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4
「凪!」
俺と浮葉さんが駆けつけたのは凪の父親が医院長を務める川崎医院の横にある一軒家だった。
大きめな声で叫びながら玄関の呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは凪ではなく医院長の方だった。
「貴様、何をしに来た?」
当然歓迎はされていない。
「何をしに来たじゃねぇよ。
あんた凪をどうしたんだ!」
「ふん、貴様には関係のないことだ。」
「いや、あるね。
凪は俺達の仲間だ。
もうあんたが知っている凪じゃない。」
「言った筈だ。
もうそんな事はどうでも良いことだと。」
「そんなわけない!だってあいつは。」
「きり…と…?」
「凪。」
弱々しく顔を出した凪の表情は酷く疲れていた。
以前までは綺麗に整えられていた髪もぐしゃぐしゃにかき乱されている。
着ているのも普段の巫女服ではなく、使い古されたヨレヨレのジャージ。
一見すれば別人に見えなくもない。
でも間違いなく凪だそれだけは分かる。
「大丈夫かよ…。」
「あはは、こんな姿でごめんね…。」
「なんで謝るんだよ…。」
作り笑いがあまりにも痛々しい。
そしてそれは俺の後ろにいた浮葉さんの姿を見て驚きと戸惑いのそれに変わる。
「…なんで…あなたがここに…。」
「凪、彼は生前のお前の事を知ってて、だからお前に…。」
「だって彼は…彼は私が死ぬ前にもう死んでいたんだよ!?」
「え…?」
言われて後ろを振り向く。
背後に居た浮葉さんには確かに足がなかった。「どうして…。」
「一言謝りたかったんだ、君に。」
いまだ戸惑いを隠せずに問いかける凪。
そしてそんな凪の目をまっすぐ見据え、浮葉さんは答える。
「今更…そんなこと言われたって。」
彼が先に死んだ事を凪が知ったのは彼女が自殺してすぐの事だ。
「急な話で戸惑うかもしれない、でも君にはこれから死神神社の巫女として生まれ変わってもらう。」
「意味が分からないんだけど…。」
唐突すぎる申し出に、どう返して良いか分からないないという戸惑い半分、どうせ死んだのだからどうでも良いやと言う思い反面。
「聞いたままの意味だよ。
君には死神神社の巫女として今すぐ生まれ変わり、もう一度人生をやり直してもらう。」
「いや、私もう一回死んでるんだよ…?
こっちは消えたくて自分から死んでるの。
分かる?」
「分かるさ、僕は死神だからね。」
「ならなんで…。」
「君が必要だから、と言えば良いのかい?」
「はぁ…?」
「自分でも苛立ちそうな程露骨な嫌悪感を込めてやった。
「勿論ただとは言わない。」
「いや、私死んでるから。
お金とか積まれても必要ないから。」
「そもそも僕だって人間が使うお金なんて持ち合わせてないよ。」
「馬鹿にしてんの?」
「君が自殺するきっかけを作った彼は君と出会い始めた頃からもう長くはなかった。」
「っ…!?」
「君にあの図鑑を渡したのもだからだろう。実際あの日彼は自分の死を覚悟していた。」
「何よ…それ…。」
「結局彼は君にそれを言えずにこの世を去った。」
「何よそれ!意味分かんない!」
その頬に確かなぬくもりが伝う。
死んでいるはずの自分にも、涙は出るのか。
もう流したくなんかなかったのに。
「今の君はちゃんと実態を持っているよ。
もう無理矢理生き返らせた後だからね。」
「最初から私の答えなんて聞いていなかったんじゃない。」
「まぁね。
でも一応対価は支払ったつもりだけど?」
「あれが対価な訳?
