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アルヴィンの問題は、感情を表に出さず、話さなくなったことだけではない。
夜間、眠りながらそこらじゅうを歩き回るのだ。
屋内で済めばまだいいが、この冬空の庭にも出る。
そしてその間のことは本人は覚えていない。
アルヴィンは話さないから確実にそうだとは言えないが、多分覚えていないようだ。
医者によると、子どもにはままあることで、特に心に気にかかることがあるとそういった行動をとるらしい。
眠りながら動いている間は強引に触れたり、強い口調で声をかけたりといった驚かせるような行為はよくないそうで、好きにさせて危なくないように見守るのが一番だという話だった。
その症状が現れるのは寝入ってからの半時から一時あまり。
夜間担当の使用人の仕事が一つ増えた算段だ。
「……来なくていいのだが」
「そう言う伯爵も」
サラが伯爵家に来たその晩。
冴え冴えとした月明かりの庭を、アルヴィンは裸足で歩いている。
物音に気付いて執務室を出たクレイグが見たのは、表に出る甥と、その少し後ろをそっと歩く子守の姿だった。
ついて来たもう一人の使用人の手によって、アルヴィンには外套が掛けられている。
連れ戻そうとすると暴れるし靴を履かせるのは無理だが、防寒の服を羽織らせる程度なら受け入れるらしい。
昼間も訪れた池の前でアルヴィンは止まった。
敷地の庭にある池は大きさがあり、夏には小型の船を浮かべて水遊びもできるほど。
今立っているところは水辺からは多少距離があるが、夜中に冷たい水に落ちては危険だ。
クレイグは注意を払いつつ静かに距離を詰めていく。
おりしもの満月、水面に映る月明かりは冷たい風で微かに揺れている。
見えているのかどうか、池の中央にある小さな島をまっすぐ向くアルヴィンの瞳は、温度のない月の光を淡く反射していた。
大人びたその顔は、亡くなった兄によく似ている。
家のことを任せきりで自分は戦地を飛び回って、ここ数年は手紙でばかりの交流だった。
しかし、そこに兄弟の情は確かにあった。
――兄が遺した子ども一人救えない。
いくら戦場で頼もしかろうが、何の意味もない。クレイグは己の無力さを苦く思った。
「……アルヴィン」
ゆっくりと声を掛けるクレイグにも反応はない。そっと肩に触るとそのまま、くたりと膝から折れた。
危なげなく抱きとめられ、横抱きにされたアルヴィンにサラは持ってきたブランケットを掛ける。
クレイグのがっしりとした腕の中で、子どもは穏やかに眠っていた。
「戻ろう」
クレイグの言葉にサラと使用人は黙って頷いて、月の輝く池を後にしたのだった。
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