君の瞳には映らない

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「ずっとここにいろよ」 「うん」 しがみついた腕に力をこめた。 「明日、実家帰るから春樹も行こう」 透が言った。 「おふくろがどうしても帰って来いってさ」 「うん」 透と春樹の実家は同じ川沿いにある14階立てのマンションだ。前に実家に帰ったのはいつだっただろう。帰れない程は遠くもないのに通うには遠いからと両親に無理を言ってアパートを借りてもらった。なのに、ほとんど透の家に入り浸っている。二人で透の部屋を出て実家のあるマンションに着いた。 「じゃあまた後で」 実家の鍵を刺した。入ってすぐ左にあるのがバスルームその奥がトイレだ。右側に春樹の部屋がある。廊下の向こうの扉を開けるとリビングという一般的な3LDK。母親が小さなバルコニーいっぱいにプランターを置いて花や野菜を植えている。 「ただいまー」 リビングのドアを開けると暗かった。大きなサッシに分厚い遮光カーテンがかかったままだからだ。フローリングから伝う冷気で体がブルっと震えた。埃臭く空気が澱んでいる。 「母さんいないの?」 カーテンと窓を開けるとバルコニーのプランターにはどれも花はなく枯れた茶色い茎が乾いて項垂れている。 どうしたんだろう。いつも暇さえあれば花の手入れをしていたのに。 奥の和室に入ると布団が敷っぱなしで毛布と布団が乱れている。 「母さん?」 自分の声がやたらと大きく響く。 やっぱり連絡してから帰るんだったと春樹は思った。透が帰るからついでに帰ったのがいけなかった。息子が突然帰ってくるとは思わず布団を敷っぱなしにして出かけたんだろう。 いつもの癖で冷蔵庫を開けた。こころなしか軽い。 「え?」 中には何も入っていなかった。 調味料すらない。野菜室も、冷凍室も空っぽの真っ白のがらんどうになっていた。電源だけが入っている。 「母さんは料理もしなくなったのかなぁ」 春樹はわざと明るい声で言った。 母親の携帯に電話をしようかとも思ったが改めて出直す事にした。 透の実家に向かった。第二の我が家の様に当たり前にドアを開けた。 「春樹と帰ってきたんだ」 「さぁ食べて」 食卓に並べられた透の好物ばかりだ。 「ねぇ透?……あなたしばらく家に帰っていらっしゃい……」 「何だよ……急に」 「あなた、最近痩せたみたいだし、眠れてるの?」 「俺は普通だよ」 「春ちゃんと帰ってきたの?」 「そうだよ。春樹といるから心配すんなって」 春樹はリビングに入った。 「こんにちは、お邪魔します」 「春樹も食えよ」 透の母親の体がビクッとはねた。 「母さん春樹の分も出して」 「いらっしゃい春ちゃん……沢山あるからいっぱい食べてね」 「いただきます」 透の母親は春樹にビーフシチューをよそってくれた。 「おいしいです」 「透、春ちゃんと一緒に1週間位帰ってきて……」 「何だよ?急に」 「お願い!……お母さんがこれだけ頼んでもだめなの?」 透の母のどこか切羽詰まった言い方に透も春樹も戸惑った。 「わかった」 透が帰り道にお肉屋さんで唐揚げを買った。 真っ赤な太陽が上り坂に消えていくのが見えた。 透は無口で、春樹も話しかけなかった。
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