ちっとも嬉しくない。
すぐにでも消えてしまいたい。」
「君はどうあってもすぐにでも消えたいと見える。」
「だから自殺したんだって。」
「だから今から君の記憶を全て奪う。」
「っ…。」
「そして君は何もかも忘れて死神神社の巫女としてこれからも毎日を過ごしてもらう。」
本気で意味分からないんだけど…。
てか全部忘れるんならさっきの代価とか言うのも意味ないじゃん。」
「意味はあるさ。
消すと言っても記憶は完全に無かった事に出来る物でもない。
無意識の中で生き続けるんだ、ずっとね。」
「じゃあ何かの拍子で思い出したらまたここに戻ってくるって?そんな事に意味なんて」
「残念ながら君に二度目なんて物はないよ。」
私の言葉を切り、死神は冷たく切り捨てる。「それって…どう言う…?」
「通常、死んだ人間は僕たち死神がその魂を刈り取り、閻魔大王の下に引き渡す。
その後、閻魔大王の選別の元に天国、地獄のいずれかに落とされる。
その後、魂は輪廻の波に乗り、生まれ変わる。でも死神神社の巫女はそうじゃない。
君の魂は引き渡さずに無理矢理輪廻転生させた存在だ。
だから当然もう一度死んだところで本来の流れを辿る事なんて出来ない。」
「じゃ、じゃあ私はどうなるのよ?」
「その時は君の望み通り消える。
体も心も、存在そのものもね。」
「っ…!?」
「君は消えたいと願う。
その願いが次は無い事を願うよ。」
「ちょ、待ってよ。」
それきり死神は消え、私が次に目を覚ましたのは見覚えの無い神社の濡れ縁の上だった。
見覚えが無いと言っても、その時の私は死神が言う通り一切の記憶を失っていた。
自分が誰で、何故こんな所に居るのかも分からない。
何も分からないと言う事実がただ恐怖だった。その場で泣いてしまいそうにもなった。
「あら…目を覚ましたようね…。」
誰かが近くに居るという事実が、それを思いとどまらせた。
声のした方に目を向けると、近くに巫女服を着た少女が立っていた。
鮮やかなオレンジ色の髪は首下くらいまで。
ルビーのような紅色の瞳。
それらの特徴が充分に生かされた整った顔立ちや、華奢な体躯。
同性の私から見ても美人だと分かる。
「あ、あなたは誰?」
「さぁ…?別にどうでも良いことじゃない。
」
「いや…どうでも良くは…。」
「同じ質問をしたところで、どうせあなたも答えられないでしょう?」
「っ…!?じゃああなたも?」
「そのようね。
あぁそれよりも、彼女をどうにかしてくれないかしら。
ゆっくり粗茶を飲む事も出来ないわ…。」
「いや粗茶って…。」
自分と同じ状況の筈なのに、どうしてこんなにも落ち着いていられるのだろう。
それにしても彼女って…。
仕方なく辺りを見回すと、涙ぐんでその場に座り込む小学生くらいの女の子が居た。
「ど、どうしたの?迷子になったの?
あなたのお名前は?」
「分からないの…。」
「彼女も同じよ、気がついたらここに居てそれまでの記憶が一切無い。
まぁ記憶が無いと言っても言葉や物に対してのある程度の知識は残っているようだけれど。」
言われてみれば確かにそうだ。
自分が誰で、ここがどこなのか、何故ここに居るのかも分からないのに、普通に会話は出来ている。
とりあえず…。
「こんな小さな子供まで同じ状況になってるなんて…一体何がどうなってるの…?
