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第三話
それから授業中、小林陽菜は私に地球の常識を教えてくれた。私は私が宇宙人であることを隠し通すために、知ったかぶりをしながら、それらの常識を身につけていくしかなかった。
例えば一時間目。一緒に授業を受けている時。
「地球人は授業中にわからないところがあったら、その場で逆立ちするんだよ」
と小林陽菜が言ったので、
「それくらい私だって知ってるぞ。ちょうどわからない問題があるからやってみるか」
と私はさも知ってましたという風に答え、その場で逆立ちをしてみせた。すると凄まじい勢いで先生が駆けつけて来て、「どうしました!?」と私を心配してくれた。なるほど、すごい効果だった。
例えば昼休み。一緒にお昼ご飯を食べている時。
「地球人の大好物は知ってるよね」
と小林陽菜が言いながら、何やら緑色をしたペースト状の何かをスプーンいっぱいに乗せていた。地球の食材に詳しくない私はそれを知らなかったが、
「当然知っている。私はそれを毎日食べないと落ち着かないんだ」
と知っている振りをした。小林陽菜はにこりと笑い「わさび」という名前らしいそれを私の口元へ持ってきてくれたので、私は勢い良くかぶりついた。これで私も地球人の仲間入りだ。思うのもつかの間、つーん、と鼻を抜ける鋭い痛みが私を襲って、
「うぎゃあああ」
私は悶絶した。
そんなこんなで、今は放課後である。小林陽菜ら数人の女子生徒と話し込んでいたら、すっかり遅くになってしまった。しかしながら有意義な時間である。これが友達という奴か。私は嬉しかった。
時間が深まるにつれて友達は帰って行き、最後に私と小林陽菜が教室に二人きりで残った。教室を後にする最後の女子生徒を見送って、小林陽菜は立ち上がる。
「じゃあ、私たちも帰ろうか」
小林陽菜がにこりと笑うので私も微笑んで頷く。
「そうだな!」
ふと、窓の外を見てみると、何やらオレンジ色の空が広がっていた。その美しい光景に、私は思わず呼吸を忘れた。写真で見たことがある。これが夕焼けというやつか……なんと美しい。
「綺麗だねぇ」
小林陽菜は私の背後に立って、同じように夕焼けを眺めていた。
「綺麗だ! こんな景色がずっと見たかったのだ」
興奮気味に、私は言った。
「ふぅん。もっとたくさん、この星には綺麗な景色があるんだよ」
「そうなのか! 楽しみなのだ。見に行きたいな!」
「うんうん。でも、その前に……」
————かちゃ。金属音とともに、私の両手に冷たい感触。見れば、なんと私の両手に手錠がはめられていた。
「な、なんだこれは!?」
私は叫んで小林陽菜の方を振り返った。けれど小林陽菜はニタニタと笑うばかりで私の問いには答えない。
代わりに、小林陽菜は何かの電子機器を取り出した。青色で丸い、手のひらサイズのそれは、どうやら通話装置らしい。
「こちらティオーナ。地球への不法侵入者を逮捕しました。時間は標準時刻にして…………」
小林陽菜は誰かと連絡を取っている。時々、私に視線を送りながら。その声音はさっきまでの甲高いものとは打って変わって、低く冷静なものになっている。私はいまだに頭の整理が追いつかず、状況が飲み込めなかった。
「……さて、宇宙人さん? 気分はどう?」
通話装置をポケットにしまって、小林陽菜は私に問う。その顔は勝ち誇ったような笑み。
「う……宇宙人じゃないぞ!」
急いで否定するが、小林陽菜は意に介さぬと言った風で一笑に付した。まさか……バレてしまったのか。私はぞっとする。しかし、私の今日の行いには何の綻びもなかったはずだ。
小林陽菜は私を蹴り飛ばし、私はうつ伏せになって倒れ込んだ。胸が強く打ち付けられて、その痛みに顔を歪ませる。
