんだぜ」 「まあっ、文学部の勉強は勉強じゃないって言う気?」 「悪かったよ。でもあれだろ? お前には助けてくれる友達がいるんだろ? ほらナントカくん…」 「か、彼は友だちよ!」 「友だちっていうルールは難しいな。実際おれもおまえのせいで誰からも合コンに呼ばれなくなった。それまではおれは東大のエースだったんだぜ」 「なによ、それ! このエロオヤジ!!」 「悪かったよ。それより、どうする気なんだ? 卒論?」 「うん、それなのよ。就職は決まったけど、何を書くか浮かばないのよ」 「沙織、おまえ西洋文学だろ? 何でもいいじゃないか。シェークスピアでもセルバンテスでもヴィクトル・ユーゴーでも…」 「書くとしたらシェークスピアかな…」 「だったらそれでいいじゃないか。シェークスピアが妻アン・ハサウェイとの夫婦生活から得た著作のインスピレーションについて、以上! でいいじゃないか」 「もう、勝手なこと言わないで。だいいち卒論のない人にごちゃごちゃ言われたくないのよ!!」 「卒論がないって?! おれだってゼミ論書いたんだぜ! 苦労してテーマも決めた」 「どんな?」 「民法632条と643条の報酬についての対比的事例研究」 「はぁ?」 「債権法における請負と委任についてだ」 「もう~わかんない!!」 「もういいよ。分かんないヤツは」 「でも私も光輝みたいにやっぱり本を読まないとだめなのね…」 「当たり前だろ。すべてはそこからだよ。おまえ、よく読んでたじゃないか」 「それが就職決まって燃え尽きたのよ」 「ダメだな…」 ◇陣内沙織 その二十 「何とか卒論も書いて翌年、私はタナカ証券に就職して社会人となった」 「どうだった? 新社会人生活?」 「そりゃ、もう大変だった。あの、私まず新人研修の後、新宿支店の事務に配属だったんだけど、仕事も覚えること多いし、嘱託医にかかりながら残業だの飲み会だのあったな」 「やっていけた?」 「うん、会社の雰囲気はむしろ好きだったな。厳しんだけどどこか温かみのあるような…充実した日々だった。でも、毎日怒られてばっかり。大変だった。優しい先輩も多かったけどネ」 「光輝くんとは会ってなかったの?」 「会うのは月一回くらいだったかな? でも毎日LINEしたり電話したりしていた。光輝には随分癒された。私たちの結びつきは強かった。あと、作業所に通っていた美咲やB大生になった広海ちゃんともよくLINEした」 「婚約していたことは意識していた?」 「それがあまり意識しなかったな。仕事が忙しかったせいもあるし、私たちがまだ若かったせいもある。光輝も仕事大変だったみたいよ。でもおたがい浮気とかはしなかった」 「そして今年、沙織ちゃんは4年目にして営業に回されるんだ。そして…」 「そう、営業に来たの。上司はあの野崎翔平さん。課長になって3年目よ」 「営業の仕事も大変だったでしょう?」 「当たり前じゃない!! 女子で営業行けるのはエリートコースだ、って課長やみんなから言われたけど、私には大変な苦しみだった。せっかく事務の仕事覚えたのにまた違うこと覚えなきゃいけない。日々、試練よ。今も、試練」 「野崎課長はサポートしてくれる?」 「そりゃ、もう。私みたいな出来ん坊主をいつも手取り足取り助けてくれるわ。お客さんとトラブルになっても。私、野崎課長の部下になって本当によかった。課長と男女の仲になれなかったこと、ちょっと悔しい気もするけど。人生って何かしら無念を残して終わるんだろうね。たとえ光輝がいてくれても」 「そう…」 「ねえ、勝山さん?」 「どうしたの?」 「今まで長い記録取ってもらってありがとう。来月私、光輝と結婚式挙げるの。そのときまでリヒトの私たちの記録、よろしくね。私もその出来た記録、早く見たいなあ」 「これから頑張って編集するからね。ほかの子のも取ってる。沙織ちゃん、今まで長い間本当にありがとう」 「記録係お疲れさま!!」                                     (了)
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