分からない事ばかりで酷く気持ち悪い。
「私、どうなっちゃったの…?怖いの…。」
小刻みに震える彼女は、今にもまた泣き出しそうだ。
「泣かないで、大丈夫だから…ね?」
自分もその場にしゃがみ込み、その頭を撫でる。
それに彼女も抵抗する事なく身を委ねる。
「大丈夫…ね。」
最初に話した彼女がそう言ってため息を吐く。「良いから黙ってて。」
実際自分だってこんな意味が分からない状況で大丈夫なわけがないと思っているのだ。
でもこんな小さな子の前でそんな弱気な姿を見せられない。
「お姉さんの手、あったかいの。」
そのまま撫でていると、彼女はそう言って安心したように微笑んだ。
「よしよし泣き止んだね、良い子だ良い子だ。」
そう言ってもう一度優しく撫でてあげる。
「うんなの!」
嬉しそうに笑う彼女が愛おしく思える。
と、その時だった。
「皆さん目を覚ましたみたいですね。」
突然神社の入り口辺りから聞こえた声に思わずそちらに目を向ける。
間違いない、この人は私たちの事情を知っている人物だ。
そう確信していた。
でもその声の主を見て思わず拍子抜けする。
目の前に現れたのは、見た目年齢的には今撫でていた女の子となんら変わらないフランス人形みたいな可愛らしい女の子だった。
「皆さん、初めまして。
私光って言います。」
そう言ってお辞儀してくる光と名乗る少女。
でもこれで確信できた。
彼女は最初から自分の名前を知っていた。
そして、私たちの存在を最初から分かっていてここに来た。
「あなた、一体何者なの?それに私達は何なの…?」
「あうー…質問は一つずつにして欲しいのですー…。」
「あ、そうだね…。
じゃあ一個ずつ答えてもらえる?」
なんとも拍子抜けだった。
最初、もっと厳つい男とか怪しげな研究員みたいな人が来るのかと思っていた。
でも実際はこんな小さな子供。
よく分からない状況に追い込まれた怒りをぶつけようという気にもならず、その怒り自体も彼女の顔を見ていると大して気にもならなくなった。
「改めまして、私光と言います死神様の使いをさせてもらっています。」
そう言ってまた丁寧にお辞儀する。
「死神の使い!?」
「はい、急にこんな事を言うと驚かせてしまうかもしれませんが、あなた達は生前に一度自殺し、記憶を失ってこの場所の巫女として生まれ変わった存在なのです。」
「え?は?よく…言ってる意味が…。」
突然の言葉に思考が全く追いつかない。
だと言うのに言った本人は変わらずニコニコと微笑みを向けてくる。
「これからゆっくりと説明しますよ。
今日からここがあなた達が住む死神神社なのです。
中でゆっくりお話ししましょう。」
そうして、私達は自分達が何者なのか、それぞれに与えられた力、今後どうすれば良いのかと言う簡単な説明を受けた。
正直実感は全く無く、すぐに理解出来るような事でもなかったが、現時点で彼女を信じる以外の方法なんて無かった。
そうして私は、茜と、そして雫と生活を共にする事となった。
最初の印象が良かったからか、雫はとても自分に懐いていた。
そして私自身も、彼女の事が可愛くて仕方なく、守ってあげたいと思った。
そこから私は、彼女が不安にならないように本当の母親のような存在であろうとするようになった。
バイトを始め、家事もこなすようになった。
今思えばそれは単に嫌われたくなかったからなのかもしれない。
自分を必要としてくれる存在が離れていく辛さを、もう二度と味わいたくなんかなかったから。
そうして今、私は全てを思い出した。
「僕が死んだ後も、君は毎日河川敷に遊びに来てくれていた。
その度に日に日に疲れた表情に戻っていく君を見ているのはとても辛かった。」
目の前の浮葉さんは沈痛な面持ちで言う。
それに私は何も言えなかった。
勿論、ただ裏切られた訳じゃないんだと言う安心感もある。
でもそれ以上に、こうなる前になんで話してくれなかったのかと言う怒りもある。
「でも君には僕の分まで強く生きて欲しかった。
だからあの図鑑は君にあげたんだ。」
「うん…。」
でもその図鑑はもう捨てられてしまった。
大事にするという約束も守れなかった。
「最後に、それだけを伝えたかった。
でも幽霊になった僕の声はあの日の君には届かなかった。」
あぁ、彼もまたあの場所に毎日来ていたのか姿も声も伝わらなかったとしても、変わらずあの場所で私を待って居てくれたのか。
「ごめんなさい…。」
自然とその言葉がこぼれた。
「私もう自分を捨ててしまった。
あなたの大事な図鑑も捨てられてしまった。
本当にごめんなさい。」
「良いんだよ。
最後に君に会えて本当に良かった。」
