11.これが地獄のやり方か

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11.これが地獄のやり方か

 今から殺されるという状況で抵抗しない人間はいないだろう。無防備なマギソンを見て、舐めてかかったのは団員の方だった。  重い打ち込みを決めるために剣を大きく振りかぶりながら向かってきた団員に対し、マギソンは入団して初めて彼らの前で魔術を披露した。  ―― 圧縮され、鋭い刃と化した風が男達の肉体を鎧ごと切り裂く。  団員達は助走をつけていた分、頭部が切り離されても胴体の方の動きを急には止めることができなかった。数歩進んだところで足がもつれ、マギソンの隣をすり抜けてグニャグニャと軟体動物のように一斉に地に雪崩れていった。  ほとんどは首をはねられて程なく死したが、中には後方に位置していたがために風の向きがそれ、手足や腹の負傷で済んだ者もいた。全員出血多量により助かる見込みはなかったが……。  何とか切り口から漏れ出る内蔵を体内へ押し戻そうとしていた最後の生き残りがついに力尽きると、辺りにはマギソンの呼吸音以外に音が消えた。  一面に広がる血の海を見つめ、マギソンは小さく溜息を吐いた。  また懐から紙と乾燥葉を取り出し、慣れた手付きで組み合わせ、口に(くわ)えて火をつける。肺いっぱいに煙を充満させて思い切り吐き出すと、何もかもがどうでもよくなった。  空を見上げ、また一回、二回とふかしていると、正面の茂みが小さく揺れた。 「あーあ、殺人現場を調べに来た奴が殺人を犯すなんて。依頼先に何て報告するんだ? 急に誰かに襲われて他のみんなを殺しちゃいましたー、ってか? お前だけ生き残るなんて怪しまれるよなぁ? いっそのこと、どっかにトンズラすっか?」  現れた男にマギソンは目を見張った。何せ、先程殺したはずの男が目の前に立っているのだから。  マギソンは味わいだしたばかりの煙草を投げ捨てると、腰の剣に手を掛けた。 「そこの死んでた仲間……コラスだっけ? 俺が殺しといたんだ。お前がやったことにして仲間割れさせようとしたんだけど、正直こんな上手いこといくとは驚きだ。お前、嫌われすぎじゃね?」  ケラケラと笑いだす男……ベルトリウスに、マギソンは率直に、”何だこいつは?”と思った。どういうカラクリで復活したのかは不明だが、取るべき行動は一つだ。  マギソンから(にじ)み出る敵意を感じ取ると、今度はベルトリウスがハッとした表情で両の手のひらを見せつけるように顔の横に掲げ、慌てて制止を求めた。 「ちょっ、またやる気かっ? 俺は別にお前と戦おうってんじゃねーんだって、お前の力を借りたいだけなんだって!」 「黙れ」  冷たく言い放ったマギソンが鞘から剣を抜くと、突然薄っすらとした光の帯が宙を漂い、ゆったりとした早さで二人を取り囲むように旋回(せんかい)していた。  傭兵集団を襲ったものよりも遥かに恐ろしい術が繰り出されそうな雰囲気に、ベルトリウスは必死に説得を試みた。 「待て待て! 嫌われてるって言ったの怒ったんなら謝るからさっ? 俺ぁ死んでも生き返るし、その度に殺すのは面倒だろ!?」 「俺に付き纏うのを止めれば殺されずに済む」 「それは無理だ! 貴重な魔術師サマを抱き込める機会はそうあることじゃねぇからな!」 「じゃあ死ね」  ベルトリウスの言葉選びも悪いが、それとは関係なしに初めから殺るつもりだったマギソンは剣を構えたまま何かを唱えた。その言葉がベルトリウスの耳に届くことはなく、ほんのひと呼吸の後に二人を取り巻いていた光はまばゆさを増してベルトリウスに飛び掛かった。  光は触れた先からベルトリウスの身を焼き焦がした。  皮膚は業火に焼かれているかのように次々とめくれ上がっていき、頭の天辺から足の爪先まで、痛まない部分が見つからないほどに全身には激痛が走った。エカノダのお陰で痛覚は薄れているはずなのにこの強烈な感覚……ともすれば、この魔術は相当魔物との相性が良いのだろう。  悲鳴を上げようにも口を開けば光が侵入してきて、口内を焼き尽くしてしまう。ベルトリウスにできるのは、一刻も早く死の救済が訪れるのを待つことのみであった。  またエカノダに叱られてもいい。早く地獄へ戻りたかった。  ベルトリウスが身悶えているのを、マギソンは同じく爛々(らんらん)とする光の空間の中から見つめていた。  魔物を(はら)うこの浄化の術は彼の得手(えて)だった。傭兵であるマギソンは相手が誰であれ殺しを躊躇する男ではなかった。ただでさえベルトリウスは自分を陥れた者だ。それに見た目こそ人間と変わりないが、浄化の光で苦しむのならばれっきとした魔物。  魔物は総じて(みにく)狡猾(こうかつ)で、悪なのだ。良い魔物など存在しない。殺して罰せられるどころか報酬が与えられる。  マギソンは燃え尽きたベルトリウスの遺体を役所に提出しようと考えた。村を襲ったのもこの男、調査に来た傭兵団を襲ったのもこの男。そして唯一生き残った自分が倒したと報告すれば、全て丸く収まる。丸焦げなのは、揉み合いの最中に焚き火の中に投げ入れたとでも言えばいい。  