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「それがよろしいかと。サラ様がいらしてから随分とよくなられましたから、今なら行くと仰るかもしれません」
「だといいが」
サラがこのブレントモア伯爵家の子守になってから一ヶ月あまりが過ぎた。
アルヴィンは彼女を受け入れ、ほぼ一日中一緒に過ごしている。
彼女はアルヴィンに対し、声を出して話したり感情を表すようには言わず、身の回りを整えることから始めた。
食事や睡眠、学習や外遊びの時間を改めて決めるなど、事故前の生活に近づけるようにしたのだ。
「いつもと同じ、ということが大事なのです」
事故以来、使用人との接触も拒否していたアルヴィンは、眠る時間も食事の内容もまちまちだった。
幼いとはいえ次期当主でもある彼に反対したり強制したりできる立場の者は、使用人にいない。
それが唯一可能なクレイグは、残念ながらサラに言われるまでそこに気が回らなかった。
自分の子ども時代を引き合いに、食べて寝ているなら身体は大丈夫だろうと、問題視していなかったのだ。
「修道院でもそうでした。毎日の決まった日課をなぞることが、安心に繋がる面があるのです」
軍にも規律や軍務がある。
戦地という明らかな非日常の中で、その影響力は小さくない。
クレイグはサラの言いたいことをようやく理解し、彼女が思うようにやることを許可した。
十日も経たないうちに効果は見られ始め、眠りながら歩き回る回数が減った。
なくなったわけではないが、一ヶ月が過ぎた今は夜中に外に出ることはまず無く、だいたいは自室の中か、部屋の外に出たとしても二階のフロアでおさまっている。
幼い子が顔色を失くして闇の中を歩き回る様子は痛ましい。
まだ言葉は戻らないが、夜歩きが減っただけでも使用人達のサラに対する態度が日増しに好意を増していくのは当然のことだった。
今朝も、サラに庭に行こうと誘われて自分から外套を手にしたのだ、とトマスは声に嬉しさを滲ませて報告する。
「よかったです、本当に」
伯爵家に長く仕える執事は、事故以来すっかり白くなった頭を柔らかく揺らして窓の外に目をやる。
クレイグも窓辺に寄ると、サラと手を繋いだアルヴィンが池のほうに向かう姿が窓下に見えた。
「このまま、アルヴィン坊ちゃまが元に戻られれば……」
「そうなることを願おう」
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