「浮葉さ…!」
言い終わる前に彼は光の粒となって空に昇っていく。
「浮葉さん…。」
桐人もそれを呆然と眺めている。
「凪、一体何をやっている。
早く部屋に戻れ。」
しばらく私もそのまま眺めていると、父親が痺れを切らしたのか口を挟んでくる。
おそらく父親には彼の姿は映っていなかったのだろう。
いかにも何が起こったのか分からない様子だ。「そうは行くかよ。
凪、俺と一緒にあいつらの所に帰ろう。
もうこいつの言いなりになんて鳴らなくても良いんだ。
雫だってお前の帰りを待ってる。」
俺がそう言って手を差しだすと、凪は俯いて口を噤む。
「同じ事を何度も言わせるな。
またこの私を失望させるのか。」
「桐人、私ね。」
少し考え込む仕草をした後で意を決したように、凪が口を開く。
「神社の巫女になって、桐人達に出会えて、本当に幸せだった。」
「おい、何言ってんだよ。
そんなのこれからだって…。」
「雫はさ、私にすごく懐いてくれた。
私の事を本当の母親みたいに思ってくれた。
もし将来子供が出来たらこんな感じなのかなってちょっと思ったんだ。」
「おい…凪?」
「それと茜はさ、感じ悪い事の方が多かったけどさ。
借りを作るのは嫌だからってなんだかんだ家事とか手伝ってくれるんだ。
子供って言うか生意気な妹が出来たって感じかな。」
「急に何を…。」
「それと光。
あの子ってほんと良い子だよね。
可愛いし、料理も旨上手いし。
私たちの事もそう、桐人のことをいつも気にかけてる。
だから大事にしてあげてね。」
「一体どうしたんだよ…?」
「それと、木葉。
あの子が居るとさ、自然と場が盛り上がるんだよね。ムードメーカーと言うか。
お金持ちのお嬢様だって言うのはびっくりしたけど、大事な仲間だよ。
勿論千里も。
桐人に似て臆病なくせにたまに無鉄砲になるから心配になる。
ちゃんと守ってあげてね。」
「そして…」
「待てよ!」
「桐人…今まで本当にありがとう、短い間だったけど、桐人を見てたら本当に退屈しなかった。
最初あんなズタボロにしたのに仲間だって言ってくれてありがとう。
不器用なくせに落ち込んでた時励ましてくれた事も感謝してる、
それからこのカキツバタも。
本当にありがとう。」
「何なんだよ…?
なんでこれで最後みたいな事言うんだよ。」
「確かに、私は生まれ変わって本当に幸せだった。
こんな事普通に生きてたら絶対起こらなかった事ばかりで…。」
「なら…。」
「でもね、結局私はこの運命からは逃げられなかった。」
「お、おい!馬鹿な真似はよせ!」
俺がそう叫んで止めようとするより早く、凪は高速で俺の元を離れ、懐に忍ばせていたかぎ爪で自らの腹部を突き刺す。
「凪!?」
慌てて駆け寄るも、凪はそのままその場に崩れ落ちる。
「ごめんね…桐人。
多分私はずっと、心のどこかでこうしたいと願ってたんだ…。
でもそんな自分がずっと怖かった。
だからずっと桐人達の優しさに甘えて目隠ししてた。
嫌われたくないって必死になって縋ってた。
こんな事になるなら最初からこうしておけば…っごほ…。」
「もう良い!喋るな!」
「き、貴様一体何をしているんだ…。」
さしもの父親もこれには動揺しているようだった。
「おい、あんた医者だろ!?なんとかならないのかよ!?」
「む、無理を言うな。
外科は専門外だ。」
「桐人、もう良いんだよ。」
「凪…。」
「桐人は私が自分を諦めても最後まで私を諦めないでいてくれるんだね…。」
「あ、当たり前だろ…!」
「その気持ちだけで充分だよ。
でも本当ならもっと早く桐人達に出会えてたら良かった。
ありがとう、本当にありがとう。
こんな時にこんな事を言うのはおかしいかもしれないけどさ、きっともう二度と言えないから。
言った事もきっといつか無かった事になるかもしれないから最後に一つだけ言わせて…。」
「おい…凪だから…。」
「さよなら、あなたの事がずっと好きでした。」
「っ…!?」
それは本当の意味で彼女が放つ最後の言葉となった。
その言葉を最後に、凪は目を閉じ、少しずつその姿が光を放ちながら薄れていく。
「な、凪!」
時間にして数秒。
凪の姿は、そのまま何も無かったかのように消えて無くなった。
その様子を見て凪の父親はただ呆然としていた。
「見たかよ!?」
そう叫ぶと、一度肩を震わせた。
「これが他でもないあんたの望みの末に招いた結末なんだ!」
そう怒鳴るも、凪の父親は何も言い返せず黙っていた。
「あんた医者なんだろ!?こんな状態になるまで娘を苦しめて…救ってやる事さえ出来なかった。
あんたに凪を馬鹿にする理由なんて無い!