「ううん。あなたは宇宙人だよ。しかも不法侵入のね」
「ど、どこに証拠がある!」
「証拠って言われてもねぇ……もう、あからさまだったしー。全部が証拠みたいな?」
「ぜ、ぜんぶぅ!?」
私は目を見開いて仰天する。身体をくねくねと動かして、うつ伏せから仰向けになった。小林陽菜の見下した顔がよく見える。
「そう。まず第一、地球人は自分たちのことを地球人だなんて言わないし」
「えー!?」
「授業中にわからないところあっても逆立ちなんてしないしー」
「ええーー!?」
「わさびはあんな風に食べたりしないもの」
「えええーーー!?」
がっくり。私は項垂れた。全部、はめられてたというのか。
「ちなみに私も宇宙人だよ。宇宙警察官のティオーナでーす」
あっかんべー。小林陽菜あらためティオーナは私を侮辱する。私は唖然としてティオーネを見上げた。まさか、こいつも別の星から来たというのか。しかも宇宙警察とは。これから私はどうなってしまうのか。
「ゆ……ゆるしてくれ……。わ、悪気があったんじゃないんだ……」
私は目を伏せて、顔を伏せて、許しを乞いた。
「あのねぇ、悪気とか……そういう問題じゃないの、わかる? この地球は宇宙政府が定めた保護対象の星だから、不可侵なの」
「し、知ってます……。すみません……すみません」
「はぁ。知ってたら何で侵入したの? 一応、訊いておこうかな」
「はい……。話します……」
腕組みをしたティオーナに言われるまま、私は極めて正直に、ぽつりぽつりと話し始める。
「わ、私は……私の故郷の星では、いつもひとりぼっちで……家族も友達もいなくって……いつも狭い部屋の中にいて……」
言っていて、昔が思い出された私は少し涙ぐむ。
「地球は、人間同士のコミュニケーションが盛んな星で、景色も綺麗だと本で見たことがあって……だから、ここに来れば、人と触れ合えるかなって思って……侵入したんだ。地球人に化けて。変身は得意だったから」
ティオーナは黙って私の話を聴いている。私は感情的になりながら、
「寂しかったんだ! ずっと、ひとりで……。誰かと話したかった。誰かに、私を見て欲しかったのだ」
と半ば叫ぶようにしてそう言った。
「……なるほど」
私の話を聴き終えて、ティオーナは溜め息を吐いた。そうして軽く肩を竦める。それがどんな意味を持つ仕草なのか私にはわからなかった。
「気持ちはわかるけど……犯罪は犯罪だからねぇ」
「はい……すみません」
そうしてティオーナはしばらく黙り込んだ。何かを考えるように、時々、私に視線を送りながら、ティオーナは教室中をうろうろする。
数分して、ティオーナは何かを決心したような顔つきになり、おもむろに私へ近づいて来た。膝をついて姿勢を低くし、私の手錠に触れる。すると、手錠は音を立てずに私の手首を解放した。
唇を尖らせて、ティオーナは言う。
「特別措置だよ? 私の助手という名目で、あなたのことを監視下に置いて無罪放免にしてあげる。私と一緒に行動するなら、地球に住まわせてあげる」
「え、えぇ!?」
一瞬、ティオーナが何を言っているのか分からなかった。時間をかけて、じっくりと言葉を飲み込んで、それでも、私は耳を疑った。
「い、いいのか!?」
「あなたからは悪意を感じないし……それに、」
差し伸べてくれた手を掴んで、私は立ち上がった。そんな私を見て、ティオーナはにこりと微笑む。
「私たち、友達でしょ?」
私の勘は間違ってなかったみたいだ。やっぱり、こいつは良い奴だ!
私は微笑み返し、ティオーナに向かって人差し指を突き立てた。ティオーナも私の意図を察したような顔をして、人差し指を突き立てる。二人の人差し指がくっついて、すると、私たちは声を出して笑っていた。
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