しばらくして、ベルトリウスが完全に動かなくなったのを確認して術を解く。人間には害のない浄化の魔術。同じ光に触れていたマギソンは全くの無傷で、対するベルトリウスは見事なまでに真っ黒に焦げて炭の塊のようになっていた。  今日はもう日が暮れるのでミハ村で一晩を過ごし、朝一番で街へ向かおうとマギソンがベルトリウスの遺体を担いだ時だった。始めは小さく、次第にグラグラと大きく地が揺れ始めた。少し膝を曲げて態勢を保っていると、なんと足元に突如、大きな穴が空き――。 「なっ、なんだっ」  流石のマギソンも驚愕の声を上げた。落ちる直前に生き物の歯のような物体が視界に映り、マギソンは混乱に包まれたまま丸焦げのベルトリウスと共に暗闇へと飲み込まれていった。  この穴はどこまで続くのか?  自分はどこへ向かっているのか?  もしかして、死ぬのか?  久しく感じていなかった命の危機に、マギソンは吐き気を催すほど心臓が強く鼓動していた。  浮遊感に飲まれながらも、出来得る限りの人体強化の魔術を自身にかけ続ける。必死で落下の衝撃に備えていたものの、いざ着地の瞬間を迎えた際は上から下へ落ちいったのではなく、下から上へ放り出されるといった”あべこべ”の状態で外の空気を迎えた。 「……ここは、地獄か……?」  マギソンは周囲の光景に唖然(あぜん)とした。肌で分かる、ここは人間の世界ではない。  見渡す限りの赤と黒。どこからか聞こえてくる悲痛な叫び。  まるで教典(きょうてん)にて言い伝えられている、”地獄”の触りそのものだった。  全身の粟立ちを止めることができない。本能がここに存在してはいけないと警鐘を鳴らしている。  マギソンは不意に感じた気配に勢いよく振り向いた。そこには皮の服に皮のマスクをした、荒野には不似合いな全身黒ずくめの格好をした人間の女が立っていた。 「生身の人間が来るなんて珍しいことよ」    女はマギソンを見つめて、おかしそうに目を細めた。ここはどこなのか、お前は何者なのかと問いただしたかったが、口を開けど言葉が喉元で引っ掛かって出てこない。   「部下が世話になったわね。あの役立たずの阿呆(あほう)を復活させるのにどれだけの魂が必要か分かる? 本当に、無駄に死なせてくれちゃって腹の立つこと……この手でお前を殺してやりたいわ。でもベルトリウスの言う通り、お前はなかなか役に立ちそう。私の配下になりなさい。断ればお前は死ぬ」  女は有無を言わせぬ話し方で坦々と進めていく。しかし、非力そうな丸腰の女相手に、暴力が物を言う世界で生きてきた男が簡単に折れるわけがなかった。  動揺を隠しつつ、マギソンは平静を装って女に剣を向けた。 「あんたが俺を殺せるとは思えない」 「そうね。お前はただの人間ではなく、魔術師だものね。もしかしたら私の方が負けてしまうかも……でも、いつ()()お前を殺すと言った?」 「……何だと?」 「ここは地獄、魔物の世界よ。生者の魂を(なぶ)り楽しむ連中の住処(すみか)。そんな場所に生身の生者が迷い込むと、どうなるか分かる?」  マギソンは人並みに信仰の教えを知っていた。だから……女の言いたいことが分かった。  本当にここが地獄だとすれば、今の自分は飢えた獣の檻の中に置かれた(えさ)と同じだ。  女は煽るように尚も続けた。 「もう近くまで来てるわ。聞こえるでしょう? 面白そうなオモチャを求めてやって来る、(たち)の悪い魔物共の声……私なら助けてあげれるけど――」  ”どうする?”  ……マスク越しでもニッコリ笑っているのが分かるほど、女の目は愉悦に満ちていた。  遠くからこちらへ向かって来る、大勢の野太く気味の悪い声、声、声――。  マギソンは……諦めた。 「わかった……なる……なるさ、あんたの仲間に……」 「言い方は気に食わないけど、ふふっ、いいわ。合格。じゃあ、ちょっと我慢しなさい」  女はマギソンの喉に手を添えた。すると、触れられた部分が針で刺されたように痛み出した。チクチクと独特の痛みがぐるりと首を一周し終えると、女は手を離した。  触れられていた部分を指でなぞる……そこにはミミズ腫れのような跡が残っていた。  自分がつくり出した首輪のような傷跡を見て、女は満足そうな声色で囁いた。 「それは私の所有物である印……お前はもう逃げられないわ。お前を付け回していた男と同じ、私の配下となったの。ふふっ、人間の獄徒なんて他にいないかもね? たっぷり働いてもらうから覚悟して」  こんがらがった頭で、それでもマギソンは恨めしそうに主人となった”エカノダ”を睨み付けた。  エカノダはマギソンに背を向けると、彼と共に落ちてきた黒焦げのベルトリウスの方へと歩いていった。役立たずの獄徒に呆れから来る溜息を吐くと、彼女によって生み出されていた今ほどの張り詰めていた空気は嘘のように緩和された。  マギソンは寸前まで自身の生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握っていた女の和らいだ様子を見て、釣られたように様々な思いのこもった溜息をこぼした。
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