あいつは…いつだって…」
出会ってから関わった期間は確かに短かったかもしれない。
でもあいつはそんな俺の事を本当に大切に思ってくれていたんだ。」
「なのになんであんたは…。
あいつの事を愛してやる事が出来なかったんだ!」
腹が立って、悔しくて、悲しくて、寂しくて苦しくて。
でもこうして怒りをぶつけたところで、俺だってあいつを守ってやる事が出来なかった。こんなのって…。
「こんな…筈ではなかった…。
どうして…こんな事に…。
しゃがみ込みそう呟く凪の父親。
今更後悔したって遅いんだよ…。
そんな怒りをこいつにも、そして自分にも頭の中で向けながら俺は力無くその場を後にした。
外を出たところで、自宅から彼の物らしき叫び声が聞こえてきたが、気にせず敷地を抜ける。
「終わったようね…最悪の形で。」
そのままとぼとぼと歩いていると、目の前の電柱の陰から茜が顔を出す。
「…あぁ。」
「あなたも以前話を聞いたと思うけれど…私達死神神社の巫女は普通に死ねば輪廻の波に乗る事が出来ず、存在その物まで抹消される。明日になればあなたも彼女の事を全て忘れるわ…。」
「っ…。」
そうなればあの叫んでいる男も明日には何も無かったかのように生き続けるのでしょうね。」
「そんなの…。」
あんまりだろう…。このまま全部無かった事になるなんてそんなの…。
「哀れな物ね…。
凪の母親は彼女の後を追って自殺したそうね。だから彼にとって凪の転生は振って湧いたようなチャンスだった。
結局あの男はただ自分の目的の為に全てを失った。
明日になればただ理由も分からず妻が自殺したと言う事実だけが残る。
まぁそれだけなのなら、きっと彼は新しい代用品を見つけてくるだけなのだろうけれど…。」
「桐人!(君、さん!」
雫、千里、光、木葉が慌てて駆けつけ、俺の名を呼ぶ。
「も、もしかして凪っちは…。」
俺の表情を見て木葉は何かを察したらしい。
俺が首を振ると雫も千里も肩を震わせる。
「そうですか…。」
そう言って俯く光。
何も言えず黙り込む千里。
「そんな…嘘なの!私は絶対に信じないの!そう言って泣きながら叫ぶ雫。
「あいつは最後まで俺達の事を本当に大事に思っててくれた。
なのに…俺には何も出来なかった。」
これには雫も俺の着ていたシャツの袖を掴み顔を埋めて泣き叫ぶ。
「凪…凪…。」
木葉も涙ぐんではいるものの、この場で一番凪との別れを悲しんでいるのは間違いなく雫だと分かって無理にこらえているのが分かった。」
「桐人さん、これ…。」
不意に、光が手に持っていた物を差し出してくる。
それは、以前俺が渡したカキツバタの鉢植えだった。
「これって…。」
「凪さん、これを連れ去られるその日までずっと大事にしていたそうです。」
「っ…。」
それを受け取ると、その花びらが音も無くひらりと地面に落ちた。
それは暗に訪れるはずだった幸せが途絶えた事を表しているかのようで。
そして残ったこの花ビラの儚さも明日には全て消えて無くなってしまうのだと思い知らされる。
「本当に…これで良かったのかよ…?
凪…?」
その問いかけは、もう二度と届かない。
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