第3章 拓哉

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第3章 拓哉

仕事で忙しい拓哉のために近くに住む義母が毎日手伝いに来ていた。拓哉が仕事で遅くなる時は、義父もきて泊まってくれた。とてもありがたい。義両親は私が生きていたころからよく手伝いに来てくれたり、私たちも週末向こうの家に遊びに行ったりしていたので、良太もなついている。母を知らずに育った私に母親のやさしさを教えてくれたのは義母だった。娘のいない義母は私を実の娘のようにかわいがってくれた。生まれると同時にに母を亡くした私の子供が、また幼くして母をなくすなんて、なんの因果だろう。これから、良太が、私が亡くなった母を恋しく思いながら育った同じ経験をするのかと思うと辛くて胸が張り裂けそうだった。 幼くして母親をなくしてしまった良太が不憫で、私はなるべく良太と一緒に過ごすようにした。良太は私がお願いした通り、一人になると、よく私に話しかけた。私はそのたびに返事をするのだが、あれから良太には私のことが見えないし、聞こえないようだった。もう良太が私のことに気づくことがないと思うと言葉では言い尽くせないほど切なくて、悲しかったが、とりあえず、もう一度良太を抱きしめて、私の気持ちを伝えることができた。それが唯一の救いだった。私にはもう一人、どうしても話したい人がいた。それは夫である拓哉だった。 神様、もし突然亡くなってしまった私の願いをもう一度聞いてくれるなら、拓哉と話させてください。お願いします。生きていたころは宗教心などあまりなかった私だが、祈らずにはいられなかった。 そして、その日は思いがけずやってきた。土曜日、拓哉がダイニングテーブルに座って仕事をしていた。良太は義両親のところにでもいったのか、家にいなかった。ラップトップのキーをたたいていた拓哉の手がふと止まった。夕日がだんだん沈んで薄暗くなっていく部屋で拓哉が肩を震わして泣いている。 「拓哉!」 私の目にも涙があふれてくる。大好きな拓哉に もう抱きついたり、キスしたり、話したり、冗談を言って笑い転げたりすることができないと思うと、悲しさで胸がつぶれそうだった。 「ごめんね。拓哉」 そういうと、拓哉が顔を上げて、部屋を見回している。そして、 「真美、ここにいるの?」 とつぶやいた。 「拓哉、ここだよ。拓哉のすぐそばにいるよ」 というと、彼が私の方を向いた。 「真美、おれ、真美が見えるよ。」 といって、私を抱きしめた。 「真美、真美、大好きだよ。どうしてこんなことになったの・・・・。怖かっただろう。」 と言って、私の顔を覗き込んだ。優しい拓哉はいつもそう。自分のことより、私のことを一番に心配してくれる。今まで拓哉と過ごした時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。ゼミの講義室で後ろに座っていた拓哉が落とした消しゴムを拾ってあげて、初めて目が合った瞬間。一緒にテスト勉強した大学の図書館。仕事の後、待ち合わせてよく行ったレストラン。お互いプロジェクトの話や上司の愚痴を話したり、楽しかったね。夕飯を食べる場所がレストランから家のダイニングに変わって、私たち二人だったのが 良太と三人になって、家族になって。 「ごめんね。拓哉。私、もうこの世にいることはできないけど、拓哉と出会えて本当に幸せだった。拓哉と良太が大好き。愛してる。母を知らずに育って、いつも寂しかった私の心を埋めてくれたのは拓哉と良太。そして、拓哉のご両親だったよ。」 「良太に私と同じ思いをさせると思うと、本当に悲しい。」 私は彼の腕の中で泣いた。 「真美、おれ、しっかり良太のこと育てるから。大丈夫だから。だから、俺たちのこと見守ってて。俺たちと一緒にいて。」 拓哉も泣きながら言った。私だって、ずっと一緒にいたい。でも、これだけは言っておかないと。もうこの世にいることができない私が拓哉をしばりつけておくことはできない。 「拓哉、私 ずっと拓哉と良太のこと空の上から見守ってる。ずっと一緒にいるよ。だけどね、どんだけ拓哉と良太のことが好きでも、もうこの世にはいれない。触れることも話すこともできない。だからね、もし 将来 誰かと出会って、その人が良太のこともかわいがってくれたら、私のことは気にしないで、再婚してね。私に悪いなんて絶対思わないで。私は、拓哉と良太が幸せなら、それで幸せだから」 良太の時の同じように、夕日が沈んでしまうとともに、私の姿も良太の視界から消えてしまったようだった。拓哉は私のお願いには答えず、 「真美、真美、大好きだよ。」 と言って、床の上に崩れ落ち泣き続けた。私は拓哉の背中を抱きしめて一緒に泣いていた。でも、自分の意思とは関係なく、体がどんどん軽くなって、空気中に浮いていくのを感じた。そして暗くなった空に向かってどんどんのぼっていく。もう戻れない。もう拓哉と良太のもとに戻れない。だんだん意識さえも遠のいていく。 「さようなら」 そう呟やくと、私の存在はこの世から消えていった。
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