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贅沢ともいえないちょっとした日常の楽しみも知らない彼女に、自分だったらどうやってそれを与えられただろう。
クレイグは頭を巡らせたが、買って渡すほかはなにも思いつかなかった。
「私は旦那様に、お世話ばかりかけました」
「世話と思っていなかったと思うが」
「そうだといいのですが……。それで、私にはとても印象深い出来事なのです。なので、アルヴィン様もあの池に思い入れがあるようですから、」
特別な場所で特別な事をしたら、なにか変わるかもしれないと思った、とサラは言う。
とはいえ今夜行くつもりはなく、まずは物語を聞かせ、折を見て誘おうと考えていたそうだ。
自分から、しかも今行きたい、と言われるとは想像していなかったため、慌ててキッチンにいって飴を一つ砕いて持ったのだと。
食事を摂るようになったアルヴィンだが、まだ食欲が完全に戻ったわけではなく量は食べられていない。
以前は好んだ菓子類も、用意してもほとんど口にしなかった。そのためパントリーにはたくさんの菓子が残っていた。
「あの飴は、見つからないようにしておかなくてはいけませんね」
「希少なはずの『月のかけら』が、家に山盛りあったらまずいだろうな」
そう言って、二人で顔を見合わせて笑った。
薄明りの部屋で、パチリと暖炉の火が爆ぜる音が響く。ゆらりと揺れる炎は、二人の間に踊るような影をつくった。
小さい声での会話のために、二人の距離は近い。
伏せた睫毛の一本まで見えるほどに――頭を軽く振ると、クレイグは次の話を切り出した。
「もうひとつ教えてほしい。ここに来た最初の日にアルヴィンに会った時、君はあの子に何と言ったんだ?」
ずっと疑問だったことをそのまま尋ねた。
アルヴィンは、最初サラのことも無視していた。それが、途中で急に態度が変わったのにはなにか――サラが話しかけた何かがアルヴィンの心に触れたのに違いない。
アルヴィンが、事故の責任を重く感じていたことは分かった。
でも、それが池に拘る理由とは考えにくい。気がかりはこのまま一気に解消したかった。
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