君の瞳には映らない

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「春樹…帰るぞ」 そう言った透の顔は青ざめてひどく疲れて見えた。春樹はほっとして透の後を追った。 部屋に戻るとすぐに透はシャワーを浴びた。出てくると少し血色が戻っていて春樹は安堵した。透はナイフをクローゼットの奥の引き出しに戻した。 透はベッドに倒れるように突っ伏した。そしてシーツで疲労を拭うように体を捩った。 透の肩が小刻みに震え出した。春樹は透の横に寄り添った。 春樹は透の背中を摩りながら言った。 「透くんにあんな物握って欲しくないよ」 透は答えなかった。 透の肩はまだ震えている。突っ伏したまま声を出さずに泣いていた。春樹は透が泣いているのを始めて見た。春樹は透の体を抱き締めた。透はビクっとしたがそのまま抱かれていた。何がそんなに悲しいのだろう。透の抱えている悲しみが分からない。殺してやると言うにはそれなりの理由があるんじゃないのか。どうして僕に話してくれないのだろう。側にいたのにまるで僕のことなんか忘れてるみたいだった。そんなに悲しいのは、誰のせいなんだろう。 春樹は透が愛おしくて苦しくなった。僕が透くんを守ってあげたい。いつも透の腰巾着と言われていた自分が守ってあげたいだなんて生意気だけど。 「透くん、大好き」 口から言葉が勝手に零れていた。それは春樹の口から出て言葉は全身に駆け巡った。 いつかの帰り道、同じような事を言ったことがある気がした。僕は大切な記憶をなくしているんじゃないか、春樹は思った。だけど、記憶は曖昧ですぐに消えていった。 透は小さな寝息を立てて寝ている。 聞こえていない。春樹はホッとした。 透くんが通り魔だったとしたら──── 絶対にない。透くんは人を傷つけるような事はしない。小さい頃から知っているから分かる。家族で魚釣りに行った時も魚のわたを取り出すのも怖がっていたくらいだ。人を刺せる訳ない。 だけど、取り憑かれたように殺してやると繰り返し言っていた。ナイフを持って深夜まで路上を徘徊していた。透くんが通り魔である可能性も捨てきれない。だとしても僕が見ている前でそんな強行に及ぶだろうか? 春樹はベッドをそっと離れた。 そしてクローゼットの奥の衣装ケースからナイフを取り出した。透を信じてない訳では無い。そう自分に言い聞かせた。だけど、これは犯罪の証拠品かもしれない。可能性がゼロ出ない限りあんな物ここに置いておけない。春樹はそれを持ち出して外に出た。 まだ明けない空の下、春樹は河原の土手にスコップで穴を開けた。街灯の光は土手の下までは届かない。懐中電灯を使うと春樹の周りだけ明るくなる。1メートル程掘った。そこにタオルでくるんだナイフを入れて土を被せた。砂を不自然にならないように綺麗に慣らした。 夜は明けかかっていた。
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