浅草六区の劇場で

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 彼のバイト先は、劇場兼稽古場から歩いて5分もかからない、言問通りに面したステーキ屋だ。  オーナーは元プロレスラーで、鉄条網電流爆破流血無制限デスマッチとか、随分無茶な興業をこなしてきたらしく、常駐する墨田区の本店には今も当時のファンたちが大挙して来る。  平田が勤める浅草六区店も、店員がほぼ全員元格闘家やボディービルダー、アスリートだし、来店する客も近くのボディービルジムのスタッフや客で、総員マッチョ状態だ。  壁にはプロレスや空手、テコンドーの試合の告知ポスター、ボディービルジムの宣伝が貼られ、まずその体形で「肉を食え」と圧をかけてくる。  賄いの食事つきというのが決め手で、劇場にほど近いこの店にバイト先を決めた平田だが、筋肉アップアップ状態のステーキ屋において、身長175センチ、体重55キロ、体脂肪率8パーセントでがりがりの彼は明らかに浮いていた。  常連客からはモヤシくんとかゴボウくんと呼ばれているが、それは仕方のない事だ。  初めは重いカレーソースの鍋や、ハンバーグ用のひき肉満載ボウル、スープ用の巨大寸胴鍋を持つたびに、ふらついて床にぶちまけそうになったが、勤め続けているうち、次第に腰も座り力もつき、重いものを持っても体の芯がぶれないようになってきた。  自分達の指導と賄いで食わせる赤身肉とハンバーグの成果だと、マッチョな店員たちは喜んで褒めてくれる。  良好な人間関係と言える。  だがその好意に甘えて舞台のノルマチケットを押し付け、関係を壊したくはない。  せめて芝居のポスターを貼らせてもらい、一枚か二枚、よくて三枚、ささやかにチケットを買ってもらえば御の字だ。 『この店で鍛えた足腰が、いつか芝居に役立てばいいな』
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