8.役立たず

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8.役立たず

 夢を見ているようだ。  懐かしい思い出……幼い自分と、美人だが少しキツイ顔立ちの母親。キツイのは顔だけでなく性格もだったが、人並みにお互いを大事にしていたはずだ。  母は立ったまま、こちらを何とも言えない表情で見下ろしている。  母。自分を捨てた母。  まだ世界のどこかで生きているのだろうか――。 ◇◇◇  目が覚めると、ベルトリウスは赤い空の下にある荒野に横たわっていた。  カナーではない。間違いなく地獄だった。  トカゲ男に頭をカチ割られて死んだはずの自分が何故生きているのだろうかと、しばらく転がって思案したが答えを導き出せなかったベルトリウスは諦めて体を起こし、その場であぐらをかいて後頭部を手で撫でた。  トカゲ男に叩き付けられた部分を確認してみるが、へこみや傷など変わった点は見つからない。  地上へ降りてミハを壊滅させたのも夢だったように思えたが、泥だらけの体や巻き付いた服代わりの長布が現実であったのだと物語っていた。  やはり自分は一度死に、どうしてかまた生き返ったのだ。  重い頭であれこれ考えていると、目の前にスッと細い影が浮かび上がる。  顔を上げると、美しく(たたず)む主がしかめっ面で腕を組んでいた。 「早速死ぬなんて、この愚か者」  エカノダは棘のある目でベルトリウスを見下ろしていた。雰囲気だけなら夢の中の母親とそっくりだと、ベルトリウスは無意識のうちに上がる口角に気付かなかった。  後頭部にやっていた手を次は首の後ろに回すと、ベルトリウスは観念したように言った。 「いやぁ……すごい強い魔物に出会っちゃいまして……」 「見てたわ。あいつがどこの獄徒か分からないけれど、あんな簡単にやられるなんてみっともない! せめて腕に噛み付いてやるぐらいのことをしなさい!」 「え、見てたんですか? どうやって? ってか見てたなら、どうしようもない実力差があったって分かるじゃないですか?」  ベルトリウスの消極的な態度にエカノダは力こぶしを掲げ、体を小刻みに震えさせながら怒りを露わにした。 「私はねぇっ……自分の名前を出した獄徒がむざむざ敗北して、それを良しとしてるのが許せないのっ! うちの看板背負ってんだから何とかして相手をコテンパンにしてきなさい!! どんな手を使ってでも!!」 「んなこと言ったって……」  こうして、怒りに燃えるエカノダによって猛烈反省会が行われた。 「まず、今回の敗因よ」 「それはまぁ……さっきも言いましたけど、単純に力の差でしょう。俺は体液が毒になってるとはいえ、それだけですから。トカゲ野郎は腕力ひとつ取ってみても人間の比じゃありませんし、影に潜んでチマチマ殺してるような俺とは相性最悪ですよ」 「言い訳は聞きたくないわ!」 「言い訳じゃなくて事実なんすけど……」 「お黙り! ……まぁ、百歩譲って相性が悪かったことは認めてあげる。やはりお前を強化してやるしかないか……」 「えっ、強化とかできるんなら何で先にやっといてくれなかったんですか!?」  ”信じられない”といった風に非難の声を上げるベルトリウスを華麗に無視し、エカノダは振り返った先にある巨大な卵へと手をついた。  以前見た時よりも卵が発する脈動が強まっているような気がする。中からは異様な気配を感じるし……ベルトリウスがまじまじと眺めていると、エカノダはフッと微笑んで言った。 「この中にはお前が回収した魂が入ってるわ。一定量貯まった状態で獄徒を中に入れれば、その者の能力を上げることができるの。早速やってみましょう」 「それって、ここをこうしてほしいみたいな要望は通るんですか?」 「通らないこともないけれど、強力な強化や改造は相応の魂を消費するから、資源に(とぼ)しい現状で行えることはおのずと限られるわね。何か希望でもあるの?」 「いやぁ、この体脆すぎてすぐ大きな傷ができるのに、痛覚が利いてて滅茶苦茶(めちゃくちゃ)苦しいんですよ。もう少し傷ができにくい体にしてもらいたくて……」 「それぐらいなら大丈夫だわ。あとは任意で毒を体から出せるようにしとこうかしら。使い勝手がいいに越したことはないものね」 「何でもできるんですね……じゃあ、毒の威力も自分で変えられるようになったら嬉しいです。強い毒だけじゃなく、弱い毒も出せるように」 「弱いのも?」  気前よく注文を受け付けてくれるエカノダに少し驚きながらも、ベルトリウスは気になっていた点を述べた。  ミハで試したことだが、今のベルトリウスでは血や唾液を相手の体内に入れなければ死に直結する効果を与えることはできなかった。皮膚に付いただけではかぶれる程度で、あまり有用ではない。 「いつか尋問が必要になる場面が出てくるかもしれないじゃないですか? (しび)れる程度の毒を出せれば作戦の幅は広がりますからね。……あと俺臭いらしくて……体臭を抑えれば潜入も楽になりそうなんですけど」 「なるほどね。でも、ここまで変更点が多いと魂不足で無理ね。どれか一つを諦めなさい」 「あー、そうですかぁ……じゃあ、ニオイは次回にします」 「よろしい。じゃあ、卵に手をついてみて。中に入れるはずだから」  入れるはずだから、と言われても……ひび一つない卵の中へ、どうやって入れと言うのだろうとベルトリウスは疑問に思いつつも、促されるままに卵に触れてみた。  すると、中から手を引っ張られるような感覚が訪れ、分厚いガラスのような厚みのある半透明の殻は割れることなくベルトリウスの肉体を飲み込んでいった。  卵の中は無限に続く闇が広がっていた。  体が中に浮いている。クリーパーの腹の中はまさしく”落下”であったが、こちらは”空中に縫い付けられている”という表現が近い。そんな一味違った浮遊感がベルトリウスはを包み込んでいた。  ベルトリウスはこの孤独な空間に、自身以外のたくさんの気配を感じていた。  ついこの間に殺めたミハの者達の魂だ。  怒り、恐怖、憎悪、不安……様々な負の感情が渦を巻き、声なき叫びで自分を責め立てている。だがこれがまた、不思議と心地よく肌を撫でてゆく……。  怨嗟という残響が行き来するこのおかしな空間で、ベルトリウスは抗えぬ眠気に身を任せた。魔物に睡眠など必要ないはずだが、まぶたが自然と閉じてしまう。  もう何も考えることができなくなると、ベルトリウスは完全に意識を手放した。 ◇◇◇  ―― ベルトリウス。  ―― ベルトリウス。 「ベルトリウス」  透き通るような呼び掛けで目を覚ますと、眼前のエカノダは満足げに目を細め笑っていた。  ベルトリウスは気怠い体をなんとか起こした。魂に囲まれて眠ったかと思うと、いつの間にか外に出ていたのだ。後ろを振り向くと先程まで中に入っていたはずの卵があった。 「今回も成功よ。望み通り衝撃への耐性を上げて痛覚を無くし、毒の威力を調節できるようにしといたわ。わざわざ傷を負わなくても自力で毒を出せるようにもね。試してご覧なさい」 「ぁー……はい……ありがとうございます……」  ベルトリウスは重い体を立ち上がらせ、初めて魔物になった時のように手を握ったり開いたりして皮膚が割れるか見てみた。……確かに何ともない。喜ばしいことであるのに、エカノダはやや不満そうだった。 「そんなちょっと動かしたくらい何ともないに決まってるでしょう。焦れったい、私が試してやる」  そう言うと、エカノダはベルトリウスの頬に”バンッ!”と、大きな弾き音を伴うビンタをお見舞いした。  エカノダにとっては軽いビンタであったが、受けた側からすれば、なかなか手首のひねりが利いた一発だった。叩かれた方向へ首の角度も持っていかれ、ベルトリウスは驚きの表情でヒリつく頬を手で押さえた。 「いっ、きなり何すんですかっ!?」 「何って、だから試してあげたんでしょう? 軽いとはいえ管理者のビンタだもの。人間ならそうね……全力の正拳突きくらいの威力はあるんじゃない? 以前のお前なら皮が破けるどころでは済まなかっただろうけど、今はどう?」 「……あ〜、確かに無事ですね。ちょっとヒリヒリはしてますけど……」 「そう。じゃあ次は指先から毒を出してみて」  淡々と進めるエカノダに付いていくしかないベルトリウスは、”どうやればいいんだろ……”とぼやきながら、とりあえず人差し指に意識を集中してみた。  指先……爪と皮膚の間から水が溢れてくるようなイメージを思い浮かべる。すると本当に茶色い液体がぷくぷくと湧き上がり、指を伝って地面に落ちていった。 「出た!! これ毒ですよね!?」 「この流れなら多分ね。舐めてみれば?」 「自分の毒って舐めても大丈夫なんですか!? もし効いちまってまた死んじまったらっ……」 「それなら大丈夫。お前は死んでも死なないから」 「えっ」  ベルトリウスが指から液体を出し続けたまま間の抜けた声を出すと、エカノダはくすくすと小さく笑った。 「お前の驚く(つら)は実に滑稽(こっけい)ね。地上へ行く前に言ってたでしょう、()()があるって。私の獄徒はね、私が死ぬまで、魂を消費して何度でも復活させることができるのよ。管理者である私との縁が切れるまで本当の死が訪れることはないわ。そして私が死ねば、全ての獄徒が死ぬ。勿論お前もね……ふふっ。だから、お前は私を裏切れない」  エカノダは背伸びをし、ベルトリウスの耳元に口を寄せると――。 「お前がやろうとしていることなんて、全部お見通し」  ゾッとするような静かな声が耳をなぞる。  ベルトリウスはただ、首を傾げて困ったように笑ってみせた。 「……やだな。俺は義理堅い男ですから、どこまでもお仕えしますよ」 「そう。よかった」  お互い貼り付けたような笑みを浮かべて向かい合う。  ベルトリウスの自由気ままな第二の人生……いや、魔物生への夢は儚く散った。
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